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2009年1月

2009年1月31日 (土)

世田谷区の小学校には「日本語」の授業がある -「中山成彬はなぜ日教組と戦うのか」より(2)-

「中山成彬はなぜ日教組と戦うのか」 伊藤玲子 KKベストセラーズ

前回の続き

鎌倉市議会議員であった当時の著者が、問題のある教育現場に戦いを挑んだ模様が描かれている第2章を読んでいるあたりで、一度はうんざりして、読むのをやめかけた。
この本に書かれているような学校ほどではないが、私の母校を振り返ってみても、思い当たるふしがある。

私の中で、学校教育の三大トラウマは「性教育」「道徳教育」「平和教育」だ。

性教育は小学校5年の頃から本格的にはじまったが、その内容は小学生にとっては衝撃的で、生徒の何人かが貧血を起こした。著者曰く、今ではさらに過激になっており、身体の未発達な子供達が、思春期の衝動そのままに、学校から教えられた性行為を実践してしまうという事態が発生。何と産婦人科に中絶手術を受けに来る小学生が増えているという。
テレビやインターネットの性描写には過敏なくせに、「ジェンダー・フリー」を掲げた教育現場での「正しい」性教育こそが、未成年の性の乱れを助長している原因になってしまっている。何がしたいんだ。

道徳教育は結果的に、もともとは何も知らない、偏見を持っていない子供達に、大昔の差別意識をわざわざ教え、植え付けてしまっているような気がする。身分制度が撤廃されたのなら、その差別意識も共に風化させてしまうべきではないのか。子供の頃からずっとそう思っていた。

平和教育については、戦争に反対するのは良いと思うが、愛国心と軍国主義を切り離して、日本人としての誇りといえるようなものを持てる教育も同時に行うべきではないか。
そう思っていたところ、それを既に実践している教育が、第3章で紹介されていた。

世田谷区の若井田正文教育長が、現在の子供たちの学力低下、いじめなどの問題行動が起こる背景には、国語、日本語の崩壊が原因としてあるのではないかと思い、正しい日本語を教える授業をつくることを考えた。
現在、世田谷区の小中学校では「日本語」の授業が行われているという。
(「国語」の一部ではなく「日本語」という別教科で行われているのは、国語は学習指導要領で定められたカリキュラムに沿った授業を行うことが義務付けられている為。)

内容は俳句や和歌、古典文学に漢文など。難しい漢字もそのまま掲載されているがふりがなが振ってあり、国語とは違って文法や著者の意図には触れず、まず日本語の響き、リズムに親しむことからはじめ、やがて意味を理解する、という順で学習するという、子供の知的好奇心を刺激するための工夫がなされているという。
成果は上々で、子供達の「日本語」の授業に対する関心は高いようである。また、土曜日に行われる勉強会では、生徒とその保護者だけではなく、地域の高齢者が「懐かしい」と興味を持ち参加、生きた知識を提供してくれるようになったという。思いがけぬところから地域のコミュニケーション形成にも役立ったのである。

本が好きな私としては、テレビやゲームも否定しないが、やはり本こそが子供には良いと思う。感受性や想像力が豊かになるし、特に大人になると、語彙と表現力が豊かであることはいかに大切かと実感する。
当然、読む本はある程度選ばなければならないが、いろいろな種類、同じテーマでも色々な意見の本を読むことが大事だ。学校の授業を疑わなければならない世の中ならばなおさら。
幼い子供には、親の「読み聞かせ」が大事だと思う。これこそが親子のコミュニケーションとして大切なものであり、時が経って本の内容は忘れたとしても、その本から感じたものは、その心の核にしっかりと残っているような気がする。

さて、将来、この本に書かれているような教育現場に、自分の子供を通わせなければいけなくなった時、我々はどうするべきか。
……どうすればいいのだろう。

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2009年1月29日 (木)

そこにまだ「日本人」がいる。それこそが宝。 -「レジェンド 伝説の男 白洲次郎」より-

「レジェンド  伝説の男 白洲次郎」 北 康利 朝日新聞出版

白洲次郎。吉田茂の側近。終戦後、終戦連絡中央事務局の参与に就任、「戦争には負けたけれども奴隷になったわけではない!」との信念を持ち、GHQを相手に一歩も退かず、彼らをして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた。米国に占領された日本の、早期独立の為に尽力した人物である。
白洲次郎はイギリスに留学した経験があるために英語が堪能で、GHQのホイットニー准将に英語の上手さを褒められた時、「あなたももう少し勉強すれば上手くなる」と言ったという話は有名。日本史の教科書にも載っていた気がする。

この本は、著者が2005年に刊行した「白洲次郎 占領を背負った男」(講談社)の番外編というべきか、読者の熱烈な希望に応え、前作では描ききれなかったエピソードを掘り起こし、白洲次郎の行き方を再び描いた作品であるらしい。(あとがきより)
前作「占領を背負った男」を読んでいなくても充分に理解でき、楽しめる内容であるが、白洲次郎に対する予備知識がないままで読むには少し物足りない感もある。
(これを書いている時点で、私はまだ「占領を背負った男」を読んでいない。)

彼はまさしく、戦争に負けた日本が立ち直る為の礎を築いた人物である。
一つは前述の通り、当時の首相、吉田茂と共にGHQを抑え、早期講和に導いた功績である。
もう一つは、戦後の日本において、手先が器用で勤勉な日本人が「ものづくり」に適しており、それが国際的に競争力を持つという点に逸早く気づいたことである。

「吉田と次郎は荒廃の極みにあったわが国土を前にして、それでもそこにまだ「日本人」が残っていることに一筋の光明を見出した。
それは手先が器用で我慢強く向上心旺盛な、世界有数の勤勉な国民である。わが国には天然資源はないが人的資源がある。」(P.126)

何もかもが瓦礫の下に埋まってしまい、妄信的に信じていたものまで否定されて、まさに全てを失ったかに見えた日本国民に対し、自分達の中で未だ眠っている能力こそが宝であると気付かせた。これほどまでに人間の活力を奮い立たせることが他にあるだろうか。
日本が国際的な競争力を持つ体制を整える為、白洲次郎は商工省物資調整課長、永山時雄と組み、構造改革に着手する。その時に出来たのが通商産業省(現在の経済産業省)であるという。

この通産省という役所は、”日本復興”の切り札となった。
それはやがて世界中を瞠目させ、戦勝国を歯軋りさせる戦後日本の奇跡の復興へとつながっていくのだ。各国はその秘密を解こうと様々な方面から「日本株式会社」への分析を行ったが、そうした時、必ずと言っていいほど出てくるのが、この通商産業省の存在であった。やがて各国はこの組織を模倣していき、「通産省」という役所自体が輸出されていくのである。」(P.128)

欧米各国が自国の産業に対する脅威だと感じるほどの、高品質な日本の製品。それは民間企業の努力だけで成立しているのではなく、それを後押しする優れた制度がかつての日本に存在したというのは驚きだった。高度経済成長を成し遂げた当時の日本は、経済だけでなく行政においても、世界に誇れるものがあったのだ。

この本の帯にある著者の言葉。
「白洲次郎のように、国民一人ひとりが自らの生き方に美学を求めるようになれば、おのずと国家全体も美学を持った国になるのではないだろうか。」
まさしく今の日本には「美学」が欠けているように思える。あまりにレベルの低い話ではあるが、「電車の中で携帯電話を鳴らさない」というあたりから見つめ直し、一人一人の美学を高めていきたい。

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2009年1月26日 (月)

「失言」の裏にある信念 -「中山成彬はなぜ日教組と闘うのか」より(1)-

「中山成彬はなぜ日教組と戦うのか」 伊藤玲子 KKベストセラーズ

「日教組をぶっ潰す」発言がもとで、政界引退に追い込まれた自民党衆議院議員、中山成彬氏。文部科学大臣、国土交通大臣を歴任。

冒頭に取り上げた本の著者、伊藤玲子氏は、鎌倉市議会議員として同市の、ひいては日本全国の教育改革を行う為に活動していた人物であり、その活動において、中山成彬氏とは「共闘」の関係にあるという。

伊藤氏は、鎌倉市の小学校に通う孫を通じて、現代の小学校で行われている教育のありかたに疑問を感じたのをきっかけに、教育改革を訴える活動を行う決意をした。
伊藤氏は平成6年から、歴代の文部科学大臣に対し、教育現場の実態を記した資料を提出、教育改革を訴えた。しかしまるで相手にされないまま、10年の時が過ぎた。そんな中、はじめて伊藤氏の意見に関心を抱いたのが、第二次小泉内閣の文部科学大臣、中山成彬氏。なんと、伊藤氏が渡した資料の全てに目を通した後で、自ら伊藤氏の自宅に電話をかけたという。

去年の夏ごろまで新聞すらろくに読まなかった私は知らなかった。平成17年に「ゆとり教育の見直し」を掲げた文部科学大臣は、他ならぬ中山成彬氏だったということを。

彼が教育を変えようという熱意は本物だったのだ。それだけに惜しい。
国土交通大臣に任命されたものの、宿敵、日教組との決着を焦り、
「(美しいふるさとに住む)子供のことを考えれば、しっかりとした教育を受け、幸せな人生を送ってほしい。」
などという理論で、大分県の教員汚職問題にくちばしを突っ込み、日教組を批判した。その過激な意見が、「住民のごね得」発言、「単一民族」発言との合わせ技一本となり、野党とワイドショーが好む「暴言を吐く政治家」に仕立てられてしまった。
引退決意後の、「自作自演」発言、東国原知事への懇願、「辞める」「辞めない」の二転三転など、目も当てられぬ。

遅くとも今年の秋までに衆議院は解散し、中山氏は議員ではなくなる。
議員としての職権を失うと同時に、手枷足枷の外れた中山氏が、どのような形で日教組に復讐戦を挑むのか。楽しみである。

続く

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2009年1月24日 (土)

[ニュース新書] 「喜美の乱」を田勢氏も評価。「戦いは一人でやるものだ。」

1/24の「週刊ニュース新書」のゲストは、衆議院議員、渡辺喜美氏。かつて行政改革担当相として、官僚主導の政治を変えようと公務員改革に取り組んだが、現自民党の改革を逆行させるような体制に反発、自民党を離党して無所属となった。

渡辺氏は己一人だけで自民党を離党。「政策集団」の結成や同志の存在もにおわせるが、個人名などはほとんど明かされず、今のところ自民党内で同調する動きも見えてこない。議員達もマスコミもどこか冷ややかな目を向けているような雰囲気だが、田勢氏の見方は違う。

「『たった一人の反乱』と言われているが私は違うと思う。こういった行動は本来一人でやるものだ。誰もついて来ない、拡がっていかないじゃないかとマスコミは言うが、この渡辺さんの捨て身の行動は、選挙後に起こりうる大きな動きの核になると思う。」と。
この言葉は、今の渡辺氏にとって最高に勇気づけられる言葉だったのではないか。

「一人でやるべき戦い」という言葉は大いにうなずける。かつての森政権における「加藤の乱」や、去年起こった民主党内の造反などもあったが、数を恃みにして大騒ぎしたものの、土壇場で足並みが揃わず自滅した。
渡辺氏は今回、自ら退路を断ち、己の覚悟を示したことで、現状に疑問を持つ者たちにも覚悟を迫ったのだ。

なぜ渡辺氏が一人で行動したか。新党ありきで現職議員を集めて行動を起こしたところで、今までと同じく国会の中での動きにしかならず、国民を置き去りにしてしまう。なので今は、無所属の江田憲司氏と二人で、新党結成よりも先に、各地を回り国民の声を吸い上げる「草の根運動」を優先しているという。

国民が直接、国の代表を選ぶ大統領制と違い、日本は選挙で選ばれた与党第一党の代表が国の代表となる。オバマ大統領の「変革」の熱気に包まれる米国を羨んでいても仕方が無い。渡辺喜美氏がオバマ大統領の求心力に遠く及ばないのもそれは仕方が無い。
それでもなお、渡辺喜美氏の行動を軸に大きなうねりが生じ、「結局は自民党」「消去法的に民主党」といった、希望の無い「二者択一」の結果にしかならない今の選挙が変わっていくことを切に願う。党ではなく候補者個人の信任を問う選挙、官僚ではなく信任を得た議員が、国民の声を反映できる政治を。

公式サイトによると、次回の「ニュース新書」のゲストは、「資本主義は嫌いですか」の著者、慶應義塾大学教授の竹森俊平氏。ちょうど最近読み始めたところだ。
やはりこの番組は見るべきだ。今週からまた毎週見よう。

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2009年1月22日 (木)

[ニュース新書] 遂に来るか、渡辺喜美!

「週刊ニュース新書」公式サイトの次回予告より抜粋。

【渡辺喜美元行革担当大臣がスタジオ生出演】 

”喜美の乱”の戦略とは何か?この動きは、水面下でどことつながっているのか?渡辺氏をスタジオに招き、本当の狙いを聞く。

満を持して登場、自民党を離党した渡辺喜美議員。彼が田勢氏の前で何を語るのか、これは絶対に見逃せない。
ニュース新書を見るのは1ヶ月ぶりか。

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2009年1月15日 (木)

[モヤさま] Again, please again. -六本木 後編-

大江アナはジャンケンがやけに弱い。関西で放送再開となった祐天寺以来、5回連続で負けている気がする。まだあったっけ。(スイカ、肉屋、爆弾、木彫りの熊、ミッキー)

「くまラーメン」に続く謎のラーメン第二弾、「ミッキーラーメン」。米国ネズミとは全く関係無い。黒っぽい濃厚そうなあんかけがかかっている。「XXのあんかけ」と店員が説明しているが聞き取れなかった。その名前と、一見すごそうな見た目で注文するのは躊躇しそうだが、案外美味いらしい。今度東京に行くことがあったら試してみたい。

ラーメンといえば、去年、関西某所に、いつの間にか藤崎奈々子(タレント)のラーメン屋なるものができた。繁華街ではなく、典型的なベッドタウンの、それも国道沿いに。潰れたラーメン屋を居抜きで買い取ったらしい。
行ってみた人に感想を訊くと、「いたって普通の豚骨ラーメンだった。」と…。

大竹のモノマネはひどかったが、「割れるのを怖がる風船おじさん」は笑えた。実際、どこかの店のゲームコーナーに似たような人がいた。70歳くらいの爺さんで、遊んでいる子供達に、風船でプードルや刀を作ってあげる好人物なのだが、手つきが不慣れで、たまに本当に割ってしまう。子供は驚いて泣き出し、母親は苦笑い。
長い風船の「先っちょ」発言も再び。大江アナ、普段はセクハラ発言だと気づかないことも多いが、今回はさすがに気づいてしまい赤面。きっと、全国のマニアの人は満足しただろう。

赤坂の千円自販機は、光るキリストの帽子、花の無いフラワーロック(類似品)、感電する懐中電灯、土鍋で栽培する水菜など、センスの悪さに磨きがかかっている。メジャーな場所にあるせいか、「売り切れ」が点灯しているボタンも多かった。この不景気でも、あれをやる人は結構いるのか。本当にこの番組の影響で流行っているのか。

今回の珍ブランドは「again japan 2008」。低級感あふれる腕時計だ。意味ありげでいて全く意味不明なこの名前。無理に推察するなら、「2008年の大不況から、もう一度よみがえれ、日本。」という祈りであろうか。それにしては製品の質感が不景気丸出しだが。むしろ100円のガチャガチャに入っていても違和感が無い。100円で出てきたら値頃感があるのでは。

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2009年1月 6日 (火)

[モヤさま] 与謝野経財相の真の敵は、六本木にあり。 -六本木 前編-

2週遅れの放送を、さらに1週遅れでレビュー。

現麻生内閣の、経済財政政策担当大臣、与謝野馨。自民党内きっての財政規律派として知られる。
2008年の総裁選においては、「社会保障の財源を確保する目的での消費税増税」を公約に掲げた。国民の多くにとって受け入れ難い「消費税増税」にあえて言及することで、高齢社会日本が抱える「社会保障財源」問題に対する議論を巻き起こした。

この回の「モヤさま」に出ていた、六本木で電器店を営むM氏。彼は幼少の頃、その与謝野馨氏を武力で押さえつけていたという。与謝野氏に「怖い人は誰か。」と尋ねたら、与謝野氏は今でも自分の名を出すはずだと豪語する。

大臣のように高い地位にある人にとっての本当の敵は、立場上対立する相手ではなく、こういった過去のしがらみなのではないか。それが恐怖の体験、屈辱的な経験であればなおさらだ。
どれだけ高い地位に上っても、どれほどの富を築いても、過去のしがらみは当時のまま、弱かったあの頃のままの姿で、その者を閉じ込めようとする。過去の呪縛は、経財相としての今の立場、今の与謝野氏を決して認めない。

日本の政治が、内閣が、国民になめられている。いや、世界の人々になめられている。
麻生総理の「先進国で最も早い不況脱出を目指す」発言など、現状を見ればお笑い種だ。
速やかに予算案を通し、党と考えを異にする者は離党、新党を結成した上で、解散総選挙をおこなうべきだ。もはや自民も民主も信任できない。再編をするなら選挙前に行った上で、改めて国民の信任を問うべきだと思う。そうでもしなければ、時間を浪費して大騒ぎしただけで、何も変わらないような気がする。今までがそうだったように。

[その他の感想]
六本木出雲大社での、「キャバ嬢にモテるお守り」という案は、商品としては良いと思う。
実現するには、出雲大社の正統な分祀という由緒正しさが、かえって足枷になるが。

雨に濡れた滑り台を登りきるという、どうでもいい努力をやりきる三人が好きだ。

さまぁ~ずの感動秘話、「あれは昭和から平成に替わろうとする頃…」という出だしだけは、感動秘話っぽい感じがした。

関西では1/4(日)放送の「忘年会」では、及川さん、大橋アナの二人が、あそこにいない大江アナを羨んでいるように見えた。「もっと紳士的に接して下さい。」という苦言も、まさに仲の良い兄妹のような絆が見えて微笑ましい。
(「QJ」の手記では、「二人とも普段はとても紳士的」と、大江アナ本人が言っていた。)
しかし、伊藤Pの他の番組って本当にヒドいな…。「モヤさま」のセクハラはコミュニケーションの一種として安心して見られるが、「アリケン」のそれはもはや犯罪だ。
大橋アナの忍耐に合掌。

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