「剛腕」小沢も「寝業師」野中には勝てず -「NHKスペシャル 永田町・権力の興亡」より-
11月1日から3夜連続で放送された、「NHKスペシャル 永田町・権力の興亡」。これは、あの1993年の自民党分裂・下野から、今年の自民党二度目の下野に至るまでの、小沢一郎 対 自民党の政局の流れを追ったドキュメント番組。これは見る人の受け止め方によって幾通りもの筋書きが生まれるドラマである。
軸となるのはもちろん、1993年に自民党を割り、敗北と挫折を繰り返しながらも、16年もの歳月をかけて遂に自民党を完膚無きまで叩きのめした「剛腕」小沢一郎。その小沢一郎と常に対峙したもう一つの軸が、自民党元幹事長・野中広務。
「剛腕」小沢一郎は、非自民8党派連立与党を手がけたり、渡辺美智雄・海部俊樹の「一本釣り」を試みたりと、自民党を崩し政界再編を成し遂げるには相当に強引な手段でもやってみせた。
しかし自民党には、小沢の上をいく「寝業師」野中広務がいた。「反共保守」として生まれた自民党を政権に復帰させる為に、革新政党である社会党との連立までやってしまう。社会党は自民党延命の為に生気を吸い取られ、小さくしぼんでしまった。
さらには宿敵・小沢一郎に頭を下げて連立に取り込み、それを足掛かりにして公明党を引き寄せ、公明党を懐に入れた後は早々に小沢自由党を切り捨てた。
野中は言った。
「私は高邁な政治など求めていなかった。党がいかに難局を乗り切るか、それしか考えていなかったよ。」
さすがの小沢も、野中が政界にいるうちには、本当の政権交代は果たせなかったのだ。
さて、このドキュメントではもちろん、私の大好きな「加藤の乱」の映像も流れたわけだが、改めて確認してみると、実際の流れは私の記憶とずいぶん違っていた。
内閣不信任案採決のあの日、加藤紘一・山崎拓両氏は、議場に行こうとしたところを谷垣氏らに引き留められ、その後で加藤氏が「名誉の撤退」を宣言したものだと思っていた。
しかし実際の映像を見ると順番が逆だった。2000年11月20日の不信任案採決前、加藤派・山崎派の合同総会が開かれた。その時は既に自身の敗北を知っていた加藤氏が最初に宣言した。
「ここは一時、名誉の撤退を行い、力を蓄えるべきと考えます。」
しかしその後、
「私と山崎拓さんは、二人で今から議場に行き、不信任案に賛成票を投じます。」
と言い、部屋を出ていくそぶりを見せた。冒頭に「一時撤退」と言っておきながら、長の二人だけが負けの決まった戦いに赴くというのだからまるで辻褄の合わぬ話である。
そんな加藤氏の前に立ちふさがったのが、現在の総裁、谷垣禎一氏。
「加藤先生、大将なんだから!一人で突撃なんて駄目ですよ!」
実際の言い方はけっこう早口だった。谷垣氏が発言し終わったのを見計らって、谷垣氏の横にいた杉山憲夫氏(かつて選挙に負けた新進党から真っ先に出て行った人)が、
「生きるも死ぬも一緒なんだよ。」
と付け加える。三文芝居やのう。
「加藤先生は大将なんだから!大将が突撃したら、みんなついていくんだから!」
さらに言う谷垣氏の目からは涙がこぼれ、その言葉に打たれた加藤氏も涙をにじませる。
そんな加藤氏の周りを、加藤派の同志たちが取り囲んで口々になだめた。
そこから少し離れたところで、山崎氏もまた、山崎派の同志達の説得を受けていた。
「大将は自重しなきゃ駄目ですよ!」
何だかもうグダグダの状態で、
「大将は部下たちを守る為、部下たちは大将を守る為に、涙をのんで撤退しなければならなかった。」
というもたれ合いの雰囲気を作りだしているうちに採決ははじまり、造反者たちは「不信任案賛成」ではなく「棄権」となって不信任案は否決。彼らはお咎めなしとなり、その後の選挙でも自民党公認候補として出馬した。
ただし、「大将」加藤紘一だけは後に、秘書の逮捕により党を追われる羽目になったが。いつの間にか復党してたけど。
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