政治

2009年11月 6日 (金)

「剛腕」小沢も「寝業師」野中には勝てず -「NHKスペシャル 永田町・権力の興亡」より-

11月1日から3夜連続で放送された、「NHKスペシャル 永田町・権力の興亡」。これは、あの1993年の自民党分裂・下野から、今年の自民党二度目の下野に至るまでの、小沢一郎 対 自民党の政局の流れを追ったドキュメント番組。これは見る人の受け止め方によって幾通りもの筋書きが生まれるドラマである。

軸となるのはもちろん、1993年に自民党を割り、敗北と挫折を繰り返しながらも、16年もの歳月をかけて遂に自民党を完膚無きまで叩きのめした「剛腕」小沢一郎。その小沢一郎と常に対峙したもう一つの軸が、自民党元幹事長・野中広務

「剛腕」小沢一郎は、非自民8党派連立与党を手がけたり、渡辺美智雄・海部俊樹の「一本釣り」を試みたりと、自民党を崩し政界再編を成し遂げるには相当に強引な手段でもやってみせた。
しかし自民党には、小沢の上をいく「寝業師」野中広務がいた。「反共保守」として生まれた自民党を政権に復帰させる為に、革新政党である社会党との連立までやってしまう。社会党は自民党延命の為に生気を吸い取られ、小さくしぼんでしまった。
さらには宿敵・小沢一郎に頭を下げて連立に取り込み、それを足掛かりにして公明党を引き寄せ、公明党を懐に入れた後は早々に小沢自由党を切り捨てた
野中は言った。

「私は高邁な政治など求めていなかった。党がいかに難局を乗り切るか、それしか考えていなかったよ。」

さすがの小沢も、野中が政界にいるうちには、本当の政権交代は果たせなかったのだ。

さて、このドキュメントではもちろん、私の大好きな「加藤の乱」の映像も流れたわけだが、改めて確認してみると、実際の流れは私の記憶とずいぶん違っていた

内閣不信任案採決のあの日、加藤紘一・山崎拓両氏は、議場に行こうとしたところを谷垣氏らに引き留められ、その後で加藤氏が「名誉の撤退」を宣言したものだと思っていた。

しかし実際の映像を見ると順番が逆だった。2000年11月20日の不信任案採決前、加藤派・山崎派の合同総会が開かれた。その時は既に自身の敗北を知っていた加藤氏が最初に宣言した。
「ここは一時、名誉の撤退を行い、力を蓄えるべきと考えます。」
しかしその後、
「私と山崎拓さんは、二人で今から議場に行き、不信任案に賛成票を投じます。」
と言い、部屋を出ていくそぶりを見せた。冒頭に「一時撤退」と言っておきながら、長の二人だけが負けの決まった戦いに赴くというのだからまるで辻褄の合わぬ話である。

そんな加藤氏の前に立ちふさがったのが、現在の総裁、谷垣禎一氏。
「加藤先生、大将なんだから!一人で突撃なんて駄目ですよ!
実際の言い方はけっこう早口だった。谷垣氏が発言し終わったのを見計らって、谷垣氏の横にいた杉山憲夫氏(かつて選挙に負けた新進党から真っ先に出て行った人)が、
「生きるも死ぬも一緒なんだよ。」
と付け加える。三文芝居やのう。

「加藤先生は大将なんだから!大将が突撃したら、みんなついていくんだから!
さらに言う谷垣氏の目からは涙がこぼれ、その言葉に打たれた加藤氏も涙をにじませる。
そんな加藤氏の周りを、加藤派の同志たちが取り囲んで口々になだめた。

そこから少し離れたところで、山崎氏もまた、山崎派の同志達の説得を受けていた。
「大将は自重しなきゃ駄目ですよ!」

何だかもうグダグダの状態で、
「大将は部下たちを守る為、部下たちは大将を守る為に、涙をのんで撤退しなければならなかった。」
というもたれ合いの雰囲気を作りだしているうちに採決ははじまり、造反者たちは「不信任案賛成」ではなく「棄権」となって不信任案は否決。彼らはお咎めなしとなり、その後の選挙でも自民党公認候補として出馬した。

ただし、「大将」加藤紘一だけは後に、秘書の逮捕により党を追われる羽目になったが。いつの間にか復党してたけど。

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2009年10月29日 (木)

中川秀直 町村派を退会

新聞各社は「離党、新党結成への布石か?」「みんなの党との連携もあるか?」と無理に物語を膨らまそうとしていたが、ただ居場所が無くなったから出ていったようにしか見えない。
今さら新党結成したところで笑いものになるだけでは。そんな真似はしないだろう。

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2009年10月14日 (水)

激しく燃えた石橋湛山

例によって戦中・戦後の歴史を調べていたのだが、石橋湛山という人が実に素晴らしい。

湛山は戦前・戦中に、論客として一貫し「反戦」「平和主義」を主張。当時においては彼の主張こそが「危険思想」だとみなされたが、湛山の信念は揺るがなかった。

「日本の帝国主義は間違っている。武力でもって『大東亜共栄圏』を築き欧米列強に対抗するなどというやり方ではアジア諸国の尊敬を得られない。直ちに植民地を解放し、平和主義を貫いてこそ、日本はアジア諸国の尊敬を得られ、アジアの盟主となれる。
平和主義などというと『抵抗せず列強の植民地になるつもりか』と言われるだろうが、列強は日本の国土など欲しがらないよ。」

戦後は蔵相に就任。今まで身の危険を顧みず反戦平和を訴えていたというのに、なぜかGHQに「戦争を扇動した」と言いがかりをつけられ公職追放に。そしてなぜか吉田茂首相も庇ってくれず(マッカーサーと渡り合える男ではなかったのか、茂)。
茂への恨みを忘れなかった湛山は、追放解除後に鳩山一郎を担ぎ、吉田茂失脚に一役買った。

時は流れ、1956年、遂に湛山は首相に就任した。「私は国民の気に入らない政策もやる」と豪語した湛山、あまりに頑張りすぎて、就任から二カ月も経たぬうちに過労で倒れた。長期の療養が必要と診断された湛山は、潔く辞任を表明
まさに疾風のような男。激しく燃えてあっけなく燃え尽きた男。憧れる。

参考資料:「戦う石橋湛山 -昭和史に異彩を放つ屈服なき言論-」 半藤一利 東洋経済新報社 (読みかけです)

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2009年10月 8日 (木)

政権交代とハト兄弟

首相となった兄ハトが、世界に向かって鳩山イニシアチブを提唱するなど華々しい活躍をしているのに、正義を貫いた弟ハトは、不正義な輩に財布を盗まれ‥‥。
いくら野に下ったとはいえ、こんなに惨めな思いをしなければならんのでしょうか。

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2009年10月 4日 (日)

中川昭一 元財務相 死去

親子二代に渡る悲劇。落選後、身を崩すのではないかと心配していたが、まさか…。やはり原因は睡眠薬なのか。
今さら何を言っても無意味か。無念だ。

ご冥福をお祈り申し上げる。

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2009年9月30日 (水)

本気で笑える「建設的野党」の真実 -「いますぐ読みたい 日本共産党の謎」より-

「いますぐ読みたい 日本共産党の謎」 筆坂秀世・監修 篠原常一郎・著 (特別寄稿:佐藤優) 徳間書店

元共産党議員、筆坂秀世氏。元外務省主任分析官の作家、佐藤優氏の著作の愛読者ならよくご存知であろうが、かつての「鈴木宗男事件」において、外務省からリークされた情報をもとに「ムネオハウス疑惑」を追及したあの人である。
著者の篠原常一郎氏は筆坂氏の元秘書。現在は二人とも日本共産党から離れている。そんな二人が、「是非とも普通の人々に、日本共産党の実態を知ってもらいたい。」という想いで執筆したのがこの本である。

本書は、一般人からの偏見に満ちた問いに対し、著者が丁寧に答える、という一問一答形式で書かれている。私は本屋で偶然見かけ、目次を開いた時に、

「えーと、共産党は過激派じゃないんですか?違いましたっけ!?」

などと書かれているのを見て、即、レジへと持って行った。

とにかくこれ、面白い。本気で笑えるので電車や喫茶店で読むのはあまりお勧めできない、と言いたいところだが、あまりに面白いから職場の同僚に話し、勧めてみたら、みんな引いてしまい誰も笑わなかった。…これは一体。

以下、見どころをかいつまんで紹介しよう。

「共産党は決して過激派ではない。確かに60年安保闘争の頃は過激派だったかも知れないが、今では過激派に攻撃される身分になってしまった。もはや被害者なのだ。」

「小泉政権時代のいわゆる"グローバリズム"に共産党は反対していたが、共産主義とは突き詰めればまさに"グローバリズム"だ。ではなぜ反対していたかって?言うまでもない。超大国アメリカに対する反体制としての立場で反対していた。」

「前委員長の不破哲三は、マルクス、レーニンら共産主義指導者の研究にばかり熱心で、現代日本が抱えている問題にはあまり関心が無かった。彼のように、理論ばかりで実行力に乏しい共産党員は、「不破(前委員長)」「志井(現委員長)」「ファシスト」をもじってフワシイストなどと呼ばれている。」

最も衝撃的だったのは以下の二つ。さすがに笑えない。

「93年、細川護煕の連立内閣が発足した時、下野した自民党は、共産党から野党のノウハウを学んだ。政権交代が起こった現在、再び"自共共闘"は起こり得る。」

「共産党は天皇制を否定しているが、2004年、不破哲三は天皇陛下主催の晩さん会に出席していた。しかも普通に招かれたわけではなく、招待していただけるように外務省へ必至の根回しをしていた。」

国会議員はともかく、市町村議会の共産党議員には、本当に親身になって困っている人の相談に乗ってくれる人、地域の為に汗をかける人が多いそうだ。それだけは最後に付け加えておきたい。

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2009年9月24日 (木)

平和を問う④ 生き延びた者の責任 -NHKドラマ「白洲次郎」最終回 「ラスプーチンの涙」より-

東京駅からメトロで約1時間。以前来た時はまさかの休館だったが、今度は入ることができた。旧白洲次郎邸、武相荘
NHKドラマ「白洲次郎」では一面の田園風景だったが、今はアスファルトの道路の中に、その建物と周りの小山だけが小さな島のように浮かんでいる。

庭園の草花は華やかでありながら奔放に伸びている感じで、まさに白洲夫妻のイメージに合っている。縁側から眺めた風景はまさしくドラマで映された風景そのままの雰囲気。次郎が実際に使っていたと思われる耕運機も無造作に置かれていた。

旅行から帰ってきた9/23(水)には、NHKドラマ「白洲次郎」最終回、「ラスプーチンの涙」が放送された。この回も確かに面白かったが、前の2回に比べ展開が急すぎて、講和条約に至るまでの経緯や通商産業省創設秘話がほとんど端折られていたのは実に惜しい。全4回が理想的だった。

日本国憲法成立後、ますます増長を続け、日本に傀儡政府を築こうとするGHQ民政局から吉田茂を守るため、謀略を用いて宿敵ケーディスを陥れた。民政局と対立するG2(GHQ参謀第二部)と裏で手を組み、不倫と金銭スキャンダルでケーディスを罠にかけ、日本から追い出すことに成功した。

「日本一カッコいい男」などと呼ばれるヒーローとして語るには避けたいエピソードだったのか、ドラマでは「不審な動きを新聞記者が嗅ぎつけた」という程度にしか触れられなかった。
だが私は、このエピソードこそかなり重要だと思っていた。卑怯な敵を倒すために一線を越え、敵をも凌ぐ汚い手段を用いる恐ろしさがあった。結果的に、この決断なくして茂を守ることはおそらく出来なかった。そんな決して綺麗ではない一面を描いてこそ、物語の主人公としての白洲次郎に深みが出るはず。

反面、このNHKのドラマは、いかにもテレビドラマらしい切り口で次郎の違う一面を映した。
次郎の近所に住んでいた青年。次郎曰く「土と語ることができる」その男は優れた百姓だったが、徴兵され、戦地で命を落とした。

「あの子、御国の為に、立派に死んでくれました。」

御国の為に死んだ息子を誇りに思い、涙を流す老母。当時の日本の常識で考えれば模範的な親子だが、次郎にはどうしても納得がいかなかった。

「彼は百姓として生きてこそ御国に貢献できたはずだ!戦争で命を落とすなんて馬鹿げている!」

終戦から数年を経ても、日本占領を背負った男は、己の農業の師匠であった青年の死を忘れなかった。

「生き延びた者達は、死んでいった者達の何倍も、必至に生きていく責任がある。」

生き延びた我らの手で、「英霊」となった人々が守りたかった日本国を取り戻さなければならない
次郎は、日本独立を阻む敵を倒すため、奴らを道連れに生き地獄へと堕ちる覚悟を決めた。

やがて訪れた講和条約調印式。茂が「トイレットペーパー」を読み上げる姿を、次郎はホテルのテレビで見守り、ウイスキーをあおりながら独り涙を流した。結構長い時間、このシーンが流れた。「日本占領が終わった瞬間」として重要な場面である。
この瞬間、当時の日本人達が流した涙の本質的な意味を、私は一生をかけて考えていきたいと思う。

9/28追記:トイレットペーパーの中身、すなわち「サンフランシスコ平和会議における吉田茂総理大臣の受諾演説」全文がインターネットで公開されていた。(下線が引かれた文章をクリックするとリンクする)

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2009年9月23日 (水)

平和を問う③ 昭和天皇の短歌 -靖国神社・遊就館にて-

「靖国そば」は具だくさんで美味かった。関西人は、関東の黒っぽい辛めのだしを嫌うが、個人的にはこれはこれで美味いと思う。関西のだしは薄いきつね色でどちらかというと甘め。どちらが好きかと言われると甲乙つけ難い。そんな私は珍しいだろうか。

靖国神社では、勢いよく投げた賽銭が賽銭箱の角に当たって、箱に入らず落ちてしまうという失態を犯した。…私は英霊に祈りを捧げる資格すら無い非国民なのでしょうか。

「太平洋戦争のA級戦犯」が祀られていることで何かと議論される靖国神社。この神社は大戦の戦没者のみを祀っているわけでなく、古くは明治維新や西南戦争などの、「国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた」人々の霊が、「身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)」として祀られている。(靖国神社公式Webサイトから引用)

靖国神社の境内には、「遊就館」という名の、古代から現代までに至る日本の歴史を伝える博物館がある。そこで伝えられる内容はとても緻密かつ豊富なので、全て見るにはそれなりの心構えがいる。

個人的に強烈に印象に残ったのが、昭和20年8月15日に行われた昭和天皇の「玉音放送」全文と、当時天皇が詠まれたという短歌だった。

みはいかに なるとも いくさとゝめけり たゝたふれゆく民をおもひて

昭和天皇のご生涯については、これからの私の研究テーマにしようと思う。「戦争と平和」を語るのには、まずそれを知り、考えなければならない気がする。

今回の旅行は非常に有意義だった。ここで色々と述べることはしないが、卑屈にならず、意志を持って生きていこうと思う。

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2009年9月22日 (火)

平和を問う② 生きた証を遺す -無言館にて-

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画家は愛するものしか描けない
相手と戦い 相手を憎んでいたら
画家は絵を描けない

一枚の絵を守ることは
『愛』と『平和』を守るということ

(無言館 「傷ついた画布(カンバス)のドーム」の前にある石碑)

東京を足がかりにして、私は長野の「無言館」に行って来た。「週刊ニュース新書」でも紹介された、戦没した画学生達の遺作が展示された美術館である。

いきなりだが、皆さんも、「自分の感覚は世間一般とズレているのだろうか。」と思う瞬間が無いだろうか。私の場合、この中でまさしくそう感じた。
絵を観て、解説を読んでも、不思議と涙は出なかった。胸の締め付けられるような感情が沸いてくることもなく、冷静に作品を観ていた。
「空腹に苛まれ、空襲警報が鳴り響く中で、ただひたむきに好きな絵を描いた。」
それだけが真実のような気がする。これらの絵にそれ以外の意味を見出すことは無かった。

私がそれらの絵を見て思ったのは、
「己の情熱を注いだ作品が遺る。それを後世の人々が守っていく。これこそが素晴らしいことだ。」
ということだ。

私の家には、妹達が書道の展覧会に出展した作品が今でも残っている。祖父母が取っておいたのだ。今は私が引き取って自分の部屋に飾っている。実の兄だから解るが、やはり字にも人柄が表れる気がする。

別に芸術家や有名人ではなくても、何か自分が情熱を注いだ「作品」を残すのは価値があることかも知れない。才能があるとは言えないアマチュアのミュージシャンでも、1曲だけわりと良い曲を作ることが多い。それは「音楽ば〜か」のシーズン1を見ていても思った。きっとありったけの想いがそこに宿ったのだろう。いわゆる「一発屋」のミュージシャンもその類かも知れない。

私はこんなblogを作っているが、消えれば無くなる電子データであるし、全て元ネタのあるものなので作品とは言い難い。「生きた証としての作品を残す」ということを今日から真剣に考えていこうと思う。

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2009年9月21日 (月)

平和を問う① 下野した今こそ国防を語る 石破茂の「希望戦士ISHIDAM」 -秋葉原にて-

政界きっての国防政策通、自民党議員、石破茂。自他共に認める「軍事マニア」である石破氏は、戦争のトラウマから国防についての議論を避け続ける日本人達に警鐘を鳴らす。
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秋葉原には、「漫画好き」で知られる麻生太郎前総理のキャラクター商品を売る店が存在する。店名は忘れた。袋には「江戸うさぎ」と書いてあるが、これはおそらく本店(住所は西日暮里になっている)で、私が買った店とは別のようだ。でも麻生氏の似顔絵が看板なのですぐに解る。

そんなお店の新製品が、「国防通」石破茂元防衛大臣をモチーフにした、この「希望戦士 ISHIDAM」、言うまでもなく「機動戦士ガンダム」のパロディだ。中身はプラモデルではなく、石破氏の地元鳥取名産品、二十世紀梨果汁入りまんじゅうである。

箱の説明書きより
「希望戦士イシダムは、日本の平和を守る愛国の戦士。自慢の丁寧な口調と愛するプラモデルで日夜戦っている!」

箱の中にはオリジナル缶バッジ入り。そして今なら、一箱に一つ、麻生太郎マスコット人形が付いてくる。ちぎれた「アド街」お守りストラップの替わりに携帯電話に付けておいた。(追記:太郎人形もわずか2日でちぎれた。)

これを売っている店はいかにも「秋葉原の今」を象徴するようなお店で、店員は巫女の姿をしていたので少し驚いた。
巫女姿の女性は、アニメの声優っぽい甘い声で言った。
「美味しくなる為のおまじないをおかけしてもよろしいですか?」
私はSなので「ダメです」と言われた時の彼女の反応を楽し別に断る理由も無いのでただ「はい。」と答えると、巫女さんは人差し指と中指を立ててまんじゅうの箱が入った袋を指した。真言(マントラ)でも唱えるのかと思ったら、

(アニメ声で)「美味しくなぁ〜れっ!(以下、文章にするのが恥ずかしいので省略)」

そちらの業界に疎い私はそのノリに付いていけず、見ている方が恥ずかしくなって笑いをこらえるのに必至だったが、そんな「素人」の前でも営業スマイルで元気一杯にやってみせる彼女には、プロとしての矜持を感じた。
秋葉原のモヤモヤスポットとしてお勧め、と言いたいところだが、あの街では正統派の店か。

それにしても秋葉原、今や「メイドマッサージ」「ひざまくら耳かき」などという不思議な店の看板が並び、街のあちこちでコスプレ衣装を着た女性達が、通行人の男性と会話を楽しみ、店に引き込んでいく。えらいことになっている……。「風営法に抵触するのでは。」という議論が持ち上がるのも、さもありなんといった感じか。
大阪の日本橋も今ではこれと似たような街になってきているが…。

「モヤさま」でも一度、「アニメ・電気抜きの秋葉原」に挑戦してみては如何でしょう。

追記:
「希望戦士ISHIDAM」誕生秘話を伝える記事を見つけた(記事はこちら)。この商品を企画した人は、昨年の総裁選において、日本の国防について語る石破氏の演説に感動し、「あの感動を商品にしたい」という純粋な思いから、国防の化身「ISHIDAM」を思いついたのだという。
確かにこのパッケージ、決して茶化しているわけではなく、石破氏に対する強い愛を感じる。「日本を守る愛国戦士」なんて、政治家に対してはこれ以上ないほどの賛辞だ。

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2009年9月15日 (火)

自民党改革を目指す河野太郎 盟友・山内康一を救った渡辺喜美に謝意

結局は谷垣氏が選ばれるような気がするが、河野太郎氏が自民党総裁になれば面白いと思う。麻生派に所属しながら「アニメの殿堂はいらない。」と言い切り、あの渡辺喜美氏に勧誘されている河野太郎氏が。世襲議員にしては珍しく、父親よりもよほど気骨ある人物に見える。
総裁選に敗れたら、思い切ってみんなの党に移り、政界再編の台風の目になるという手もありかと思う。

そんなことを思いながら、寝ようと思いつつも、河野太郎氏のblog「ごまめの歯ぎしり」を初めて読んでみた。
父親・河野洋平氏に肝臓を提供したことのある太郎氏は、親子二代の執念として何としても衆院解散前に臓器移植法改正案を成立させ、臓器移植の規制緩和を実現しようとした。その際、法案成立に向けて太郎氏と共に精力的に動いたのが、いわゆる「小泉チルドレン」の一年生議員、山内康一氏

世論は賛否両論あったものの、彼らの活動は実り、最も規制の緩い臓器移植法A案が成立。
しかし衆院解散後、改革推進派である山内氏は、「今の自民党が進んでいる方向と、自分が目指す方向とは大きくずれている」と、自民党離党を表明。同じく改革派でありながら、自民党に残ることを選んだ太郎氏が留意しようとしても止めきれず、山内氏は離党、渡辺喜美氏の みんなの党へ参加した。

「院内へ行く地下通路で山内康一代議士とすれ違う。
(離党届を)やっぱり出すのか。
解散したら、党本部で。
残念ながら慰留しきれなかった。彼のような人材を失うのは自民党としてももの凄くいたい。」(blogの記事「衆議院解散」より引用)

太郎氏は、小泉チルドレンの中でも、本当に将来の自民党を担いうると見込んでいた山内氏の離党を心から惜しんだ。

「自民党太陽系の中で、河野太郎が冥王星なら、山内康一はハレー彗星と呼ばれていたが、いつか太陽系の中心を動かして、俺たちが真ん中になるぞと言ってきた。」(同)

自民党にかつてないほどの逆風が吹いた2009年の衆院選。ほとんど民主党の独り勝ちとなり、前回衆院選では注目の的となった「小泉チルドレン」が壊滅状態となる中で、みんなの党の山内氏は当選を果たした。
道が分かれたものの、己の見込んだ山内氏が再選されたことを喜んだ太郎氏は、渡辺喜美氏に「山内康一を救ってくれたお礼を申し上げ」たという。(blogの記事「ダースベイダー」より)
命を懸けて共に戦った絆は強い。思わず涙が滲んだ。

そんな河野太郎氏。自らが改革推進者であり政界再編論者でありながら、衆院惨敗後もなお諦めず、自らが総裁選に名乗りを挙げることで党内改革に取り組もうとしている。「脱派閥政治」の仕上げを行おうとしている。
それはそれで結構なことだ。まだ推薦人の確保もできていない段階だが、是非とも総裁選を勝ち抜いてもらいたいと思う。

しかし自民党は、まさしく喜美氏の言葉通り「ダースベイダーばかりが生き残った」のだ。両院議員総会のもようを見ると「まだあんなことを言っているのか!」と心底呆れた。
喜美氏の悲劇の再現となるくらいなら、早目に決断して、みんなの党でかつての盟友達と共に再出発したほうが良いのではないか。自民党の看板だけは必至で守りたがる、ダースベイダー達との戦いに(最長)あと4年費やすのは実に勿体無い。

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2009年9月14日 (月)

野に放たれた獣 「日教組と戦う男」中山成彬 輿石東に牙を剥く?

ややこしい用事はようやく片付きそうなので、「モヤさま」レビューは9/15(火)に更新予定。延期に次ぐ延期で誠に申し訳ありません。

「日教組と戦う男」中山成彬 元国土交通大臣が、自民宮崎県連から除名処分を食らったという。

中山氏は、一度は引退を表明したものの、憎き日教組の支持を受ける民主党政権が誕生することに危機感を持ち、
「やっぱり立候補したいから、自分を宮崎1区で公認候補にしてほしい。」
などと要求。自民系候補が二人立候補したせいで自民・公明票が割れ、民主系無所属候補の川村秀三郎氏に議席を奪われた

中山氏と上杉光弘氏(自民党宮崎県連公認)の票を単純に併せるとわずかに川村氏を上回ったことや、中山氏が2007年の宮崎県知事選で、持永哲志氏(自民・公明推薦)ではなく、ほかならぬ川村秀三郎氏(民主・社民推薦)を応援していたことなどを考えると本当に皮肉だ。
さらに身も蓋も無いことを言えば、中山氏が引き起こした国交相辞任騒動と、自民党宮崎県連のお家騒動、どちらも民主党政権誕生に少なからず貢献したのは間違いない。

そんな諸々の事情があって、宮崎県連は、「ただ除名処分にするだけでは怒りが収まらない。」といった様子だとか。(西日本新聞より)

ところで、民主党マニフェストの「15.すべての人に質の高い教育を提供する」では、

「教員の養成課程を6年制とし、養成と研修の充実を図る」
「公立小中学校は保護者や地域住民などが参画する『学校理事会』が運営」
「教育行政全体を厳格に監視する『教育監査委員会』を設置」

などと、一見すれば英国のサッチャー教育改革をモデルにした抜本的改革を掲げている。
しかし、自身も日教組傘下の団体で委員長を務めていた、民主党参議院議員会長の輿石東氏は、教員免許更新制度の廃止に意欲を見せているという。

これは一体どういうことなのか。輿石氏の独断で言った(と思いたい)のだろうが、選挙前の「教育の政治的中立などあり得ない。」という発言といい、非常に気になる。彼と同じような考えの民主党議員はどれほどいるのか。鳩山内閣の文部科学大臣には誰が就任するのか。そもそも、マニフェストに書かれた教育改革を提案したのは誰で、これについて輿石氏らはどう考えているのか
マニフェストにある「教員免許制度を抜本的に見直す」というのは逆戻りするということだったのか、と捉えられかねない。(現に産経新聞の記事は「逆戻り」のことだと解釈しているようだ。)

そんな中、日教組の天敵、中山成彬氏が遂に、首輪を外されて野に放たれた。
自民党議員としての地位、己が長年仕えた組織、共に歩んだ盟友、そして矜持……。全てを失った中山氏。
そして今まさに、彼の恐れた民主党政権が誕生しようとしている。
この先の中山氏は、田母神俊夫 元空軍幕僚長のように、教育改革を訴える論客として精力的に活動すると私は予想している。そして、そうなることを多少は期待している。

ただ、(思想の賛否は別にして)田母神氏は明るくてユーモアセンスがあり、テレビ出演も器用にこなすので、若い女性などにも意外と人気があると聞く。
中山氏はそんなに器用だとは思えないし、公認をめぐるゴタゴタなど、数々の言動を見ていると、やはりいささか問題のある人物なのかと思わざるを得ない。

どうか、国交相辞任前の時のように決着を急いで感情的にならず、潰し合いではなく地道に、正攻法で国民達に語りかけていってもらいたい。国交相辞任騒動で確かに関心が高まった面はある。「地殻変動」が起きている今こそ、国民達は「改善する意思」を持ちはじめているのではないかと思う。

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2009年9月11日 (金)

「ミスター年金」 長妻昭が内閣入り

「郵政造反議員」の大物、亀井静香氏(国民新党代表)が総務相、「非正規雇用」そのものを憎んでいるようにさえ見える福島瑞穂氏(社民党党首)が雇用担当の閣僚か…。元郵政民営化担当大臣で、現在は人材派遣会社大手「パソナ」の会長である竹中平蔵氏の感想を聞いてみたいものだ。

上記二人は置くとして、注目すべきはやはりこの人だ。
「ミスター年金」こと長妻昭氏(民主党政調会長代理)。年金担当相、もしくは首相直属の行政刷新会議担当相などのポストが検討されているという。まさしく長妻氏の真価が問われるような役割を任されることになる。

元「日経ビジネス」誌の記者である長妻氏は、「自分の年金納付記録が消えてしまった」と訴える人々を自ら「取材」、その情報をきっかけに社会保険庁を追及した結果、5000万件にものぼる「中に浮いた年金記録」が明るみに出た。
長妻議員が暴いた「消えた年金」問題は、今まで泣き寝入りをしていた被害者から喝采を浴びると共に、堕落した社会保険庁を解体に追い込んだ。この時に自民党が受けた打撃は致命傷となり、2007年の参院選大敗、そして2009年衆院選後の野党転落へと繋がった。

「消えた年金」問題にとどまらず、「居酒屋タクシー」問題や、官僚の「天下り」「渡り」の問題など、これまで数々の不正を徹底追及してきた長妻氏。
そんな長妻氏がちょうど一年前に出した『闘う政治 手綱を握って馬に乗れ』(講談社)という本がある。この中に記されていた、官僚の天下り問題を追及した時の話がなかなか面白い。

長妻氏が天下りのあっ旋問題を追求し続けた結果、
「各省庁が官僚の再就職先(天下り先)をあっ旋すること自体は問題ではない。再就職先から能力を買われて要請を受ける場合もある。もしそうではなく押しつけ的なあっ旋があるとすればそれは好ましくないことだ。」
という、政府の公式見解が出された。
しかし、そんな「公式見解」を知ってか知らずか、2007年6月6日の衆議院内閣委員会で、当時の渡辺喜美行政改革担当大臣は、長妻氏の「押しつけ的あっ旋」に関する質問に対し、正直にこう答弁したという。

「私としては、いわゆる押しつけ的あっ旋の件数は、確認された限りで1968人、3年間でございますが、と受けとめております。」(P.78-79)

長妻氏が把握していた、2004年から2006年までの3年間で天下りをあっ旋された総人数も1968人。喜美氏が言った「押しつけ的あっ旋の件数」にぴたりと一致した。一人の例外も無く全て「押しつけ的あっ旋」であると行革担当相が認めてしまったのだ。喜美氏が確信犯であることは言うまでもない。

そんな恐るべき改革者、渡辺喜美氏を、ジャーナリストの大下英治氏は、著書『民主党政権』(KKベストセラーズ)でこのように評した。

行政改革を訴えた政治家は枚挙にいとまがない。だが、本物はごくわずかだ。渡辺はその中の一人だった。内閣府特命担当相(規制改革担当)だったころ、中央官庁の官僚は口を極めて渡辺をののしったものだ。本気の悪口だった。渡辺の改革がいかに彼らに疎まれているかがよくわかる。裏返せば、一見地味であっても国民のためになる真の改革を実行しようとしていたということだ。 (P.20)

当時の野党議員として政府の最も痛いところを確実に狙ってきた長妻昭氏と、行政改革担当大臣としての説明責任を果たしてしまった渡辺喜美氏。
鳩山内閣では二人の立場が逆転する。そして今度こそはお互い徹底的にやり抜くだろう

菅直人、長妻昭らの所属する鳩山内閣と、渡辺喜美、江田憲司らの「ゆ党」みんなの党が、行政改革をめぐり激しく対決する。その炎が霞ヶ関を包む。これは見ものである。

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2009年9月 8日 (火)

「小沢幹事長 最後の戦い」にロマンを感じる

民主党 小沢一郎代表代行が次期幹事長に 岡田克也幹事長は外務大臣に内定

「二重権力」「小沢が党を支配し内閣にも影響を及ぼす」「岡田は重要ポストに体よく追いやられた」などと、発表直後から新聞各社はどこも大騒ぎだったが、いきなりそう煽らなくても良いのでは。そういう歴史をさんざん見てきたのはわかるが、まずは冷静に見守ってみてはどうか。

空想家の私が、あえて新聞各社とは違う角度から、多くを語らぬ小沢氏の「真意」を想像してみた時に出た答え。これは、与党となった民主党を芯から強くする為の最後の仕掛けなのではないか。

小沢氏は、今回初当選した大勢の一年生議員に対して、
「浮かれていると小泉チルドレンの二の轍を踏むぞ!」
と檄を飛ばしたという。きっと有権者の多くが、開票結果を見たあの時から同じことを思っているだろう。
小沢氏は、幹事長として責任を持ち、彼らを育成するという姿勢を見せている。それ自体は良いことであるが、小沢氏が大勢の従順な部下を従えることで、党内での己の権力をより強固にすると恐れられている。

そんな小沢氏に対して、とうに「親離れ」を果たした岡田克也氏を筆頭に、前の代表選で岡田氏を担いだ玄葉光一郎氏、切れ味抜群の「ミスター年金」長妻昭氏、前原誠司氏率いる凌雲会、野田佳彦氏率いる花斉会などの「非小沢勢力」はどうするのか。どうなってしまうのか。
ここが重要かと思う。もしかすると小沢氏は、彼ら次世代のリーダーとなる議員達に「俺の背中を越えてみせろ」と立ちはだかっているのかも知れない。これは彼らに対する「最後の試練」なのではないか。

小沢氏が代表になる前の民主党は、金に清潔で見た目も悪くなく、政策議論が大好きだが、選挙は風頼みで足腰が弱い人々の集まる「サークル的」な政党だったという。これではいつまでも政権は取れないと、「どぶ板選挙」に象徴される小沢氏の選挙戦術で徐々に鍛え上げられ筋肉質になり、今回遂に自公政権に圧勝した。

今はまだ「豪腕」小沢一郎の力が必要かも知れない。しかしこの4年間が勝負だ。
内閣は当初の宣言どおり、小沢氏の影響力を食い止めて内閣主導の行政を実現しつつ、育ってきた「小沢チルドレン」の中からこれはと思う人材を徐々に「親離れ」させていかなければならない
自民党の派閥とは違い、民主党の党内グループは掛け持ちも普通に行われているようだ。簡単ではないだろうが、小沢氏から少し距離を置いたところでも活動させ、取り込んでいくしかない。

小沢氏がかつて師匠、田中角栄のもとから去った時と同じように、最後には小沢氏自身が、己が育てた議員達に引導を渡されるのだ。非情であるが、それが古い政治への決別の儀式である。
自民党政治を壊した「破壊者」は、最後は自らが葬られることで古い政治の幕を引く。そうすれば小沢一郎は平成の西郷隆盛になれる。

普段からこんなことばかり考えている私は、女性にはあまり好かれない。

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2009年9月 1日 (火)

みんなの党 比例単独なら あと2議席取れていた

当blogを読んでいただいている方々はお気づきかと思うが、管理人はみんなの党支持者である。所属政党に関わらず議員個人として応援している人は何人かいるが、みんなの党ができるまでは無党派だった。

渡辺喜美代表率いる、「脱官僚」を掲げる みんなの党。開票時、一部の報道で「7議席獲得決定か」と言われたが、最終的には5議席だった。

「7議席」は誤報ではあったが、それなりの根拠はあった。
比例近畿ブロック、東海ブロックで、本来であれば1議席獲得できるだけの票を得ていた。しかし、近畿の吉野宏一候補、東海の佐藤剛候補は共に小選挙区との重複候補で、小選挙区での得票が規定得票(1割)に満たなかったので、復活当選の資格を得られなかったのだ。逆に言えば比例単独なら当選していたということであり、そう考えると非常に勿体無い気がする。(読売新聞の記事より)

「脱官僚 バラマキ反対」の政策を支持した有権者が広い範囲で見れば一定の数になっていたものの、喜美氏、江田氏を除けば地盤も固まっておらず知名度も低いので、小選挙区では完全に埋没してしまった。できたばかりの党の認知度を深める為に重複候補にしたのだろうが、結果として民主党の強すぎる勢いに潰される結果となった。

選挙翌日の31日、NHKで、各党の党首または幹事長が出演した討論番組において、みんなの党の党務(幹事長格)江田憲司氏は、民主党の岡田幹事長に向かって言った。

「われわれは政権の中で実際に中央省庁再編や公務員改革をやってきた。もし協力を求められれば、ノウハウや経験(の提供)を惜しむものでは全くない」(時事通信の記事から抜粋)

この番組、私もたまたま見ていたのだが、それを聞いていた岡田幹事長の表情は硬かった。みんなの党は、民主党が脱官僚を掲げていること自体は大いに賛成しているが、民主党の福祉政策や高速道路無料化などには「バラまき」そのものだと公然と批判していた。民主党トップ達はそれを見て激怒し、公示前に模索していた連携は民主党から断る形になった。それでもなお みんなの党は民主党へ引き続き働きかけているが、連立が実現する可能性はまず無いだろう。

何とも歯がゆい思いがある。民主党が力を借りるべきなのは、社民党や国民新党ではなく みんなの党だと思う。新党大地の宗男さんあたりがうまく橋渡ししてくれないかな。(そんな小説的発想でいけるはず無いと思うが。)
みんなの党には、来年の参院選で結果を出してもらうしかないだろう。今度こそキャスティングボードを握ってもらいたい。

みんなの党の先生方には、どうか「霞ヶ関改革」と「バラまきの歯止め」、この両方を成し遂げてもらいたい。有権者達の多くが本当に「政権交代ブルー」になってしまった今こそ、みんなの党の主張は届くはず。

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2009年8月31日 (月)

歴史的瞬間の翌日 この静かさ

歴史的瞬間が訪れたというのに、民主党議員達も、それを支持した国民達もまるで浮かれていない。前者は実際のところどうなのか知らないが、後者は本当に見なかった。私のように
「民主党のマニフェストが本当に全て実現されても困る。」
という人は何人かいた。

今回は、有権者達が手厚い福祉政策に惹かれたわけでもなければ、小泉総理の「痛みを伴う改革」のときのような熱狂にとりつかれたわけでもなく、今度こそ本気で腹を括った結果ではないかと思う。民主党に政権が移れば混乱は避けられないが、自民党政権を一度壊してやり直さないことにはどうしようもないと。
国民の政治に関する意識は高まったと思う。
次の参院選では、浮動票集めにタレントを起用している場合ではなくなると思う。そうなるよう祈りたい。

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公明党 小選挙区全敗の衝撃

支持母体との連携と緻密な調査で、勝てる勝負しかしない政党だと思っていたが、いかに強力な組織といえど無党派層に見放されたら勝てなかったか。大して関心がないので友人・知人に言われるまま公明党に入れていた、という人たちがそっぽを向いたらこうなったというのだろうか。

解党的出直しを迫られたのは公明党のほうでは。退路を断って小選挙区のみで勝負したのは、それでもなお最後には組織の結束が実を結ぶと信じていたのだろう。私もそう思っていたのだが。

現在午前2時。NHKの開票速報では残り2議席未確定。気になるけど、明日(今日だけど)は早番出勤なので寝ないと…。

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新党大地の鈴木宗男 北方領土返還交渉の決意を新たに

新党大地は前回と同じく1議席獲得、鈴木宗男代表が当選。2議席獲得は成らなかった。

民主党と協力態勢にある新党大地、
「民主党と協力し、6ヶ月以内に北方領土返還の道筋をつけたい。その為には私も全面的に協力する。」
と悲願を改めて語った。

対露外交重視だった鳩山一郎の孫である鳩山由紀夫氏と、橋本、小渕、森内閣でロシアとのパイプを築いてきた鈴木宗男氏、これは期待が持てそうだが、現在係争中の裁判で鈴木宗男氏の有罪が確定すれば失職となる。既に元外務省専門職員だった佐藤優氏の有罪は確定しており、宗男氏が無罪になる可能性は極めて低いと見られている。
間に合ってくれるか…?それとも裁判に奇跡が起こるか。

(政権交代となった今、ここで宗男氏が無罪になったら、また色々な憶測が飛び交うのではないかという別の不安もあるが。)

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みんなの党は「ゆ党」になる?

渡辺喜美元行革相率いる「みんなの党」。選挙前は衆議院4議席だったが、31日1時時点で5議席獲得。
しかし、民主党が圧勝してしまいキャスティングボードを握る立場にはなれず。
小政党ながら、
「公務員改革では協力したいが、言いたいことはいわせてもらう。」
と主張したことが反発を招いたのか、民主圧勝の予想が強まるにつれ、民主党のみんなの党に対する態度は冷たくなった。どうやら民主・みんなの党の連立は無くなったようだ。

そんなみんなの党の渡辺代表が、30日の開票時、記者に対し語った。渡辺代表は、民主党の出方次第では協力に応じるとまだ諦めておらず。

「民主党がどれだけたくさん議席を取っても、それは違うと言える政党があった方がいい。言いたいことを言わせていただく」
「協力の仕方にはいろいろある。閣外協力もあれば、与党でも野党でもない『ゆ党』というのもある」

かつての民主党のどっちつかずな態度を皮肉って言われた「ゆ党」という言葉をあえて使い、自分達も公務員改革実現に向かって活動するが、妥協して政権入りするつもりもなく是々非々の態度を取るということのようだ。

比例区の得票を見ると、選挙区によっては社民に勝つなどそれなりに健闘している。次期参院選でも議席を増やし、民主党のチェック機能としての役割を期待したい。

平沼グループは3議席止まりか。自民が分裂するなら、いくらか合流する議員がいるかも知れない。
国民新党の綿貫代表は民主躍進に埋没し落選。

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2009年8月27日 (木)

民主党紳士録 (3) 「怖いくらい一直線」 岡田克也

岡田克也幹事長については、過去の記事 「岡田の一徹」、「ずるい男 細川護煕の最終章」でも取り上げたので、そちらも併せてご覧いただきたい。

2004年、当時の菅直人代表に年金未納が発覚。辞任した菅の後任に決まりつつあった小沢一郎にもやはり未納があった。2ヶ月後に参院選が迫っているというのにボロボロの民主党。そんな中で「火中の栗」を拾わされたのが、年金未納などあり得ぬ「真面目一徹」の男、岡田克也。

元通産官僚で政策通として知られ、共に政策作成に携わっていた中堅・若手の信望は厚かった。
しかし、コンビニのおにぎりすら奢られるのが嫌で割り勘にする救いようのない真面目さと頑固さ、駆け引きを嫌う正攻法一本槍の政治姿勢は、野党の党首に向いているとは言えず、選挙戦で「風」を起こすことはできないのではないかと見られていた。

しかし参院選公示直前になって、当時の小泉純一郎首相の年金未納と、衆院選に落選し無職となっていた時期に勤務実態が無い会社から給料を受け取っていた上に、厚生年金にも入れてもらっていた問題が発覚。それを岡田に追求された小泉は、
「人生いろいろ、会社もいろいろ。」
という後世に残る失言を発した。
これが、すでに燃え盛っていた「年金不信」に油をぶっかけるような騒ぎになり、さすがの小泉も国民から見放された。振り返れば民主党の「真面目」な岡田代表が、年金の一元化を訴えている。思いがけず、誰も期待していなかった「岡田ブーム」が起こった

敵失から、図らずしも「いいかげんな小泉 対 真面目な岡田」という有利な構図を形作ることに成功し、勝手に追い風が吹いた岡田民主党。結果は12議席増の50議席、自民は49議席で、わずか1議席であるが民主党が比較第一党となった。
2005年衆院選の歴史的大敗で語られることが多い岡田であるが、その前の2004年参院選では、あの小泉を相手に勝利し、後の「ねじれ国会」の礎を築いていたのだ。

2005年のいわゆる「郵政選挙」。自民党は民営化推進派と反対派に割れて争い、民主党は「二虎競食の計」で政権奪取できるかと喜んだが大間違いだった。マスコミは小泉にうまく利用され、自民党の内輪の争いが国民の関心を集めて、民主党は「その他」扱いをされて埋没した。

それでもなお、「郵政民営化よりも優先すべきことはたくさんある。」と信じた岡田は、「日本を、あきらめない。」という悲壮感すら漂うスローガンを掲げ、年金改革・高齢者医療制度創設・子育て支援などの政策を訴えた。
これが言わば「解りやすい小泉 対 難しい岡田」の構図になり、世間の注目する勝負は「自公 対 野党」ではなく「刺客候補 対 造反議員」だった。結果、民主党は62議席減の113議席という結党以来はじめての惨敗となった。

選挙の結果が確定した後、岡田はその場で代表辞任を表明。
衆院選直後に語られた、
「政治とは真面目なものであるべき。」「マスコミは今回の選挙を自省してもらいたい。」
という発言は、その後の選挙報道に影響を与えた。
2009年の衆院選、小沢一郎が「小沢ガールズ」などと呼ばれる女性新人候補を擁立、自民党の重鎮議員達の選挙区に刺客として送り込んだが、それに対する報道は、当時の「小泉チルドレン」報道に比べれば格段に抑え目だ。(それでも充分騒がれている、という見方もできるが。)

「金集めの上手さで総理の椅子を争う」自民党の派閥政治に失望し、一年生議員の頃から政治改革を第一の目標として活動してきた岡田克也。しかし、いざ念願の政権交代というところで、当時の小沢一郎代表の「西松建設疑惑」が発覚、泥沼化した。これぞ岡田が最も憎むもの。
その小沢が代表を辞任し、後任を決める代表選に名乗りをあげた時の岡田は、かつて代表だった頃と比べ別人のように頬が削げていた。心労が重なった為であろう。

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2009年8月26日 (水)

民主党紳士録 (2) 「野心家」 菅直人

菅直人が大学生の頃は、まさに「全共闘」の全盛期だった。自身も学生組織を結成、後に市民運動へと移っていったのが政治の原点。
四度目の挑戦で初当選、社民連所属の衆議院議員として13年間活動した後、1994年に新党さきがけへ入党。橋本内閣で厚生大臣に就任した。

厚生官僚たちの抵抗を押し切って「薬害エイズ問題」の資料を暴き、国の責任を認め謝罪したことで、「単身で官僚機構と闘う政治家」というこれ以上無いほどの名声を手に入れ、絶大な人気を得た。これが新党結成を目指す鳩山由紀夫の目に留まった。
民主党結党の一日前に、菅はさきがけを離党し民主党に参加。初代代表に就任した。
(民主党初代代表は、鳩山由紀夫、菅直人の二人代表)

菅は意外と野心家で、一年生議員の頃から、
「総理大臣になるにはどうすればいいのだろう。」
と口に出していたという。

国民的人気とは裏腹に党内の人望はいま一つ。冷徹な合理主義者で頭の回転も速いが、妥協することを知らず、議論になると徹底的に相手をねじ伏せたために「独善的」と見られることも多いらしい。気の短さと攻撃性の強さから「イラ菅」「バル菅」などとあだ名された。

また、自身が代表を務めたころの選挙では、影を効果的に使った「ファッション誌風」のポスターを作ったり、マニフェストやパンレットで訴えるメッセージは「民主党から」ではなく「菅直人から国民のみなさまへ」となっていたりと自己愛が強く感じられる。

2003年9月、一度は失敗した自由党との合併を成し遂げ、いわゆる「現民主党」の体制となった。
そして2004年。自民党 小泉内閣の中川昭一経済産業大臣、麻生太郎総務大臣、石破茂防衛庁長官の三人が国民年金を納めていなかった事実が発覚、菅は三人を「だんご3兄弟」(当時のヒット曲)にかけて「未納3兄弟」などと名づけ、ワイドショーに格好のネタを提供した。

しかしその直後、元厚生大臣の菅直人自身にも未納の時期があったことが発覚(後に行政側の過失が判明)。まさしく「敵に投げたブーメランが戻ってきた」わけである。
菅は代表を辞任。頭を丸めてお遍路姿となり、四国八十八ヶ所を「お詫び行脚」するというパフォーマンスで、ワイドショーにもうひとつのネタを提供した。

政権交代目前というところで、鳩山代表の「故人献金疑惑」が持ち上がり、鳩山代表の総理就任に疑問の声が上がり始めた時、
「己に運が巡ってきたと感じた菅直人が、裏で動き始めた。」
などと週刊誌に書かれていたが、真偽は定かではない。

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民主党紳士録 (1) 「非永田町的人間」 鳩山由紀夫

民主党創始者の一人であり現在の代表、鳩山由紀夫。意外にも彼は、政治家になる前は科学者だった。弟の邦夫と違い、もともとは政治家になる気など無かったが、留学先の米国で、星条旗のもとに団結できる米国人を見て感銘を受け、
「将来は政治家になり、『国を愛する』ということを追求したい。」
と考えるようになったという。これも意外だった、彼は保守思想だったのだ。

39歳で自民党公認候補として衆院選に立候補し当選。1993年の自民党分裂時に新党さきがけへ移った。

「愛国者」として将来の自主憲法制定を夢見た由紀夫と、左派が嫌いな邦夫は、民主党結成時、さきがけ党首の武村だけでなく社民党左派も「排除」した。それでも邦夫は、旧社民党議員や労組の影響を強く受ける民主党が嫌で、99年に離党し、自民党へ復党した。

クセ毛に大きな瞳という特徴的な風貌、「友愛」「政治を科学する」などの抽象的で不思議な発想、一見無欲そうな雰囲気から、”非永田町的人間”、”宇宙人”などと呼ばれ、新しい時代の政治家として一定の支持を得た。
逆に、「政治家としての基礎的な能力が足りない」「発言は大胆だが中身が薄く一貫性が無い」とも見られていた。

そんな浮世離れしているところが魅力と見られてきた新党のニューリーダーであるが、代表にしがみつく為に俗人らしい裏工作を行ったことや、小沢一郎率いる自由党との合併を急ぎ党内の反発を招いたことで求心力を失い、2002年12月、鳩山は代表辞任に追い込まれた。

そして2009年5月。西松建設事件で国民の信を失った小沢一郎に代わり、再び代表に就任。
その後、自身の「故人献金疑惑」が持ち上がった。しかし今は、積もりに積もった自民党に対する不信感のほうが桁違いに強かった為、鳩山の問題は本格的な責任追及には至らなかった。
自称「正義をつらぬく白い鳩」鳩山邦夫は、
「故人から金を受け取れる兄はとても器用だ。」
と皮肉った。それに引き換え弟の自分は、例え大臣のポストを投げ捨ててでも、愚直なまでに不器用な「正義」を貫いた、と言いたいらしい。すごい兄弟だ。

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2009年8月25日 (火)

民主党紳士録 (序) 鳩山兄弟の論理

衆院選後に自民党から政権を奪うことが確実視されている民主党であるが、民主党とはいったいどんな政党なのか。いつから出来たのか。鳩山由紀夫、菅直人、岡田克也といった人々はいったい何者なのか。
それを、手元にある「新版 民主党の研究」(塩田潮 平凡社)と「民主党 野望と野合のメカニズム」(伊藤惇夫 新潮社)の二冊を参照し、ここにまとめておこうと思う。

はじまりは1996年。橋本龍太郎率いる自民党、小沢一郎が実権を握る新進党に対抗する第三局として、「リベラル勢力の結集」、すなわち新党さきがけ・社民党(旧社会党)両党の合併が画策された。(歴史を知らなかったこそ、私は「小沢色が濃い」「もう一つの自民党」というイメージで見ていたが、はじまりを見ると、民主党は決して「二大保守政党」の一つではないと思える。)

民主党と言えば、思想が合わぬ党員同士のゴタゴタが名物だが、それは結成前から既にあったらしい。当初、両党が丸ごと合併する予定だったのが、旗振り役であった鳩山由紀夫の弟・鳩山邦夫が、さきがけ党首 武村正義の新党参加に強く反対。
自分の新党参加が難しくなったと知り、「自分は裏方に徹する」と譲歩した武村だったが、由紀夫は最終的に、「武村には負のイメージが付きまとっている」などという、実にえげつない言い草で彼を切り捨てた。

この出来事は「(武村)排除の論理」などと呼ばれ、新党は「鳩山兄弟私党」と目されることとなり、参加に前向きだったさきがけ・社民両党の議員達は引いてしまった。そのせいで、当初50~60人規模を見込んでいた新党はわずか10数人しか集まらず、第三局には程遠いかと思われた。

だがこの年の9月、厚生大臣として官僚の抵抗を押し切って「薬害エイズ問題」の資料を暴き、自ら国の責任を明らかにしたことで人気絶頂だった菅直人が新党に参加したことで一気に注目を集め、正式な結党までには衆参合わせて57名の議員が参加した。

党名は当初、邦夫が「友愛党」と付けることを提案したが、「鳩山兄弟私党」との批判がさらに強まることを恐れた由紀夫が反対、「民主党」に決まった。
この民主党という名も、鳩山兄弟の祖父である鳩山一郎が、吉田茂の「日本自由党」に対抗する為に結成した「日本民主党」を連想させるものであった。

民主党結党から一ヶ月経った10月20日。はじめて挑んだ衆院選で、民主党は改選前52議席に対し、獲得した議席も同数の52議席(うち前職17名が落選、新人17名が初当選)という、実に評価しにくい結果になったという。

そして96年末。民主党の鳩山由紀夫代表は、この年の「新語・流行語大賞」に、「友愛」「排除の論理」でダブル受賞する快挙を成し遂げた

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2009年8月22日 (土)

8/22 神戸 ② 三宮センター街 民主・岡田幹事長 現る

15:00 三宮センター街 民主党 演説

赤い字に黒い文字で書かれた「政権交代」の旗がはためく三宮センター街前。ボランティアの若者達が元気にマニフェストを配り、声高に叫んだ。
「もうすぐ岡田幹事長が到着しまーす!生岡田をご覧下さーい!
若いなぁ…。

麻生総裁の演説は、厳戒態勢の中、かなり遠くで見ていたが、岡田幹事長の時はずいぶん近くで聞くことができた。
地元候補者の演説中、突如沸き起こるどよめきと歓声。ふと右側を見ると、選挙カーをめがけて力強く駆けてくる岡田幹事長が。格好良え。すでに汗びっしょりで髪の毛が濡れていた。
代表として挑んだ2005年「郵政選挙」の大敗から4年。遂にこの時が来たのですね、岡田幹事長。初めて見える岡田氏を前に、勝手に感極まってみたりもした。

冒頭は実に岡田幹事長らしい言葉。
「新聞各社の世論調査では、民主党圧勝というデータが出ています。しかしこれは1週間前のデータ。これからが本当の戦いです。」
「演説の中で自民党の批判はしたくない。我々の政策を述べさせていただく。」
連日の演説で、声が別人のようにしゃがれていた。

岡田幹事長は言った。「議員立法」などという言葉があること自体がおかしい。本来、法律は官僚ではなく議員主導で作成すべきではないかと。
そして、ズボンの後ろポケットに入れらていたマニフェストを掲げてこう言った。
民主党には、法案作成が大好きな議員がたくさんいますから。このマニフェストはそれらの集大成です。」
この言葉を聞いて、一部の民主党マニアがくすくすと笑い出した。民主党には、もはやオタクと言うべき法案作成マニアが数多く存在し、法案作成の議論が活発に行われているという。その筆頭格が岡田幹事長である。

「行政の無駄遣いを廃止して財源を捻出するという民主党の公約を、自民党は『実現不可能だ。』と批判する。これは、『官僚とのしがらみにとらわれた自民党ではできない。』と、自民党自身が認めたことではないか。しがらみのない民主党にはできる。」

「家庭の収入格差が、子ども達の教育格差となってしまってはいけない。だから民主党は、高等教育の無償化、奨学金の大幅な拡充を行おうとしている。
社会全体で子育てを担っていきたいと考えている。どうかご理解いただきたい。」

「政権交代で何が変わるか。しがらみから抜け出し、今日のこの空のような青空が見える。」

すさまじい歓声の渦が巻き起こる中、岡田幹事長は選挙カーを降り、自らの手で有権者達にマニフェストを配ろうとした。近くにいた大学生風の女性二人が、
「絶対に岡田さんから直接もらいたい!」
幹事長、やりますな。

しかし、私も前の方にいたので気づかなかったが、民主党Webサイトから改めて写真を見ると、最後尾が見えぬすさまじい人だかりである(前から4列目あたりに管理人も写っている)。岡田幹事長はもみくちゃにされ、岡田氏のすぐ傍にいたはずの私もまた押しつぶされた。
岡田氏自らマニフェストを配るのは不可能。有権者達が口々に熱い思いを語るが、ほとんどの人たちが興奮してしまって何を言っているか解らず、岡田氏の両手ももはや、本人の意思に関係なくあちこちへ引っ張られてしまう。指の一本や二本、いつ折れてもおかしくないな。

とてつもない「政権交代」のマグマ。民主党は必ず政権を奪い取るだろうと確信した。しかし、新聞の予想通り民主党圧勝の結果になったら、「政権交代」は実現しても「二大政党制」は実現しないのでは
おそらく選挙後、自民党は分裂状態になるだろう。苦戦が予想されるみんなの党や平沼グループを巻き込んで再編となるか。
政権交代は賛成だが、民主党の独り勝ちは避けたい。保守系の野党がチェック&バランスを果たしてくれないと困る。

熱狂の中にいながら、ふと行く末の不安にかられてしまった。これが政権交代ブルーなのか。

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8/22 神戸 ① 元町・高島屋前 自民・麻生総裁 現る

8月22日。この日、私は神戸にやってきた。ここで自民党の麻生総裁、そして民主党の岡田幹事長が演説を行うと聞いていたからだ。

最近まで「自民と民主の違いは解らない」と言われていたが、民主党のマニフェストが発表され、与党自民党がその「弱点」を突いたところで、両党の違いはある程度明確になった。

民主党は、自公政権が挑んで失敗した「公務員改革」を徹底して行い、行政の無駄遣いを改めて、浮いた財源を国民の為に使おうと主張している。外交はアジア重視。安全保障や国家観、憲法、教育と言った「日本国」のあり方に対するビジョンはまとまりが無い。

自民党は、国家観にまとまりの無い野党に政権を奪われる危機感を自覚したことで、「保守」を貫くことを強調した。…考えたら、1955年以来、ほぼ一貫して保守政党の自民党が与党であり続けたのに、どうしてこんなに国家観は曖昧になっているんだろう。

12:50 元町・大丸前 自民党・公明党 合同演説

さすがに総理大臣だけあって、演説1時間前には既に制服警官達が周囲を固め、厳戒な警備体制をとっている。

見物人達に配られたのは、紙で出来た日の丸の旗と、「政治は、ギャンブルじゃない。」と題した小冊子。冊子には「安全保障」「教育」「憲法・国家論」と、社民党も含めた「民主党の『お試し政権』」の危険性が、民主党幹部達の過去の発言も引用し細かく説明されている。内容はいちいち最もだが、早くも野党らしいやり方になっていないか。

交通渋滞の為、予定よりも30分以上遅れて登場した麻生総裁。
4~6月期のGDP速報値が実質3.7%成長と発表されたのを受け、「政局よりも政策」で取り組んだ景気対策の結果が出始めたと実績をアピール。

また、戦後日本が世界第二位の経済大国となったこと、夜道を一人で歩けるほどの治安の良さ等、戦後ほぼ一貫して政権を担った自民党政治の実績もアピールした。

先に演説を行った地元の候補者達と比べ、野党への批判は控え目。ただし、政権が視野に入った途端、民主党の国防政策が「現実路線」に大きく傾いたのを引き合いに出し、
「ブレるというのはこういうことではないかね!?」
と追求した。…その通りだと思います。

それらを含め、国旗や国歌、日本の国土、そして国民の命を守るのは「保守政党である自民党」であると強調し、有権者達に「冷静な判断」を求めた。

最近の新聞各社の世論調査で、「民主320議席に迫る勢い 自民100議席割れか」という結果が相次いで発表され、自民、公明は相当に衝撃を受けているのを肌で感じた。
政権交代後は、野党が安全保障、憲法、教育に関する法案に抵抗したように、下野した自民党は、民社国連立政権が日本国を衰弱死させぬよう、国家観を見失わぬように、命懸けで抵抗してもらいたい。

自民党が政権を担っていたにも関わらず、なぜか日本は国家観を失ったのだから、逆説的に言えば、政権交代後に野党自民党が必至で主張し続けることで、日本は国家観を取り戻すかも知れない。

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2009年8月19日 (水)

衆院選公示 比例選はどこに入れるべきか

18日の午前9時頃から、「鉄門海上人」で検索してアクセスしてくる人が急増したのだが、何が原因なのかさっぱり解らない。何かのテレビ番組で紹介されたのだろうか。

どうして民主党は、途切れないよう確実に不安要素を作ってくれるのか。

一つ目の不安要素は、田中真紀子氏の民主党入り。彼女が外務大臣に就任した時のあの混乱を忘れたわけではあるまい。彼女の「口撃力」も、それこそ間違ったポピュリズムではないかと個人的には思う。

二つ目の不安要素は、鹿児島の支部が、国旗を切って縫い合わせ民主党マークを作ったという問題。冗談じゃない。「国旗を貶める意図は無かった」というが、それはそれで、また別の意味でかなり深刻な意識の問題を感じる。論外だ。

8月18日。衆院選の公示が行われた。
我が地元の隣の選挙区では、公明党の大物 冬柴鉄三氏と、新党日本党首 田中康夫氏との対決で注目されているが、我が選挙区は前回と大して変わらず。社民党候補が幸福実現党候補に入れ替わっただけだ。

しかし注目すべきは近畿ブロックの比例選である。西松建設問題から、前述した最近の問題までの色々で、「民主党」と書くのに躊躇していた人々にも選択肢が提示された。

まず新党日本では、前述した田中康夫氏が比例名簿1位。「脱ダム宣言」で名を上げた元長野県知事。それにしてもなぜ尼崎に。恐るべき結束力を誇る公明党の大物であり、国交族の大物でもある冬柴氏の守りは堅いぞ。

社民党は、同党の名物女、辻本清美氏が比例名簿1位。かつては鈴木宗男氏(新党大地代表)の天敵だったが、今は「本当に困っている人々を救う為」に宗男氏と手を結んだ。浪花節やのう。
関西のお笑い芸人「キャベツ確認中」の演じるモノマネでも(局地的に)有名

みんなの党では、整形外科医師の吉野宏一氏が大阪9区との重複で立候補。現在の痛んだ医療制度を立て直すには、医療現場で働いてきた医師の視点が政治に必要と訴えている。
総合病院と大学病院の連携を密にし、各市町村の病院は専門性を高めて医療技術を向上した上で、近隣地域で連携し補い合う。そうすることで都市と地方の医療の格差を是正したいと考えているようだ。

そして幸福実現党では、何と大川隆法総裁が、東京ブロックからの鞍替え(?)で近畿ブロック比例名簿1位に
大川総裁が国政に出られるか否かは、我ら関西人に委ねられた。東京よりも関西のほうが地盤が固い(信者の人口密度が高い)のだろうか。
北朝鮮の脅威から「愛する人を守る」為に一票を投じるのも良いかも知れない。
…前の都議選で、同党の集票力が思っていたより小さいことが判明したので、もしかしたら、全選挙区で大川総裁一人だけが当選、などということになるのではないかと思うのだが。その暁には一体どうなさるおつもりなのだろう。

何にせよ面白くなってきた。個人的には、政権交代は何としてでも成し遂げてもらいたいが、民主党の圧勝はあまり望ましくない。では比例区はどこに投票すべきか、という答えも自ずと決まってくる。たった一票だとしても無駄遣いはできない。

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2009年8月 8日 (土)

「みんなの党」の政策を見る

8月8日、渡辺喜美元行政改革担当大臣を代表とした「みんなの党」の結党が正式に発表された

江田憲司氏の公式Webサイトに江田氏個人のものとして発表されていたマニフェストも、党のマニフェストに差し替えられたし(内容はおおむね同じのようである。)、後述するが、衆院選と選挙後のスタンスも決定したようである。

メンバーは無所属議員の江田憲司氏、民主党を除名された浅尾慶一郎氏など。広津素子氏、山内康一氏を含め国会議員が5人集まったので、何とか政党要件を満たすことができた。次期衆院選には公認、推薦合わせて15人を擁立する予定。
同時に「みんなの党」公式Webサイトも立ち上げたようだ。
ここからは公式Webサイトで公開されている「マニフェスト2009」から同党の政策を確認しようと思う。

「自民に不満 民主に不安」と感じている国民達の声を汲み取り、「脱官僚」「地域主権」「生活重視」を掲げている。政策の方向性は民主党と似ているが、公務員改革の手法についてはより細かく具体的で、社会福祉については抑えめだ。
特に目をひくのは、税金と社会保険料を合わせた社会保障個人口座を開設し、医療と年金を各個人の「お好みメニュー」にできるようにする、というものだろうか。そして高速道路料金については、持続可能かつ環境にも配慮したメリハリのある料金体系(混む区間・時間帯は高く、それ以外は抑える)を構築すると共に、「天下り利権のため高価格になっているETCは民間解放して低価格化」と、ここでも行政のムダを排除することは欠かさない。

安全保障に関しては、日米安保を堅持、我が国の国民と国土は徹底的に守り抜くとしながらも、集団的自衛権の行使には否定的。ただし人道・復興支援などには、原理原則をしっかりと議論し法律を制定した上で積極的に参加すべきとの考え。

教育については、国は最低限の教育水準の維持のみを担い、基本的には各市町村や現場に任せるとの考え。「手に職を持つ教育・生き抜く為の教育」を推進し、学校の選択肢を広げると共に、親の貧富で学力格差が広がらないように環境整備する。

先にも言った通り、政策の方向性としては民主党と似ている。その民主党との連携については、選挙協力はしないが、選挙後の協力については前向きのようだ。民主党次第で連立入りの可能性もあるという。
ただし「みんなの党」の目標は、来年の参院選までに「政界再編」を起こし、今の政治の仕組みそのものを大きく作り替えることであり、自公連立から民主中心の政権へと移る「政権交代」はその過程に過ぎないと考えているようだ。

渡辺喜美代表の当初の思惑は外れ、自民は分裂を起こさず、世論の支持は民主党へと大きく偏った形で選挙戦に突入してしまった。
衆院選の結果とその後の政権運営がどうなるかは解らないが、公務員改革を目指すのなら、まずは民主党と連携を深め、公務員改革をやるだけやりきってもらいたい。衆院選後から来年の参院選までの間は新政権の土台を築く為の貴重な時間なので、政界再編をめぐるゴタゴタでこれ以上停滞させて欲しくない。
衆院選前に再編が起こるのなら大歓迎だったのだが。

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2009年8月 7日 (金)

社民党の応援演説にアソウ首相現る

民主党との連立政権に期待を持ちつつも、自党の埋没を恐れる社民党の福島瑞穂党首。
そんな福島氏が渋谷で行った、社民党の街頭演説。その応援に駆け付けた人物は何と、我らが宰相、アソウタロウ首相(劇団「ザ・ニュースペーパー」)

「失言実行」のアソウ首相、福島氏率いる社民党をこう評した。
「社民党はすごい。決してぶれない。いつまでもぶれないから、言っていることが時代錯誤な時もある」
…何やねん、その社民党の壮絶な自虐ネタは。社民党が政権に加わることを恐れる右派の人達を挑発するとは、さすが「保守」のアソウ首相。
いや、冗談抜きで、こんなパフォーマンスでいいのか、社民党。産経ニュースの記事でも相変わらずキャッチコピーに触れられただけで、主張した政策にはまるで触れられてないぞ。

管理人はザ・ニュースペーパーのキャラクターの中でも、アソウタロウ首相が一番のお気に入りだ。政権交代したらハトヤマユキオ代表(首相?)の出番が必然的に多くなるから、アソウ首相は滅多に現れないだろう。同じ役者が演じているから。

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2009年7月30日 (木)

僕たちは「絆創膏(ばんそうこう)大臣」赤城徳彦を忘れない -「民主の敵」より-

「民主の敵 政権交代に大義あり」 野田佳彦 新潮新書

民主党の野田佳彦幹事長代理は、自身の著書「民主の敵」で、民主党が大勝した2007年参院選の勝因をこう語っている。

(引用)
あの参議院選挙勝利の要因は大きくわけて三つあると思います。相撲でたとえれば、殊勲賞は何と言っても、長妻昭さんの指摘した「消えた年金」問題。
小沢さんは敢闘賞だと思います。(中略)
技能賞は絆創膏大臣、赤城徳彦さん。あの絆創膏を、あのようなタイミングであのように顔に貼る技能に、日本中がしびれたわけです。(P.178-179)

「日本中がしびれた」って、面白すぎます、野田幹事長代理。しびれていたのは赤城大臣の皮膚ではなく、日本全国の有権者達だったなんて。

赤城徳彦 元農林水産大臣。「美しい国 日本」を目指した安倍政権に痛恨のオウンゴールを放った男。
「ナントカ還元水」発言で知られる前任の農水大臣、松岡利勝氏が不透明な事務所費計上の追求を受けた挙句に自殺。その後、農林水産省の官僚あがりという経歴を買われて、赤城氏は農水大臣に任命された。
しかし就任直後に、事務所としての実態が無い父親の自宅を事務所として届けていた等、赤城氏自身の「事務所費問題」が次々と浮上。そしてまたもや安倍首相は疑惑の閣僚を庇い、国民たちは呆れてものも言えないような気分になった。

そんな数々の疑惑が浮上した直後、マスコミの前に姿を現した赤城氏は、なぜか額と頬にあまりにも大きな絆創膏(ばんそうこう)を貼っていた。いやでも目立つその絆創膏、一体どうしたのかとマスコミにたびたび訊かれても、赤城氏は、
「何でもない、大したことじゃない。」
と一切の説明を避けた。その態度がさらなる批判の材料となり、いつの間にか、不透明な事務所費よりも怪しい絆創膏のほうがより許せない問題であるかのような論調に変わっていた。

後に判明したのだが、その時、赤城氏は、毛包炎(モーホーエン)という名の皮膚病にかかっていたのだそうだ。その絆創膏のインパクトと、よりによっての発症のタイミングもさることながら、その病名の字、そして響き!この毛包炎に限っては、私は若干赤城氏に同情する。

そんな七転八倒の安倍内閣が迎えた参議院選挙。選挙は批判合戦ではなく政策で争うべきと、安倍首相は「美しい国」構想を前面に掲げた。しかし、
「年金の支給すら踏み倒しておきながら、閣僚たちはせせこましい蓄財に精を出す。そんな国が『美しい国』であってたまるか。」
とばかりに、国民たちは安倍自民党にそっぽを向き、「国民の生活が第一」を掲げた小沢民主党を支持した。結果は民主党の大躍進、自民党の歴史的な大敗となった。

自民党議員である農水大臣二代の「政治とカネ」の問題を追及し、参院選に大勝した民主党。そして2009年、政権奪取に王手がかかったところで、今度は民主党代表二代の「政治とカネ」の問題が浮上。政権交代の熱狂の中にあった党内と支持者たちに冷や水をぶっかけた。
これが民主党。敵に向かって投げたブーメランは、必ず跳ね返って自分も怪我を負うのである。

追記:
赤城徳彦氏は2009年8月30日の衆院選で、小選挙区敗退、比例復活もできず落選した。

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2009年7月27日 (月)

民主党に任せてみないか

今日、民主党のマニフェストが発表された。マニフェストのPDFファイルは民主党の公式Webサイトからダウンロードできる。

民主党に限らず、過去の選挙でのマニフェストを読んだことはないが、今回の民主党のマニフェストにはさすがに、並々ならぬ気合いと勢いが感じられる。
とにかく一度、「公務員改革」「官邸主導」と「無駄遣いの廃止」をやるだけやらせてみてはどうか。

鳩山民主党の主張は、
「『無駄遣いを廃止すれば財源は手当できる。4年間は消費税増税の議論すら必要無い。』などと言っているが眉唾ものだ。」
などと批判されているが、個人的には、そこはそれほど心配していない。
とりあえず自民党がやりたがらない「無駄遣いの廃止」をやるだけやるのは良いとして、頃合いを見計らって、岡田幹事長には腹を括っていただきたい。鳩山代表の約束を反故にする覚悟を。
(もし本当に岡田氏が鳩山氏に代わって首相になったら、「消費税増税の民意を問う」と、即座に解散総選挙を行いそうだ。「苦い薬解散」とか言われそう。それが岡田克也という男。)

政策はまず公務員改革・官邸主導を実行し、無駄遣いを改めた上で、財源を確保しつつ政策に優先順位をつけて順次実施すると実行手順が定められた。この辺りは、岡田幹事長がテレビのインタビューで特に強調しているところである。できなかった時の為の予防線を張っていると言われるかもしれないが。
共産党も「建設的野党」宣言を行い、反対の為の反対は行わず、各政策には是々非々で対応していく(そしていつか政権を担う)と言っていたので、福祉目的の法案は案外スムーズに通るのではないか。
最も、「もっと手厚くすべき!」という反対が起こる可能性はあるが。

民主の支持基盤との兼ね合いにより不安視されている教育政策については、
「公立小中学校は、保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家等が参画する『学校理事会』が運営することにより、保護者と学校と地域の信頼関係を深める。」
「現在の教育委員会制度を抜本的に見直し、教育行政全体を厳格に監視する『教育監査委員会』を設置する。」
など、一見すると案外良さそうなことが書かれていた。安倍政権時代に改正された教育基本法と合わせると完全に、英国のサッチャー教育改革の真似のようにも見えてくるが、まあ悪くない。
ただし、これらが「優先順位」の関係で後回しになってしまわないか、骨抜きや後退になってしまわないかは注意深く見守っていかなければならない。私は今のところ家庭を持つ意思もないが、子どもは国の未来そのものである。教育は本当に大事だと思う。

もうひとつの弱点である安全保障と憲法に関してであるが、安全保障に関しては「現実路線」にブレてきているので多少は希望が見えてきた。(批判は甘んじて受けるべきだと思うが。)
憲法に関しては、マニフェストの最後に「国民の自由闊達な憲法議論を」と別枠を設け、議論そのものを避けず向き合っていく姿勢に改めた。これに関してもとりあえずはよし。これも口だけにならないようしっかり見守っておかねばならない。
安全保障と憲法に関しては、おそらくは野党となる自民党や平沼グループが徹底的に議論をぶつけ、民主党を鍛えてもらいたい。

私は民主党にはそれなりに期待している。現状、甘い期待よりも不安のほうが大きいのは当然だが、少なくとも細川連立内閣よりはよほど良いだろうし、かつての民主党から比べればずいぶん強くなったと思う。
一度政権を担わせてみて、元与党の野党に叩かれながら、鍛えていってもらうしかない。とにかく一度やらせてみなければ「政権担当能力」も何も身に付くはずがないのだ。

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2009年7月23日 (木)

平沼赳夫の「平沼グループ」ついに始動

平沼赳夫氏の宣言通り、衆議院解散と共に「平沼グループ」が姿を現した。
メンバーは平沼赳夫氏を筆頭に、郵政民営化に反対し自民党を離党した小泉龍司、城内実両氏や、元山形市議会議員の伊藤香織氏ら総勢15名。告示までには20名ほどに増える見込みだという。
グループのメンバーは平沼氏が「この人ならば」と見込んだ少数精鋭である。新党結成は衆院選後に考えるとのことで、今回の衆院選では、メンバー達は保守系無所属候補として小選挙区に立候補する。
平沼赳夫氏は堅いとして、小泉氏、城内氏も善戦するだろうとの見方が強いが、他の候補者たちは未知数である。おそらく厳しいだろう。

記者会見では、平沼赳夫氏が著書で発表した持論「救国大連合」構想にも触れていたという。選挙後に自民・民主および保守系各党から志を同じくする有能な議員を集め政権を担うというもの。
しかし、民主党独過半数も見えてきたと言われる状況下では、自民党から分裂した議員達が多数流れ込んでくることはあっても(そのほとんどは門前払いを食らうだろうけど)、民主党議員達はその話には乗ってこないだろう。

そんな平沼グループのマニフェストにあたる「平沼グループ政策綱領 日本再建」は、平沼氏の公式Webサイトから閲覧できる。ご存知の通り、平沼グループの思想信条は筋金入りの保守である。
日米安保は堅持しつつ、国民の生命・財産を自国で守る為に防衛力の強化を行い、自主憲法を制定する為の議論を行う。そう主張すると必ず「軍国主義への逆行」という批判を受けるが、「二度と戦争をしない決意」を改めて確認し、東アジア諸国をはじめとする各国との相互理解を深め、平和的な共存を同時に目指すという。
そして、日本の文化・伝統・歴史を客観的事実に基づいてきちんと教える、自虐史観から脱した教育を実現する。

他に目を引いたのは、「農業への直接支払い制度の導入」という言葉だ。…農協を廃止するつもりだろうか。
あと、「道路特定財源の暫定税率分を全額地方に回し、地域医療や教育の充実に投資できるようにする」というのも大胆で面白い。民主党のように廃止はしないが、もっと必要なところに使ってしまおうと言っている。

平沼グループのキャッチコピーは、
「ブレない 媚びない 投げ出さない」「信念の政治でまっとうな日本を創る」
残念ながら、平沼氏の盟友であった麻生太郎氏や安倍晋三氏、中川昭一氏は不合格であった。反面、「孤立を恐れず大義無きを恥ず」想いで離党した渡辺喜美氏や、「正義」の鳩山邦夫氏は確かに合格である。良いか悪いかは別として。

そんな渡辺喜美氏が、今月末頃か来月初旬あたりに、江田憲司氏らと共に新党を立ち上げるという。政党名は、今の政策グループの名前である「日本の夜明け」をそのまま使うのであろうか。こちらも楽しみである。

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2009年7月22日 (水)

衆議院解散 ひとまず鉾を収めた中川秀直 抑えきれぬ鳩山邦夫

平成21年7月21日、衆議院解散。
麻生首相はどこかふっきれたような表情で高らかと万歳をした。
一方、政権交代に向けた総力戦を挑む民主党の鳩山代表、岡田幹事長の二人は神妙な顔つきで、拍手はしたものの万歳は行わなかった。

反麻生の中川秀直は、本会議直前に行われた懇談会での、麻生総理の総括と謝罪に「納得」し、和解の握手を交わした。とりあえず総選挙が終わるまでは一時休戦か。少なくとも総選挙の結果が出るまでは自民党に留まるようである。

そして、麻生首相に対し愛憎入り混じった複雑な感情を抱える「弟ハト」鳩山邦夫は、解散直後、
われわれの仲間で1つの考え方を示すこともあり得る。選挙後に大勝負が始まるのではないか。」(MSN産経ニュースより)
などと発言。いざ選挙戦というところでいきなり、選挙後の再編を睨んだ発言とは。それだったら今すぐにでも、離党して新党を結成すればいいだろうに。(中川秀直も本音は同じようなことを考えているのだろうけど。)

最高だったのは、弟ハトが連休中に行った講演で飛び出したという「南北朝」発言である。
「自民党は南北朝でもいい。麻生首相が北朝なら我々は南朝で別に誰か、与謝野財務相を立てるとかいろいろある。グループができればマニフェストや基本理念を独自に発表するのもひとつの道だ。」(asahi.comより)

邦夫氏は、自分を南北朝の「南朝」側に例えた。後醍醐天皇の南朝。楠正成の仕えた南朝。敗れた側である。この「南朝」発言は、以前、邦夫氏が郵政人事に反対する己の行動を、西南戦争を起こした西郷隆盛に例えていたことと合わせて考えると興味深い。どちらも権力に戦いを挑み、壮絶な最期を遂げている。邦夫氏の言動には「滅びの美学」への強い憧れのようなものを感じる。

南朝と言えば文観。文観と言えば邪教・真言立川流。真言(マントラ)を唱えるのが日課の兄ハト由紀夫にならい、邦夫も秘術「ダキニ天法」を用いて北朝自民党を調伏するのか。
南朝と言えば楠正成。邦夫も戦いに敗れ倒れようとするその瞬間には、
「七たび生まれ変わりて敵(西川善文社長)を滅ぼさん!」
と叫ぶのだろうか。
それはともかく、与謝野氏はとんだとばっちりを受けたと思っているであろう。いつの間にか後醍醐天皇の役を割り当てられている。

衆議院が解散されたこの日、たまたま別の記者会見を受けていた、劇団「ザ・ニュースペーパー」のアソウタロウ首相はこうコメントしたという。
「鳩がうるさい。私は射撃の選手だったけど、手元が狂って弟の邦夫を打ち落としちゃった。」(デイリースポーツオンラインより)
と。さすが、上手いことを言う。
アソウ首相が去った後で現れた「うるさい鳩」ハトヤマ代表(アソウ首相とハトヤマ代表は、担当する役者が同じ)は、
「私が総理をするまで40日。10日もすれば政権交代ブルーになってしまいそう。」(毎日jpより)
などと無責任なことを言っていた。
政局の混乱が追い風になり、この劇団もずいぶん活動が活発になった気がする。

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2009年7月20日 (月)

森元総理、中川秀直にはもううんざり?

中川秀直、武部勤らが何度も試みた「麻生降ろし」は遂に成功しなかった。森善朗元総理ら大物の援軍を期待したが、総裁選で麻生総理を応援した森氏は最後まで造反に加担せず。

19日、森元総理はテレビに出演し、中川秀直をこう批判したという。
「(2007年)参院選大敗のときの幹事長という大罪を背負っている。あのときも両院議員総会を求める意見はあったが、彼はそのまま逃げた。
NIKKEI NET の記事より)

そう言えば中川秀直は、確か森政権時代に官房長官を務めていた気がする。
当時、中川の愛人が関わっている事件の捜査情報を、中川が愛人に漏らしている音声を録音したテープがマスコミに報じられ、中川は辞任に追い込まれた。この事件で森政権は大打撃を受け、これが後の倒閣運動「加藤の乱」が起こる一因となった。森氏の頭にはその時の恨みも残っているのではないか。
今回の「麻生降ろし」では、「加藤の乱」の原因となった中川秀直と、乱を起こした張本人であった加藤紘一が手を組んだのだから笑えた。

あんな騒ぎを起こしておきながら、その直前に行われた内閣不信任案決議では躊躇することもなく反対票を入れるのだから、言葉は悪いが、中川達のやり方は姑息としか思えない。

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2009年7月19日 (日)

ずるい男 細川護熙の最終章 -「政権交代 この国を変える」より-

「政権交代 この国を変える」 岡田克也 講談社

民主党の手による政権交代が近いと言われるこの頃であるが、1993年に、「55年体制」と言われた自民党の単独与党政権を倒し、非自民・非共産連立政権による政権奪取を成し遂げた、日本新党(当時)の細川護熙元首相は今どこに行ったのか。
既に政治家を辞めているのか。それとも羽田孜元首相のように民主党の片隅に座っているのか。それすら知らなかったが、この岡田克也氏の著書では、細川元首相が政権を投げ出し、その後の羽田政権も倒れて自民党に政権が戻った後の細川氏の行動が記されていた。

細川護熙。自民党から政権を奪った非自民連立政権の初代総理となり、選挙制度改革を成し遂げるものの、その後はさらなる改革を進めるよりも己を格好良く見せることに情熱を傾けたために迷走、在任からわずか9ヶ月ほどで突然辞任を発表した。元祖投げ出し総理である。
非自民連立政権はわずか二代(二代目は羽田孜総理)、一年足らずで崩壊。下野した旧連立政権各党が合併し、「新進党」という一つの党になって再び政権交代を目指すものの、羽田孜と小沢一郎との確執により党は解党。いくつかの小党に分裂した。細川はわずか5人の新党「フロムファイブ」の党首となった。

一方、かつて小沢一郎・羽田孜と共に自民を離党、かれらを「親」と慕い、真の政治改革を志していた岡田克也は、新進党解党により己の志が潰え、絶望に打ちのめされていた。
それでもなお諦めず、「親離れ」を決意した上で再び立ち上がり、新党「国民の声」から再び政権交代を目指すひたむきな岡田を見て、細川は心を打たれると同時に、己の政治活動の最終章を美しく締めくくる筋書きを思いついた。

細川は新進党から分裂した各党と、鳩山兄弟、菅直人らが結成した新党「民主党」(「旧民主党」と呼ばれ区別されることが多い)を集め、政権奪取を目的とした統一会派を結成、細川が会派の会長となった。
その後は旧新進党各党が解党し民主党と合流(「新民主党」。この時はまだ、小沢一郎の「自由党」は加わっていない。)。菅直人が代表、羽田孜が幹事長に就任。岡田克也は政調会長代理となった。

こうして「政策準備政党」民主党はスタートを切った。
細川は己の役目が終わったことを悟った。総理大臣時代の失敗例から、希望に満ちた新たなる旅立ちを物語のラストシーンにするのが最も美しいということを学んでいたのだ。
岡田克也が支える民主党は、いつか必ず政権交代を成し遂げ、岡田の言う「まじめな政治」を実現するだろう。そして大望が叶ったその時、岡田を導いたこの細川護熙の名は、今度こそ偉人として歴史に刻まれるであろう。そう確信した(に違いない)細川は、新民主党結党からわずか三日後、
「還暦を迎えたから。」
という意味不明な理由を言い残し議員辞職。風のように颯爽と永田町を去って行った。

岡田克也は「細川さんらしい、カッコいい辞め方だった。」(P.139)と素直に感謝していたが、他の党員達からすればやはり、総理大臣辞職の時と同じように、あまりに唐突で無責任と映ったようである。

「新民主党発足からわずか3日後の4月30日、新党結成の立役者である細川護熙が突然、議員辞職するという"事件"が起きた。(中略)かなり不可解なことだったが、とにかく、目前に参議院選挙が迫っていた。」 (元民主党議員 伊藤惇夫の著書「民主党」(新潮新書) P.58から引用)

現在、細川氏は神奈川県で陶芸家として活動しているようである。政局の節目にはまれにインタビューを受けることもあるらしい。wikipediaの記述によると、元祖投げ出し総理の細川氏ですら、安倍晋三元首相の突然の辞任には驚愕したとのことである。

新進党解党の混乱を逆手に取って、見事に「風の男」を演じ、己のナルシシズムを満たして去っていた細川護熙。憎たらしいとまでは思わないが若干妬ましい。

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2009年7月16日 (木)

したたかな弟ハト 平沼赳夫、渡辺喜美らと接触

まだ書いていない「週刊ニュース新書」二回分は三連休中に書きます。麻生総理が解散を宣言した今となっては、本当に今さらの内容ですが。

かなり濃い「第三極」ができあがるかも知れない。

鳩山前総務相、平沼赳夫氏、渡辺喜美氏が会談。「連携深める」一致。

(記事から引用)
次期衆院選に向け3氏が率いるグループ間で連携を深めることで一致した。出席者の1人は「立場は違うが、現在の自民党政治、民主党への政権交代に対抗する点は共通している」としている。

皆さんは、発言した「出席者の1人」とは誰だと思いますか。私は邦夫さんだと思います。
言っている通り、自民党政権の維持にも反対だが、党内左派や社民党の混じった民主党政権にも賛成できない立場の人々が集まった、純粋な保守であり改革推進派である第三極を創ろうとしているのだろう。
しかし政策面で一致する点がそれほど無いような気がするのだが。むしろそれぞれの強みを持ち寄って補い合うつもりなのか。

誇り高き日本を志す平沼赳夫、徹底した公務員改革と地方分権を目指す渡辺喜美、そして自称「正義」の破壊者、鳩山邦夫。そんな三人が導く新しい日本で生きていきたいかと問われれば、私はそんな日本で生きたい。そんな日本を次世代に残したい。
(うそ臭い、と思われるかも知れないが本気である。)

最も、彼らだけで過半数を獲得するというのはまず無いだろうし、本音はかつての日本新党やさきがけのように「キャスティングボードを握る」立場を狙っているのだろう。
(選挙後に民主党と連立する話が出れば、平沼赳夫、鳩山邦夫両氏と社民党との間でひと悶着ありそうだ。)

それにしても自民党、一丸となって、
「船舶検査法を廃案にするのは無責任だ!」
と、鳩山代表の「核持ち込み容認」発言と合わせて民主党を批判して、国民の意識をそちらに向けさせれば良かったのに。今や唯一とも言える有効な攻撃材料だったと思う。安全保障に関する党内不一致は民主党の大きな弱点なのだから。
そして同時に、解散を急ぐ麻生首相への牽制にもなったと思うのだが。
「安全保障の石破」でさえ、ここで船舶検査法の重要性について語らず、署名に加わってしまうのだからどうしようもない。がっかりだ。

わざわざ自民党内の泥沼の闘争を世間に晒したのは、「郵政選挙」での内部闘争を逆手に取った「劇場型選挙」の再現を狙っているのですか。

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2009年7月13日 (月)

友愛と憎悪 (3) 太郎と邦夫 生まれ変わって一緒になろう

過去ログ:
友愛と憎悪 (1) 暴発寸前の邦夫
友愛と憎悪 (2) 「お友達内閣」と揶揄された男が友の為に起つ

都議選の自民惨敗から一夜明けた今日。臓器移植法A案が参議院で可決・成立。そして遂に麻生太郎首相が衆議院解散を決意。7/21ではじまる週に衆議院を解散、総選挙は8/30にすることで政府・与党と合意した。
人の話を聞き過ぎる(鳩山邦夫・談)性格で、意見が右へ左へと大きく揺れると言われていた首相であったが、解散権だけは周りの意見を寄せ付けず、最後まで自分の意志を通してしまった。

いよいよ解散まで秒読み段階となった中、あの鳩山邦夫前総務相はどうするのか。
邦夫氏は13日、記者に新党結成の可能性について、
「まだ選択肢は幅広く持っているが、最後にはこうと決める。民主党単独政権を作らせない為にどう動くかだ。」
と答えたという。

素人が決めつけたように言うようなことではないだろうが、民主党合流に気が進まないのなら、新党結成しか残された道は無いのではないか。妙に人気が上がっている今を逃しては勿体無い。
鳩山邦夫新党。代表はもちろん鳩山邦夫。そして代表代行の椅子は、盟友・麻生太郎の為に空けておいてはどうか。
麻生氏が言いたいことも言えない立場に縛られているのも、もう少しだけの辛抱だ。お互いお役御免になったところで、もう一度、生身のままで向き合えば良い。
衆議院を解散させた首相自らが造反、離党するという、祖父、吉田茂も青ざめるほどの暴挙に出て欲しい。

吉田茂と鳩山一郎、お互いの祖父が泥沼の権力闘争を繰り広げた歴史があったとしても、その孫まで同じように争う必要はない。先祖の恨みを乗り越えて手を結ぶ。ただし馴れ合いではなく言うべきことは言う。これからの日本が各国と共に歩んでいくには、まず政治家同士がそれを示すべきである。

そんな二人が築く鳩山・麻生新党。公約の第一に掲げるのはやはりこれしか無い。
「我ら正義を貫き、郵政公社の悪を断つ!平沼赳夫や国民新党のような生ぬるい方法では埒があかない!我らは徹底的に戦う!」
死闘ならぬ私闘である。

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東京都議会議員選挙 民主躍進 自公過半数割れ

22時半からはじまったNHKの都議選速報。放送終了となる23時半目前に、自公過半数割れ確実の情報が入った。思わず私は声をあげて唸った。

それに先がけ21時50分にも10分間の速報が入ったが、その時点での途中経過が尋常ではない。確定議席、民主39に対し自民5、公明3。
放送終了時点で、民主52に対し自民36、公明22。民主第一党、自公の過半数割れは確実となった。結果は民主の独り勝ち状態で、他の野党も議席を減らした。

自民党の石原幹事長代理は敗因について、
「党の代表として麻生総理を選んでおきながら脚を引っ張るような動きが続いたことや、東国原知事を担ごうとした騒動などの混乱で、都民に不信感を持たせてしまった。」
と語った。

民主党は13日に内閣不信任案を提出する可能性があると報じられていたが、岡田幹事長はインタビューに対して
「これから協議する。」
と明言を避けた。現在は臓器移植法や船舶検査法などの重要法案の採決が控えており、ここで国会を停滞させるのは得策ではなく、国民の理解を得られないと考えているものと思われる。それらの法案を通すまでは、政局がらみで停滞して欲しくないと私は思う。

フジの報道では23時頃、自民党の中堅・若手議員達が緊急の会合を開いたと言っていた。「麻生降ろし」を画策していると見て間違い無いと思うが、石原幹事長代理の言うとおり、そんなことをしても余計に不信感を抱かれるので、吉田茂の言葉ではないが「負けっぷりの良さ」を示したほうが良いのでは。最も、落選=失職となる自分の身の上を考えると、なりふり構わず賭けに出るしか無い、と思うのかも知れないが。

追記:7/13 0:23に結果確定。民主54(前回34)、自民38(同48)、公明23(同22)。
全127議席中、自公は61で過半数割れ。非自公は66。非自公は共産8議席を引くと58で過半数には届かず。

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2009年7月 2日 (木)

与謝野馨と梶山静六の絆 -「堂々たる政治」より(1)-

「堂々たる政治」 与謝野馨 新潮新書

今週は、月末の業務、体調不良、ココログの障害と重なり、このblogも危機的状況にあった。特にココログの障害は、過去ログが消失したらどうしてくれようかと思った。
障害といっても管理画面に入れなかっただけで、blog自身の閲覧はできていた(と思う)のだが、6/30,7/1のアクセスログが明らかに少ないのはアクセス解析が壊れていたのか、一時的に閲覧できなかったのか、それとも本当に誰も見ていなかったのか定かではない。

とにかく7/2まで危機はひと段落つきそうなので、「モヤさま」「ニュース新書」レビューは例によって金曜から土曜にかけて更新予定。「ニュース新書」レビューの資料として岡田幹事長の著書「政権交代」(講談社)を読書中。

今日は時間が無いので、与謝野馨氏の著書「堂々たる政治」から、意外にも泣けるエピソードを紹介しよう。

与謝野氏の政治家としての盟友であり師とも言える人物として有名なのは、故・梶山静六氏。この本の中で、梶山氏との思い出の締めくくりはこう書かれていた。

梶山氏が亡くなった後、追悼文集に思い出話を書けと言われて書いたら、原稿用紙で三〇枚にもなってしまった。それを届けたら一人三枚だと言われて書き直したが、私の書いた元の原稿は、聞くところによると、茨城にある梶山氏の家の仏壇に飾ってあるらしい。(P.38)

梶山氏の遺族達は、与謝野氏の書ききれぬ思いがたまらなく嬉しかったに違いない。与謝野氏らしく淡々と書いてあるのがかえってストレートに涙腺を刺激し、通勤中の電車の中で思わず涙が溢れてしまった。与謝野氏にしてやられた。

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2009年6月26日 (金)

自民も民主もイヤな人の決断

また政治の話かよ、と思われるかも知れないが、他にネタが無い。

今日の昼休み、民主党の鳩山代表、菅代表代行の二名が、「日本の夜明け」渡辺、江田両氏と会談したというニュースをネットで見て、私が一人色々と考え込んでいると、隣の同僚がこう訊ねてきた。
「貴方はずいぶん政治に興味があるようだが、次期衆院選後は、自民と民主、どちらの政権を望むか。」
と。
私も根は正直で、激しやすいところもあるので、適当に答えればいいものを、
「自民も民主も、もはや機能していない。解体して政界再編を起こすべきだ。」
と叫んでしまった。予想通り、ノンポリな同僚達は呆気にとられた。
しかしその中で一人、向かいに座っていた同僚が私の言葉に理解を示してくれた、かに見えた。
「その通り。自民も民主も信じられぬ。私は何年も前からそう思っていた。だから私はたいてい無所属か、共産党に投票している。」
「えッ…!」

別に同僚は本物の社会主義者ではない。曰く、自民も民主も信じられないが、投票権を放棄するのも勿体ない。それならせめて、自民・民主に対する第三極として共産党に入れるのもありではないかと。
他の小政党ではダメだ。連立の可能性がある。そういう意味では、これは「確かな野党」を掲げる日本共産党への信任であると言える。言い替えれば共産党が政権を取ることは無いという前提での行動なのだ。

共産党と言えば、私には一つ、記憶に残っている出来事がある。
あれは3年ほど前、私の近所にあるマンションの駐輪場で深夜にボヤがあった時、現場近くにあった共産党支部から党員(当時現役の市議会議員)一名がバケツを持って駆けつけ、まさに死に物狂いで消火にあたったという出来事があった。(彼がバケツで立ち向かったのは、支部に消火器の備えが無かったのではなく、消火器の使い方が解らなかったのだという説が根強い。)
火の点いた原付の燃える勢いは強く、完全な消火には至らなかったが、もしかしたら彼の行動がなければ、消防隊が駆けつけるまでの間に大火事になっていたかも知れない。我らはイデオロギーを越え、彼の勇気ある行動を讃えた。

その翌年に行われた統一地方選挙では、実際にその地区での共産党支持票が伸びたという噂もあったが、我が市で立候補した共産党の県議会議員候補は落選した。
一方、消火にあたった当人は、市議会議員選挙で見事再選を果たした。きっと今日も市内のどこかで、豊かで安全な社会と明るい未来を目指し汗をかいているだろう。

そんな「確かな野党」日本共産党の長、志位和夫委員長。次期衆院選では「自民にも民主にも協力しない」と宣言、共産党を「二大政党の悪政に立ち向かう唯一の政党」と位置付けると共に、何と、「確かな野党」から「政権を担う党への成長」を目指すと宣言した。
勇ましい。

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2009年6月24日 (水)

友愛と憎悪 (2) 「お友達内閣」と揶揄された男が友の為に起つ

郵政の人事をめぐる混乱で、急速に勢いを取り戻した「麻生降ろし」。山本拓議員(山崎拓と紛らわしい)が、自民党総裁選前倒しを求める自民党議員108人の署名を集めたなどと言い出し(真偽は不明)、もはや党内の結束も何もあったものではない。二代連続で総理が投げ出した挙句、三人目は辞めないし解散もしないから降ろそうとするとは。
山本氏らが危機感を持つのは解らんでもないが、議員達が、一度は自分たちが選んだ首相を引きずり降ろす過程を、マスコミを通じて有権者達に見せてしまうのは果たして賢いやり方なのか。この署名活動に本当に108人もの人が賛同し、そのやり方に疑問を感じなかったのなら驚く。

そんな麻生首相を支える為に、一度は表舞台から去ったあの男が立ち上がった。
「安倍政権で一番苦しい時に支えてくれたのは麻生さんだった。今こそ恩返しすべきだ。」
その男とは、安倍晋三元総理大臣。「投げ出し」総理の一人である。己の微妙な立場をわきまえ、首相辞任後は表立った動きを控えていたが、かつて幹事長として己を支えてくれた麻生氏が、あの頃の自分のように傷まみれになっているのを見て遂に動き出したのだ。

「総裁選前倒しでトップリーダーを代えることは考えるべきではない。国民に姑息(こそく)な手段と見られるだけだ。首相のもとで結束し、いかに魅力的な政策を打ち出せるかに勝負がかかっている」
 「麻生降ろしにより、もし首相が退陣したら、私を含め『3代続けて政権放り出し』と批判され、誰が次の首相になっても自民党は国民に見放される。麻生さんを支える以外の選択肢はないじゃないですか。」
MSN産経ニュースの記事より)

安倍氏は「お前が言うか!」と言われるのは百も承知で、覚悟を決めた上での発言だと思われる。
安倍晋三元総理。リベラルな思想を持つ人は強烈に毛嫌いしているかも知れないが、「美しい国」構想を掲げた彼は、ただのスローガンではなく、「こんな風に日本を良くしたい」という明確なビジョンを持っていたように思える。ただし心と身体はとても弱かった。

「週刊文春」6月11日号に、次期衆院選の結果予測の記事が載っていたのだが、これがなかなか面白い。記事は「邦夫の乱」直前のものであるが、その時点では民主・社民・国民新党三党を合わせてギリギリ過半数ではないかという予測だった。
そこで民主党は、次期衆院選で5議席を超える可能性もある「日本の夜明け」に連立を持ちかけるのではないか、そして「日本の夜明け」を繋ぎとめる為には渡辺喜美総理という可能性すらあり得るという。

対する自民党が頼れるとすれば、平沼赳夫氏の「平沼グループ」しか無いだろうが、これは5議席に届くのは難しいだろうし、連立の条件として、平沼氏と志を同じくする安倍晋三氏を総裁にするよう求めてくる可能性が高いと見られている。自民党はその条件を呑めないだろうと。

自民党と平沼グループの連立よりは、自民分裂後、安倍晋三、中川昭一両氏が平沼グループ合流というシナリオのほうがあり得るのではないか。あと何人か出てくるかも知れない。
しつこいようだが、とにかく自民も民主も解党して、それぞれの党の方針が明確になるように作り替えてもらいたい。そうでないと、個々の候補者を選ぶ小選挙区選はまだしも、政党を選ぶ比例選は選びようがない。
「石破農水大臣の農政改革を支持したいから、比例選は自民党に投票しよう。」
なんていうのはまるで辻褄が合わなくなる。

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友愛と憎悪 (1) 暴発寸前の邦夫

郵政公社の人事をめぐる鳩山邦夫の悲喜劇。盟友・麻生太郎首相と決別し、宿敵・西川社長もろとも玉砕かと思いきや、西川社長は減俸処分という形で留任。

そんな中、「MSN産経ニュース」で目にしたその見出しは、私の魂を熱く揺さぶった。

止まらない暴走!鳩山邦夫前総務相、「このままでは自民党は死ぬ」

邦夫曰く、
 「首相は非常によい方だが、致命的な判断ミスをした。経営を一新しなければ、国民が受け入れないのは当たり前だ」

私が思う弟ハトの魅力は、己の過激な意見を、さも国民の総意であるかのように強く言い切ってしまうところだ。
民主党の新代表が、邦夫氏の実の兄、「兄ハト」鳩山由紀夫氏に決まった時も、実の兄であろうと容赦せず、
「誰がどう見たって院政だ!」
と言い放ってしまった。
事実、今回の郵政人事の件などは、邦夫氏の主張を国民の6割が支持(日経、テレ東合同調査)、西川社長辞任すべきとの意見が7割5分(産経、FNN合同調査)にものぼり、確かに弟ハトの意見は支持されているのである。

かといって、邦夫氏の「天下獲り」を国民は支持するかというと別問題だろう。まさしく邦夫氏は西郷隆盛。破壊力は抜群だが、未来を託すには危険すぎる。今のところ邦夫氏に離党の意思は無く(少なくとも明言はせず)、党内の若手議員に檄を飛ばし、中から自民党を変えようとしているようだ。

中から自民党を変える。何だか「加藤の乱」を彷彿とさせて期た…不安になるが、大丈夫なのか。まさしく西郷隆盛のように、かつての友に弓を引き、壮絶に散っていく羽目になるのでは。

産経新聞の記事を締めくくった一文が秀逸。

 「暴れたくなる心を一生懸命抑えている。冷静に冷静に自らを戒めて…」。鳩山氏は23日、記者団の前でこう述べ、なぜか高笑いした。

弟ハトは鬼になってしもうた。兄ハトお得意の真言(マントラ)で、祓いたまえ清めたまえ。

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2009年6月19日 (金)

臓器移植法案 A案が衆院可決

法案4案が順番に決議されるという異例の採決方法で、意見が割れて結局4案とも否決されるのではないかとも言われていた臓器移植法。
自分がもし国会議員であれば、D案(15才未満は家族の同意と審査が必要)かB案(現行法の年齢要件を「12歳以上」まで引き下げる)で揺れるところだと思っていたが、意外にも、最も規制の緩いA案(15歳未満含め家族の同意があれば提供可能)が263対167で可決された。

私はこの法案においては、国会の決議を尊重したいと思う。これは政局ではなく、賛成も反対も棄権も含め、それぞれが重大な決断をした結果なのだから。そして参議院でも可決され成立されることを祈る。

しかしいざという時、家族は提供を決断できるか。私はできないだろう。

せめて自分は提供の意思を示す決心をしようかと思う。だがドナーカードはどこにあるのか。調べたところ、カードは病院、郵便局、市役所、そして一部のコンビニに置いてあるそうだ。郵便局に取りにいくか。

学生の頃に急性すい臓炎になったので、すい臓は提供しないでおこう。記念に取っておきたい。

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2009年6月17日 (水)

暴力に素手で立ち向かった宮澤総理 -「聞き書 宮澤喜一回顧録」より-

「聞き書 宮澤喜一回顧録」 御厨 貴・中村 隆英 編 岩波書店

宮澤喜一。自由民主党第15代総裁であったことから、「最後の将軍徳川慶喜」と揶揄されていたが、羽田・小沢派の造反により自民党が下野することになり、まさしく「最後の将軍」となってしまった人物。

最近、私はこの宮澤元総理に強い関心を持っていた。私が関心を持った要素は三つ。一つ目は、彼が吉田茂内閣時のサンフランシスコ講和会議に随行していたこと、二つ目は前述した、自民党が下野した時に自民党総裁であったということ、そして三つ目は、小柄で知的な彼が刃物を持った暴漢に襲われた時、驚くべきことに 素手で立ち向かい組み伏せたという逸話が残っていることだ。
この本を購入した動機は、本屋で内容を確認した時、本人の口からこの「暴漢に襲われた時」の戦いの一部始終が語られているのを見たからだ。

この事件、「ホテルで暴漢に襲われた」と聞いていたが、なんとこの時宮澤氏は、自民党を支持している某団体会長の名を騙る人物に、ホテルまで呼ばれたらしいのだ。
約束通り出かけた宮澤氏。会長の秘書らしき人物に案内されて部屋に入ると、その秘書らしき男が、「竹下氏が二千万円」などと不可解なことが書かれた紙を差し出してきた。不審に思った宮澤氏が顔を上げると、男はナイフを突き付けながら近づいてきた。

相手は「金を出せ!」と要求するが、その時宮澤氏はまとまった金を持っておらず、説得しようにも相手はまともに話が通じる状態ではない。おまけに、暴漢は仲間が駆けつけてくるようなことを言いだしたので、宮澤氏はまさに必死で、灰皿をぶつけられながらも何度も組みつき、暴漢から刃物を奪った。仲間が来て複数に囲まれる前に決着をつけなければ命が無いと思ったのだ。(結局、暴漢の仲間は駆けつけてこなかった。)
その後、部屋から脱出しようとする宮澤氏と、逃すまいとする暴漢の攻防が30分ほど続いた末、宮澤氏はどうにか逃げ伸びることができた。

上あごに打撲を受け、目を負傷したものの、卑怯な罠と暴力に対し己一人の武力で立ち向かった男の中の男、宮澤喜一。宏池会のニューリーダー(当時)はテロに屈しない。
しかし、そんな型破りな宮澤氏に対し、詳しい事情を知らぬ当時の永田町の住人達は、
「いくらかカネを包んで追い返せばいいものを、暴力に対し素手で立ち向かった『常識の無さ』が宮澤らしいな。」
などと心ないことを言ったという。

だが実際は違う。現に手持ちが無かったのだし、相手はまるで話が通じず、おまけに密室だったのだから、火事場の底力で打ち倒すしか無かったのだ。そんな心ないことを言う先生方が宮澤氏の立場だったら、なす術も無く倒れ、「○・○○事件」などと語られることになっただろう。

それにしても、この宮澤氏の底力の強さ。戦中戦後を経験した政治家のしぶとさを感じた。

参考資料:「総理執務室の空耳」 田勢康弘 新潮文庫

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兄ハトの本音

弟ハト邦夫が、やけに美しく飾られた花道をくぐって堂々と総務省を去ったその頃、兄ハト由紀夫のこの言葉が波紋を呼んだ。由紀夫氏の側近・小沢鋭仁氏が「ニュース新書」で語っていた心配とはまさにこのことか。

「来年7月の参院選で民主党が単独過半数を取ればそのことは消えていくと思うが、それまでの間は連立が最優先課題だ」

うん、本当に実も蓋も無いね。「その場の数合わせ以上の価値は無いッ!」と言っているようなものでしょうが。
さっそく、社民党の福島党首から
「本音が出たのだろう。」
と追求され、幹事長会談で岡田幹事長が火消しに回っているらしいが、この発言、取り返しがつかないのでは。

遅くとも今年の秋には衆院選が行われるので、そこで民主党中心の内閣が出来上がったとして、来年の7月まで9~10ヶ月か。
その一年足らずの間で、与党民主党が実績と呼べるだけのものを作るのは難しいかもしれないが、単独過半数を取れるだけの期待をかけられるまでになれるのだろうか。

次期参院選の時には、再編された旧自民の一派・旧民主の一派・日本の夜明け・平沼グループ四党の連立政権とかになっていたりするのでは。むしろ、それを期待しないわけでもないけど。

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2009年6月15日 (月)

ハト政局はまだ一幕目

格好良いなあ、鳩山邦夫。総務省を堂々と去る鳩山前総務大臣の写真
冗談ではない。本気で言っている。

自らを西郷隆盛に例えた邦夫氏。マスコミはやたらと新党結成かとあおり立て、本人も完全には否定しなかったが、さすがにそれは無いんじゃないかと思う。「脱官僚」を目指す渡辺・江田グループ「日本の夜明け」や、「健全な保守政治」を目指す平沼赳夫グループですら、一部の熱烈な期待をかけられているものの爆発を起こすには至っていない。「週刊新潮」(6月18日号)の記事で書いてあったに過ぎないが、中川秀直が新党「改革」を結成するなどという話まで出てきている。
ここで鳩山邦夫氏が新党を結成しても、ごった煮状態でわけがわからんでしょう。「我が党は死しても筋を通す!」などと掲げても、まあ埋没するだろう。それとも邦夫氏のあの頑なさゆえに、例え埋没してでもあえて新党結成するか。それが邦夫の生き方なのか。

現実的に考えるにしても、民主党左派が嫌いで仕方なかった邦夫氏だけに、いかに兄が代表になったとはいえ、社民党との連携を強める民主党に戻る可能性も薄そうだ。
やはり邦夫氏はもうしばらく、自民党の心臓を内側からえぐるハトとして生き続けるのか。解散総選挙が行われるまでに、自民党公認が取り消されるかも知れんが。

驚いたのは、日本経済新聞・テレビ東京合同の世論調査で、鳩山前総務相の一連の行動を支持する人が59%にものぼった(不支持は21%)ということだ。「かんぽの宿」のオリックスへの一括譲渡と、西川社長続投を一貫して支持してきた日本経済新聞社の調査で。

「国民置き去りの騒動」などとマスコミは冷ややかに語り、私も世間は冷めた目で見ているのではないかと思っていたのだが、意外にも支持されていたのだ。アイドル全裸事件に対する激しすぎるコメントで、某アイドルの何倍も批判されていたが、それとは切り離した形で郵政をめぐる行動では支持されていたとは。意外だった。

国民の支持を受け、邦夫氏は「俺は間違っていなかったんだね。」と確信し、志はさらに高く、熱く燃えることだろう。ハト政局はまだ一幕目が終わったばかりだ。
最も近くにいた人すら離れていった麻生総理は哀れに思える。念願の総理になったものの、郵政民営化には本音では反対だったという麻生氏。彼が今の総理でなかったら、今頃は、邦夫氏と行動を共にする覚悟を決めただろうか。

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2009年6月14日 (日)

「吉田のトイレットペーパー」伝説 -「吉田茂 ポピュリズムに背を向けて」より(2)-

「吉田茂 ポピュリズムに背を向けて」 北 康利 講談社

前回の続き)

日本を再び独立国にする為に尽力した首相、吉田茂と、その側近の白洲次郎。二人は強い信頼関係で結ばれ、非常にウマが合った。
戦勝国に媚びぬ強情さと勘の良さは共通しているものの、見た目はまるで正反対。次郎は長身の美男で、傷だらけになりながらも守るものの為に戦うのがよく似合う。NHKのドラマで伊勢谷友介が演じた次郎も最高に格好良い。実に絵になる男である。
対する茂は、背は低く丸々と太っている。総理就任を打診された時もなめたような三つの条件を提示し、日本国民の生殺与奪を握るマッカーサー元帥にすら煙に巻くような発言をする。その風貌と奇想天外な言動は風刺漫画の格好のネタとなり、時代を越えて漫画には頻繁に登場する。

そんな二人が向かったサンフランシスコ講和条約の大舞台。サンフランシスコに向かう飛行機の中で、次郎はTシャツにジーンズ(彼は日本人ではじめてジーンズを穿いた人物と言われている)という姿で過ごしていたが、飛行機から降りてきた時、彼は一分の隙も無いほどのダンディな背広姿で現れたという。
対する主役の茂は、古びた背広に時代がかったパナマ帽にステッキという、実にやぼったい格好で臨んだという。

そうして臨んだサンフランシスコ講和条約の調印式。茂が行う条約の受諾演説を前に、「日本一格好いい男」白洲次郎は、英語で書かれた演説の原稿を見てこう言った。
「講和会議でおれたちはようやく戦勝国と同等の立場になれるんだろう。その晴れの日の演説を英語でやるバカがどこにいるんだ!
次郎の指摘は、この先日本が独立国としての道を再び歩む為の第一歩として、非常に重要なものであった。そこからは日本人スタッフ達が、演説の和訳を手分けして必至で書きあげ、大きさの違う和紙を切り貼りして、なんとかギリギリで演説の時間に間に合った。
おそろしく分厚い巻紙の原稿を見て、もともと演説が嫌いな茂は度肝を抜かれた。
(追記:NHKドラマ「白洲次郎」最終回でも、このシーンは最大の見せ場として描かれていた。出来上がった巻紙の原稿はまさしくトイレットペーパー)

演説の下手な総理大臣として知られた茂であったが、全世界が注目する講和条約調印式の舞台で、茂は堂々と原稿を読み上げ、各国の代表からの惜しみない拍手を受けた。
それと同時に、まさしく漫画のキャラクターのような風貌の吉田茂が、どう見てもトイレットペーパーにしか見えないような分厚い巻紙を見て演説する滑稽な姿に、各国の代表は戸惑った。

この巻紙原稿を見た各国のマスコミは、
「ヨシダはトイレット・ペーパーを読んでいた。」
と本国へ打電したというが、そんな貧弱な軽いものではなかったのだ。(P.358)

そう、決して水で簡単に溶けるような軽いものではない。
「独立国として、我が国の言葉、日本語で堂々と読むべき。」
という次郎の激情。この次郎の「格好良さ」が、茂の演説に誇りと力を加えると共に、奇しくも茂の「面白さ」をも強く引き出してしまった。占領を背負った二人の男の絶妙なコンビネーションである。

この「ポピュリズムに背を向けて」には、写真嫌いで知られた茂の、貴重な写真がいくつか掲載されている。まさしく「宿敵」と書いて「とも」と読むべきマッカーサー元帥との2ショット(両者の公職引退後に撮影したもの)や、戦後、インドから日本の動物園に贈られた象にバナナを与える茂、サンフランシスコ講和条約で「トイレットペーパー」を読む茂。そして、サンフランシスコ講和条約発効後、第一生命ビルの屋上に日の丸が掲げられた「占領が終わった瞬間」に、茂が見せた生涯最高の笑顔。
「占領を背負った男」では、講和条約調印のその日、独りホテルの部屋でウィスキーを飲みながら、次郎は大粒の涙を流したという。このシーンを見た時、私も思わず涙が滲んだ。
それとは対照的にも見える、茂の掛け値無しの笑顔。つられて笑ってしまいながらも、やはり涙を滲ませずにはいられない。

(終)

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2009年6月13日 (土)

吉田茂 人を喰った男 -「吉田茂 ポピュリズムに背を向けて」より(1)-

「吉田茂 ポピュリズムに背を向けて」 北 康利 講談社

吉田茂。戦後、日本が連合国の占領下にあった頃に総理大臣となり、サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約に調印した人物。
麻生太郎首相の母方の祖父であり、二千年に一度の「占領」という危機を背負った男として、百年に一度の危機と呼ばれる現代において再び注目されている。

この本の著者である北康利氏の代表作と言えば、今年NHKでドラマ化され話題を呼んだ、「白洲次郎 占領を背負った男」(講談社)である。

【白洲次郎 占領を背負った男】
(あらすじ)
吉田茂の側近、白洲次郎は、終戦後に「終戦連絡中央事務局」の参与に就任。GHQとの折衝に当たった。
「我々は戦争には負けたが、奴隷になったわけではない!」
が持論の次郎は、GHQを相手に一歩も引かず、彼らをして「従順ならざる唯一の日本人」と呼ばせるほどにてこずらせた。しかし、しょせん日本は敗戦国であることを思い知らされ、「今に見ていろ。」と人知れず悔し涙を流すこともあった。
増長を続けるGHQ民政局に立ち向かう為、鬼になる覚悟を決めた次郎は、謀略を用いて宿敵ケーディスを日本から追い出した。これをきっかけに、日米両国は講和に向けて大きく動きはじめた。
やがてサンフランシスコ講和条約が締結され、日本に再び日の丸が揚がったのを見届けた次郎は、風のように颯爽と表舞台から去っていった。

この「占領を背負った男」はとにかく熱い。北氏の筆が、白洲次郎の持つ激情と、日本復興のすさまじいエネルギーに火を点けて大きく燃え上がっている。「今に見ていろ」という次郎の悔し涙、通商産業省創設の秘話、涙で滲んで見えなかった日の丸、親友ロビンとの再会と、静かすぎる別れ……。その一つ一つに胸が熱くなると共に、今まで置き忘れてきていた大事なものを思い出したかのような気分になる。

そんな北康利氏が新たに書いた、もう一人の「占領を背負った男」吉田茂の物語。むしろ、当時の日本国の宰相であったこの人こそが、真の「占領を背負った男」である。
「占領を背負った男」で感じた魂を揺さぶる物語がまた一つ出来上がったのかと思いきや、同じ時代に同じ使命を背負って生きてきた人でありながら、随分と印象が違う。それは吉田茂その人の強烈な個性から来るものであるのだが、紛れもなく二千年に一度の危機に直面しているにも関わらず、ものすごく喜劇的だ。

そんな「喜劇的」な吉田茂を象徴するエピソードを一つ紹介しよう。
終戦から間もない頃、日本国内は深刻な食糧不足に見舞われ、それを憂慮なされた天皇陛下(昭和天皇)は、皇室の財産を売却し、そのお金で米国から食糧を買い取り国民に与えたいとマッカーサーにご提案なされた。 それを聞いたマッカーサーは感激し、自分が責任を持って、日本国民に餓死者を出さないようにすると約束。その約束から半年後、首相の座に就いた茂に、どのくらいの量の食糧が必要か数字で示すように言った。
茂が農林省に調査させたところ、餓死者を出さないようにするには全部で450万トンの食糧が必要だという。
その数字をもとにマッカーサーは食糧支援を行った。だが実際に支援を開始してみると、450万トンなどというのは大嘘で、わずか70万トンで日本全国に充分な食糧が行き渡った。
とんでもない計算違いに驚き呆れたマッカーサーは、茂を呼びつけ厳しく叱りつけた。それを聞いた茂は悪びれもせず、ひょうひょうとした態度でこんなジョークを飛ばしたという。
「もし日本が正しい数字を出せる国だったら、戦争に負けてなどいませんよ。」
思いがけず、日本国総理の壮絶な自虐ネタを食らい、マッカーサー元帥は不覚にもツボに嵌ってしまった。これをきっかけに、茂とマッカーサーは、思ったことを遠慮なくぶつけ合える関係になったという。
実はこの農林省の官僚は、決して杜撰な統計を取ったわけではなく、日本国民を絶対に飢えさせぬ為、命懸けで法外に大きい数字を提示したのだった。そのことに茂は気付き、彼もまた命を懸けたのだ。

白洲次郎は吉田茂を守る為、そして連合国から日本国を取り戻す為、GHQを相手に真正面から戦った。そして茂は、真正面から逆らわないものの決して媚びることもせず、国益の為に命懸けでGHQを騙したのだった。

【人を喰う】
人を侮る、ばかにする、という意味合いの例え。晩年の茂は長生きの秘訣について訊かれ、
「人を喰って生きております。」
などと言ったという。この発言自体がまさしく「人を喰った」発言である。
決してカニバリズムのことではない。茂が本当に人肉を食したわけではない。
さらに蛇足を加えるなら、茂は好物を訊かれた時、
「美味しいもの。」
と答えたこともあったという。まことに人を喰った答えである。

続く

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2009年6月 9日 (火)

「邦夫の乱」は「ハトの乱」へ

「辞任しないで認可しない。」
「こんな話に落としどころがあるか。あるわけない。」

郵政の西川社長続投が決まれば総務相職の辞任を覚悟か、と言われた鳩山邦夫総務大臣であるが、勇ましいことに、西川社長の続投などありえないから、自分の総務大臣辞任もあり得ないという趣旨の発言を続けている。その強硬な態度が、盟友である麻生首相の首を絞めることになると言われようとも、鳩山大臣自身は己の揺るぎなき信念に基づいて行動している。むしろ周りが言えば言うほど頑なになる。

「総理は人の意見を聞きすぎる。」
鳩山大臣が、「文藝春秋」5月号で、実の兄である鳩山由紀夫氏(当時は民主党幹事長)との対談「自民党も民主党もいらない」で語った言葉である。「我がまま」な小沢代表(当時)を支える兄と対比して、自分は総務相として「人の話を聞きすぎる」麻生首相を支えている、と述べた。

そんな弟の邦夫氏に対し、兄である民主党代表、鳩山由紀夫氏は言った。
「今、永田町で二羽のハトが麻生首相を突っついている。私は正攻法だが、もう一羽は中から内臓をえぐるぐらいの状況だ。早く大臣を辞めて新しい道を進んだらいかがか。」
まるで古代中国の軍師のようである。敵側にいる相手に誘いをかけると共に、組織の中にいられなくなるように仕向ける。

それにしても、「二羽のハト」などという例えを使ってわざわざ劇的に表現したがる鳩山代表を見て、私は何となく親近感を感じてしまった。

そんな鳩山代表。週刊文春の記事によると、風呂場でマントラ(真言)を唱えるのが日課だという。……。

当管理人の宗派は真言宗ですが、鳩山由紀夫氏の奥方とは違い、いわゆるスピリチュアルなどというものは大嫌いです。オカルトは好きですが本気で信じてはいません。念の為。

精力的に全国各地を回る小沢一郎氏を見て、やはりこの人は己の政策を実現するよりも、選挙に勝つことや権力闘争に勝つことそのものが生きがいなのかも知れないと思えてきた。

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2009年6月 5日 (金)

杉村太蔵の引き際

あの郵政民営化選挙に自民党比例区の候補者として出馬し、まさかの当選を果たしてしまった杉村太蔵議員。彼がどういう人物かは改めて語るまでもないので省略するが、彼もようやく30という若さなのだし、民間人としての穏やかな生活をやり直すこともできるのではないだろうか。

「自分が無所属で出馬すれば民主党を利することになる。」
この言葉、ギリギリのところで己を納得させられる落としどころだったと思うのだが、自民党の道連幹部はそっけない。

「世論調査をしても杉村氏の支持はほとんどなく、影響はない」(毎日新聞より)

むしろ無所属で出るならどうぞと言わんばかりの言い方だが、最後くらい花持たせたれや。

去年の冬頃には、鈴木宗男氏の新党大地が杉村氏を支援するという噂が出たこともあった。その時宗男氏はインタビューで、
「当選した当時と比べ、杉村君は大きく成長した。」
と評価すると共に、本人にその気があるなら迎え入れる用意があるというようなことを言っていたが、宗男氏のほうから働きかけるつもりはないようだった。杉村氏もまた、当時は
「絶対に自分が自民党の公認を受け出馬する!」
と意固地になって自民党にこだわり、議員数一名の新党大地を軽んじているともとれるような発言もあった為、その話は完全に消えてしまったようだ。

私が杉村氏の立場だったら、新党大地での再出発にロマンを感じるが。例え落選したとしても、北海道の為に一つでも何かを良くできるかも知れない。

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2009年6月 4日 (木)

鳩山邦夫は第二の「破壊者」になれる

邦夫の乱

はやり出たか。新聞の見出しにこの言葉が。「秀直の乱」はまだですか。

己の政治生命まで懸けて「かんぽの宿」問題を阻止し、東京中央郵便局の建て替えにも横やりを入れた上で、郵政の西川社長との最終決戦に背水の陣で臨んだ鳩山邦夫総務大臣。
麻生首相への強烈なアンチテーゼとして「ぶれない政治家」の恐ろしさを見せつけてくれた。
二つに一つの決断を迫り、玉虫色の決着を自ら断った鳩山総務相。この勝負の決着もさることながら、「その後」がとても楽しみである。

あの強情さと破壊力。鳩山総務相は小沢一郎に続く第二の「破壊者」になれる素質を秘めているのではないかと私は思う。

某アイドルの全裸事件で、「最低の人間」と口走ったことで猛烈に批判を受け、素直にお詫びして訂正した上で、
最低最悪の行為と言い替えさせていただく。」
と言ってしまった弟の邦夫氏。なんでわざわざ「最悪」って付け加えたんや。総務大臣として、「罪を憎んで人を憎まず」ということを言いたかったのでしょうが(そうですよね?)、大多数の国民には正確に伝わっていません。

一方、兄の由紀夫氏は、
「家宅捜索までやるなんて、最近の警察や検察のやり方には違和感を感じる。」
と、ここぞとばかりに検察を批判。これもまあ、まっとうな意見かも知れないが、当時の代表のアレがナニだった時期だけに「ここぞとばかりに」と思われたのは仕方ない。

晴れて鳩山自民党が第一党となった暁に、鳩山邦夫が呼応して、鳩山兄弟政権が誕生したら……、何だか不安になると同時に、実現性が高いようでどこか現実味が無い、不思議な気分になる。

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2009年5月30日 (土)

週刊新潮の最後のページは危険な香り

管理人も遂に30歳になった。この一年は、いろいろなものに決着をつけていこうと思っている。

週刊新潮の最後のページにある、「週刊鳥頭ニュース」というのが面白い。西原理恵子の漫画と佐藤優のコラムで世相を語るという過激すぎる連載。

ページ上段にある西原氏の漫画はおそろしく下品。かつて、金正日の長男、金正男が来日した時に新宿二丁目は大騒ぎになり、金正男のグラビアがゲイ雑誌に掲載されたなどというエピソードが紹介されていた。
それだけ聞くとまるで不可解だが、女性から見たそれとは違い、ゲイから見た魅力的な男性の容姿とは固太り(専門用語で「ガチムチ」というらしい)であるという。ベルトラインに乗っかった腹の肉は「天使のエプロン」と呼ばれているとか。そして知的であることも高いステータスを持つという。
その条件で言えば、他ならぬ佐藤優氏こそ、「ガチムチでインテリで天使のエプロン付き」と魅力の詰まった、「ゲイ界のブラッド・ピット」であると西原氏は言う。

そんな佐藤氏のコラムはページ下段にある。自身、鈴木宗男疑惑で逮捕され、今も裁判中である佐藤氏が裁判員制度を評して曰く、
「我々はプロの検察と裁判官に裁かれたからこそ、まだ首と胴体が繋がっているのである。もし当時既に裁判員制度が導入されていて、鈴木宗男疑惑の嵐の中で人民裁判が行われていたら、私も鈴木宗男氏も『国賊』と見なされなぶり殺しにされただろう。
と。
今の日本で、国策捜査や裁判の恐ろしさを語らせたら右に出る者のいない佐藤優氏。ソビエト崩壊の現場ををくぐり抜け、日本では塀の向こう側を見てきた佐藤氏から放たれる危険な男の魅力は、ゲイ達にとってはウォッカのように刺激的。

国策捜査評論の第一人者である佐藤優氏は、「獄中記」文庫版(岩波現代文庫)の文庫版あとがきにて、あの西松建設事件について語っている。佐藤氏曰く、西松建設事件は国策捜査としての条件を満たしていないという。政権奪取は必然と言われた民主党の力を削ぐのが目的かという意見も多いこの事件だが、
「検察は弱体化した権力に味方するほどお人好しではない。」
という。では、この事件における検察の目的とは何か。

以下、佐藤氏の見解を抜粋。

「特捜の現場の検察官が、いわば戦前の二・二六事件の青年将校化している。政府は弱体化している。政党は、自民党も民主党も腐敗している。(略)これでは日本の国がおかしくなってしまう。もはや公益の番人であるわれわれ検察官が社会の全面に出て『世直し』をしなくてはならない。」(P.534)
「私の見解では、国策捜査ではなく、自らが信じる正義に忠実な青年検察官のきれいな社会をつくろうとする欲望に支えられた『世直し』であるから、その行き先の状況を懸念しているのである。」(P.536)

検察官が自らの「正義」を信じて行動したという佐藤氏の見解は、以前このblogでも紹介した、「WiLL」5月号に載っていた松田賢弥氏の見解と通じていて興味深い。

政治の混迷が限界を超え、新興宗教や検察が問題意識を持って政治に介入しようとする。そのくせ、かつての安保闘争のように学生が蜂起する気配などまるで無く、一般国民の多くは失望しまるで無関心になっている。奇妙な世の中だと思いつつも、無責任にこの混乱を楽しんでいたりもする。解散総選挙が楽しみで仕方ない。

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2009年5月22日 (金)

「美学」を育てる教育 -「サッチャー改革に学ぶ教育正常化への道」より-

「サッチャー改革に学ぶ教育正常化への道 英国教育調査報告
中西輝政(監修) 英国教育調査団(編) PHP

私は決して筋金入りの愛国者ではない。むしろ、優等生では無かったもののまともに現代の学校教育を受けて育ったので、「愛国心」という言葉には今でも抵抗があるし、どう間違っても戦争に参加したくはない。太平洋戦争に対する議論を持ちかけられても正直、「見てきたわけではないので解らん。」としか言いようがない。

しかしいいかげん、軍国主義と切り離した上で、感情的にならず本来の「愛国心」というものをちゃんと教育すべきではないか。そう思うことが多くなった。
その「愛国心」の無さに通じるものだと私は思っているのだが、自分自身を含め、今の日本人たちの多くは、芯の通った「美学」というものが欠けているのではないか。そんな風に思う。

そんな時に見つけたのが、冒頭に挙げたこの本である。現代日本の「自分の国の歴史、伝統、文化に誇りが持てない教育」(P.2 「はじめに」より 平沼赳夫議員)に危機感を持った日本の国会議員達が、かつて同じような問題に直面した英国の教育改革の実例を参考にしようと調査団を派遣(2004年9月26日~10月9日)、その報告として発刊された。

ここでは、管理人自身の情報の整理を兼ね、要点をまとめようと思う。

【サッチャー首相の教育改革前】
1944年教育法では、学校で何を教えるかは全て教師の判断に委ねられていた。
子供の主体性、自主性のみを過大に尊重する「児童中心主義教育」が推奨されていた。
大英帝国の植民地支配、奴隷貿易などの否定的な評価が強調された、「自虐的」な歴史教育が横行していた。
1980年代半ばには、義務教育を終えても読み書き計算ができない国民が多かった。
過激な性教育が横行し、未成年の中絶者が増えるなど、性道徳が乱れた。

【1980年教育法】
マーガレット・サッチャー首相が「学校運営への親の参加」「親への情報公開」を定めた「1980年教育法」を制定。

【1988年教育法】
国定カリキュラム全国共通テストを導入。宗教教育(国教であるキリスト教と、他宗教も同時に学ぶ)を強化。
学校運営の権限は校長に委ねられた。ただし、国定カリキュラムに沿った学校運営が行われているかは、全国共通テストの結果と、教育水準局の監査によって厳しくチェックされる。基準を満たしていない学校には相応のペナルティが課せられる。

【歴史教育】
一つ一つのことがらに対し、良い面と悪い面の両方を教える教育方法に変更。
例えば、大英帝国の強大な軍事力による植民地支配を教える際には、植民地のインフラ整備や学校建設など、植民地の発展に貢献した歴史も同時に教える。
「どの国にも光と影の歴史があり、影の部分ではなく、イギリスが世界に貢献した光の部分もバランスよく教え、それをどう考えるかは生徒自身に委ねる。これがベーカー元教育大臣の歴史教育に対する基本姿勢なのである。」(P.97-98)

仮にかつてのような偏向歴史教科書を発行する業者があっても、その教科書を使った授業の内容では全国共通テストで良い点を取れるはずがないので、そんな教科書が売れるはずが無い、だから偏向教科書はもう発行されないという仕組み。(英国には教科書検定は無い。)

【美点】
・国民たちが自国の歴史に自信と誇りを持てるようになり、「イギリス病」と呼ばれた無気力な国民が減った。
・学校の裁量権が格段に上がったので、教育現場の意欲が上がった。
・親の教育に対する関心が強くなったことで、家族意識も高まり、非行の是正にも役立った。
・宗教教育の強化により、宗教的道徳観が築かれ、他宗教に対する理解も深まった。

【挙げられている問題点】
・学校間の競争が過熱気味になり、教師達が疲弊している。
・子供たちが一年中テスト漬けになっている。 等

日本で教育改革が議論される時にも、懸念事項としてこれらの問題が挙がっている気がする。特に後者などは、日本が「ゆとり教育」に移行する前の、「詰め込み教育」批判と同じようなもののような気がする。

教育者でもなければ人の親でもない私としては、学力向上の為の改革については口出しする気はないが、歴史教育の改革についてはいいかげん、段階的にでも進めてもらえないかと考えている。英国に教えられるまでもなく、良い点と悪い点の両方を教えるのが、本来の歴史教育だと思うのだが。

日本では、安倍内閣発足時に、安倍首相が「美しい国」構想を掲げ、教育法改正にも取り組んだものの、「お友達内閣」と呼ばれた閣僚たちの相次ぐ不祥事と、自身の健康問題により、改革は不完全なままで倒れてしまった。
今は、かつて安倍氏と志を同じくした平沼赳夫氏が、自虐的な歴史教育の改革も含めた「健全な保守政治の確立」を掲げ、政界再編に向け動いているという。次期衆院選で「平沼グループ」はどこまで議席を伸ばし、どの地位に収まるかは未知数だが、どうにか頑張ってもらいたい。
(平沼氏は同書のまえがき、安倍氏は第三部の対談に参加している。)

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2009年5月17日 (日)

日教組と戦う中山成彬議員、次期衆院選への出馬を再検討。

「日教組はガン」「日教組をぶっ潰す」等、度重なる過激な日教組批判で物議を醸し、遂には党県連にまで反対されて、昨年10月に次期衆院選には出馬しない意向を発表した、自民党の中山成彬議員。

その中山氏が、「再考して出馬の可能性を探る意向を示した」ことを発表したと、日本経済新聞5月17日朝刊の総合・政治面に小さく載っていた。
どういうことだ。例え無所属で出ることになっても、教育を改革するという決意を新たにして、もう一度やろうというのだろうか。

インターネットで検索してみると、「宮崎日日新聞」のWebサイトに掲載された記事では、「支持者グループから立候補を求める署名を受け取った」とある。支持者グループの詳細は不明だが、彼の目指す教育改革に同調するグループなのか。

しかし、選挙区の自民党県連では、既に次期衆院選での候補予定者を決めたらしく、それには中山氏本人も悩んでいるそうだ。
もはや、本当に出馬しようとするのなら、無所属で出馬するしかないのではないだろうか。公認は得られないだろう。

だが、あえて無所属で出て欲しいと私は期待している。教育改革への志が本物なら出るべきだ。
グループに入ることはないかと思うが、同じ志を持つ平沼赳夫氏からも、何らかの協力が得られるかも知れない。
自民党という組織から離れ、己の力で教育改革を目指し活動するか。それとも執筆や講演で、教育改革を求める世論を形成するか。どちらにしろこのまま諦めずに戦って欲しいものだ。

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2009年5月13日 (水)

渡辺喜美氏、江田憲司氏のグループは「日本の夜明け」に決定。

民主の次期代表は岡田氏か鳩山氏か。それも確かに重要だろうが、もっと視野を広げようではないか。

山形では、現役の山形市議会議員、伊藤香織氏が山形1区での出馬を表明。彼女に衆院選への出馬を打診したのが、郵政民営化に造反し自民を離党した、平沼赳夫元経済産業大臣である。
メディアでは、平沼氏の口から語られることはあるものの、姿を現さない「平沼グループ」。実際に誰が所属しているのか。

「グループの中心は城内実氏や小泉龍司氏という、郵政選挙で落選した議員たち。他には県会議員や議員秘書だった人など。」「全員、私(平沼氏)が面接をした、思想も生き方も決してぶれないと判断した力強いメンバーだ。」
(「七人の政治家の七つの大罪」P.241)

近年流行りの「パフォーマンス」は嫌いだという平沼氏だが、本当に期待の持てる第三極が求められている今だからこそ、メディアを通して国民に声を届けるべきではないか。そう思う。

公務員改革を志す「劇団ふたり」こと渡辺喜美、江田憲司両氏は、彼らが結成した無所属議員の政策グループを「日本の夜明け」と命名(公募で選んだ)。あと三人の現職国会議員を招き、正式な新党としての発足を目指すという。

そして新党大地の鈴木宗男氏は、「週刊ニュース新書」のインタビューで、
「新党大地は次期衆院選で2議席獲得を目指す。素晴らしい候補者を用意している。2議席獲得できれば新党大地は大きな力を持つ。
と力強く語った。今もたった一人の新党で、質問主意書を武器に戦う宗男氏。一人が二人になることで政治を大きく変えられるというエネルギーに溢れた信念に、単純な私は心を打たれた。
「二人の力」そして「素晴らしい人物」。宗男氏がそこまで言うほどの人物とは一体誰なのか。まさか、北方領土特命交渉の盟友、佐藤優氏擁立などということがあり得るのか?……案外、あるかも知れない。

もし、本当に鈴木宗男氏、佐藤優氏の「新党大地」コンビが実現したのなら、是非とも渡辺、江田両氏の「日本の夜明け」と手を組み、外務省との最終決戦に臨んでもらいたい。
外務省の皆様、渡辺喜美総理大臣、江田憲司官房長官、そして佐藤優外務大臣などという夢(悪夢?)のキャスティングは如何でしょう。

もう一人気になるのが、「減反の維持や強化は賛成しない」との意向を遂に明言した石破茂農水大臣である。一般消費者の支持は得ているものの、農協や農林族議員からは強烈な反発を受けているとたびたび報じられている。

石破氏は意外にも、羽田・小沢派が造反した1993年の宮澤内閣不信任案決議で、彼もまた賛成票を投じ自民党を離党、新生党、新進党に所属していた時期があったという。不信任案に賛成した動機は、不信任案提出のきっかけとなった「小選挙区制導入」を実現したかったためだったと。本人の信念で思い切った行動に出たのだ。

石破氏のタブー無き農政改革の志が本物なら、自ら自民党を離党し、再編の渦に飛び込むことで突破口を見いだせるのではないか。自民党が下野する可能性は依然高い。もし政権を維持できても、抵抗勢力に足を引っ張られて停滞するのはもっと悪い。
離党ありきの提案ではなく、農政改革の達成こそが目的であるのは当然であるが、いざという時には本物の覚悟を見せていただきたい。

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2009年5月12日 (火)

小沢一郎が主人公の「平家物語」 -「総理の座」より(2)-

「総理の座」 田勢康弘 文春文庫

(前回の「総理の座」レビュー、「風のように消えた細川内閣」はこちら

上記の本を、私は先日、amazonから古本で手に入れた。何と売価1円。これで売りに出す古本屋も商売にならんだろうに。まだ在庫があったと思うので興味のある方はamazonへどうぞ
この本を私は、田勢氏が描いた小沢一郎の「平家物語」として読んだ。

宮澤内閣発足前、小沢氏は竹下派の実力者として、宮澤氏を含む三人の総裁候補を呼びつけ面接、竹下派が推す総裁候補を選出したという。この頃が自民党内での権力の絶頂期であった。(「小沢面接」などと呼ばれ、小沢氏の「傲慢」「得体の知れない」人物像を象徴するエピソードとして、小沢氏批判を述べる人が頻繁に持ち出す。)
その後、「東京佐川急便事件」で金丸信という後ろ盾を無くし、梶山静六氏との「一六戦争」によって自民党は分裂。総選挙の結果、自民党は下野し、小沢氏は非自民連立政権の「黒幕」となった。
しかしその後、連立与党から追い出した社会党が、自民党との連立を組むという離れ技をやってのけ、遂に小沢氏は野に下った。

田勢氏曰く、小沢一郎と言う人は、明治維新における西郷隆盛だという。

「小沢氏には現代日本の政治家にしてはめずらしく物を壊す才能がある。破壊力は抜群である。が、新しい物を造ることはどうやら極めて不得手のようだ。
小沢氏にとっての不幸は、壊したあとに新しい物を造る指導者、大久保利通がいないことだ。そのうえ、時代は民主主義。透明性の高い議論が求められる時代には問答無用のようなやり方は通用しない。それにしても『破壊者』がおとなしくなっては政治はつまらない。」

(P.46-47 1999年11月29日に書かれたコラム)

さて、先ほどの記事を書いた時点では、私はまだ5/11の「WBS」を見ておらず、書いた後で録画していたものを確認したわけだが、田勢先生、同日の日経朝刊に掲載したコラム「核心」の内容と、「WBS」で語った内容に違いが無いか?

「核心」では、小沢氏が既に辞める覚悟を決めていて、辞めるタイミングを見計らっているのだと思っていたものの、最近の「衆院選で政権交代を実現」「身の朽ちるまで使命を達成する」という発言、そして民主党の対応を見て、小沢氏が代表のまま衆院選に臨む可能性も出てきたと、自らの予想が揺れているかのように語っていた
しかし「WBS」では、小沢氏の側から日程を決めて党首討論を申し込んだのを見て、田勢氏は小沢氏が辞任する意思を固めたのではないかと予感したと語っていた。

これは一体……?

「週刊ニュース新書」鈴木宗男氏出演の回のレビューを書きたいのだが、それは麻生首相・プーチン首相の会談が終わってからにしようと思う。

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小沢代表の辞任には「投げ出し」感が否めぬ。

5月9日、京都で行われた民主党の集会の場で、小沢代表続投に反対する立場と目されていた前原誠司副代表は、

「小沢代表が西松建設の件でしっかり説明し、納得できない有権者の数が減るなら代表続投もあるかも知れない。」

と発言したという。

5月11日の「日本経済新聞」朝刊では、「週刊ニュース新書」でもお馴染みの客員コラムニスト、田勢康弘氏が、コラム「核心」に以下のように書いていた。

「(小沢氏は)辞任カードを切るタイミングをはかっているのだな、と思ってきた。ところが、(略)このまま中央突破をめざすのではないかというようにも見えてきた。」

政治ジャーナリストとして長年小沢一郎を追いかけてきた田勢氏にも、いよいよ小沢氏がどういった行動に出るのかわからなくなってきたのだろう。
まさかこのコラムが出たその日の夜に、小沢氏が突然辞任を発表し、田勢氏自身も「WBS」に緊急出演することになるとは思いもしなかっただろう。

私はこの日の午後3時半頃、職場の休憩中に何気なく見た日経の携帯Webサイトで「小沢代表辞任」の見出しを見て思わず声をあげた。
そこからは仕事が手に付かず、大して忙しくなかったのをいいことに、自分のパソコンでニュースサイトを確認し、速報でアップロードされる記事から会見の全内容を読んだ。

記者会見でどんな発言が飛び出すのかと思ったらまるで期待外れだった。
何のことはない。己の辞任が選挙に有利にはたらく最高のタイミングを見計らっていたと言われていたが、小沢氏も世間が思っているほど強くはない。耐えきれなくなったのだろう。
党首討論を2日後に控え、補正予算審議の最中での辞任発表。安倍元首相、福田前首相と同じ「投げ出し」にしか見えない。

辞任会見においてもなお、「西松建設からの献金は適切に処理している。」と従来通りの説明を繰り返した小沢氏。これはもう、今後これ以上の説明は一切しない、これで終わりだということだろう。民主党の代表が変われば、有権者の気分は多少変わるかも知れないが、小沢氏と民主党に対する不信感はこれからも残っていくのでは。次期代表で名の挙がった人たちは、どの人も一度は代表になって、任期途中で辞めた人ばかりだし。

最後に、この日の午後8時頃になって小沢代表の辞任を知った先輩社員の、素朴すぎる感想(予想?)を発表しよう。
「小沢辞めるって?もしかして、もうすぐ逮捕されるからちゃうの?
あり得る、か…?

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2009年5月10日 (日)

宗男の前で、外務官僚は足をバタバタさせ、そして言った。「ボクちゃん、チャミチイでチュゥ。」 -「反省」より-

「反省 私たちはなぜ失敗したのか?」  鈴木宗男・佐藤優(対談) アスコム

北方領土問題解決にむけての期待がかけられている、5/11からのプーチン露首相の訪日に先駆け、日本経済新聞5/10の朝刊にプーチン首相のインタビューが載せられていた。

「『三・五島返還論』については日本国内でも固まっていないと聞いており、反応するのは時期尚早だ。外交方針の決定など対外関係は大統領の権限であり、首相は政府の先頭に立って難しい問題解決の条件を整えるのが役割だ。」

今回の訪露は経済関連が最優先で、北方領土問題に対しては慎重姿勢と同紙には書いてある。
ちなみに、
「個人的には3.5島返還でも良いのでは。北方四島を日露両国のつまづきの石にしたくはない。」
と発言した谷内正太郎政府代表は、上記の「反省」という本(出版当時は外務事務次官)の中では、「筋を通す官僚」であり、「外務省の救い」と高く評価されていた。(「高く評価」というのは適切でないかも知れない。「谷内さんが良い悪いと言いたいのではなくて、谷内正太郎的なものが当たり前であり」(P.213)と書かれている。外務省の標準があまりに非常識であると。)

そんな人物が、あくまで「個人的な考え」としながらも「3.5島返還論」に言及したのは、自身の立場と時期を考えればさすがに軽率だったのではと思えるし、それがロシア政府の態度に影響を与えたら大変だと思うのだが、それより気味が悪いのが外務省が4/17にしたとされる発表である。
「(谷内氏)本人に確認したら(3.5島返還については)言っていないとのことだった。」
…本人が言ったこと自体を否定したと言い切る。さすがに、正式なインタビュー記事での発言を「言っていない」では通らないと思うのだが、それを公式発表で言い切るのだから気味が悪い。

そんな外務省の「気味の悪さ」を、外務省の中でさんざん見てきた二人が語ったのが、上記の「反省」という本である。
2年前、この本の初版が書店に並んだのを見た私は、タイトル通り、彼らが刑事告訴された罪そのものに「反省」しているものだと思い込み、見向きもしなかった。
だがそうではない。彼らが「充分に反省した上で国民に説明しなければならない」と感じたこととは、「外務省の数々の不正を知りながら目をつぶり、野放しにした。むしろ彼らを庇ってしまった。」ことや、「周りの嫉妬や批判を相手にせず、がむしゃらに頑張っていたら結果が出ると思っていたが、結果的には足もとをすくわれ失敗し、国益を大きく損なってしまった。」ことなど。

またこの本には、数々の失態や醜態、不正の事実と共に、該当する外務省職員が実名で記載され、「特別付録」として本文の記載と紐づけられている外務官僚達の顔写真まで掲載されている。
これはもしかして、「反省」と称しながらも、外務省によって人生を変えられた二人が二つの火の玉となり、外務省に突入するかのような壮絶なる復讐なのでは。
私も当初はそんな穿った見方をしたのだが、それは本来の趣旨ではなく(そういう意図が全く無いとも思えないが)、佐藤氏曰くこの本は「一般企業のビジネスパーソンにも実用書として役に立つ」という。曰く、
企業や組織で、昨日まで慣行として認められていた、あるいは奨励されていたことが、ある日突然、犯罪とされ、司直の手が入ることがある。そういう人々にとって私たちの経験が何らかの役に立つのではないかと考える。」
多くの社会人達の胸に突き刺さる言葉であろう。通常業務の中でやっていることが、法的に見ればけっこう際どい、もしくは明らかに抵触していることが、一つ二つ思い当たるのでは。

それでは、この本に書かれていた、外務官僚の偉人伝を紹介しよう。

鈴木「(ある外務官僚が)酔っぱらって芸者さんの胸元に手を入れようとする。芸者さんが驚いて離れたら、幼児言葉になって『ボクちゃん、チャミチイ(寂しい)でチュ』などと言って、そいつは足を上げてオムツを替えてくれみたいなポーズを取った。」(略)

佐藤「そういう特殊な趣味があるヤツだ、単なる変態だと考えたら間違える。私も横で見ていましたが、鈴木宗男さんの前でこんな恥ずかしい幼児プレーをしても俺は大丈夫なんだと、特殊な関係を見せつける。計算された官僚の醜態で、『鈴木と何かあるときは必ず俺を通せ』とほかの外務官僚に対してアピールしているんです。(略)
すべて計算のうえでやっているのが外務官僚の恐ろしいところなんですね。」(P.149-150)

「異常とも思える行動を行う者の狡猾さを見誤るな。」という教訓であるが、逆説的にとらえれば、それをやるくらいなら死んだほうがマシなくらいの醜態を自ら晒すことで、トップとの強固な関係を(あるかのように)見せつけ支配権を握る、というこの奇策。
さすが我が国のエリートは考えることが違う。目の覚める思いがした。
もちろん、この「おむつプレイ」外務官僚の実名と顔写真も、同書にはちゃんと載っている。この人物が真性であれば、この仕打ちにさぞかし(以下略)

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2009年5月 8日 (金)

外務大臣が愛したテロリスト -「メドゥーサ」より(3)-

「メドゥーサ」 全8巻 かわぐちかいじ 小学館文庫(漫画)

前回の続き)

「メドゥーサ」レビューの締めとして、この作品の最大の名場面を紹介しよう。

民自党に反旗を翻した榊龍男外務大臣は、その意趣返しとして、テロリストとして指名手配中の榊陽子との関係をマスコミに暴露された。

龍男は松下総理に辞表を提出した後で記者会見に臨んだ。
龍男は、テロリスト榊陽子と過去に恋愛関係にあったことをはっきり事実として認めた。マスコミは激しく動揺しながらも、民自党代議士の実子であった陽子がなぜ反権力闘争に走ったのかの真意を龍男に尋ねた。
龍男は、
「陽子は己の信念に基づいて行動しており、彼女が今でも生きているのなら、世界のどこかで世の不正と戦っているはずだ。」
と答えた。
「取るべき手段は違っても、彼女は『明るく豊かな社会』を目指し戦っているのだ。」
と、テロリストの大義を悪びれもせず認めたのだ。龍男が外務大臣の辞意を表明したことはまだ発表されておらず、現役の閣僚がテロリストの行為を認めた形になっている。

龍男の堂々とした態度に気圧された記者たちは、己の意見ではなく米国議会の見解を借りて龍男を追求した。
「米議会から、あなたは危険思想の持ち主だと叩かれていますが、彼女との関係を後悔していますか!?」
龍男は答えた。
「女性を愛することが危険かどうか理解しかねますが、もしその気持ちがいたずらなものなら悔いることもあるでしょう。
愛するに値する女性を愛したのです…。後悔は全くありません!

マスコミは龍男を、破廉恥で危険思想を持つ政治家と批判した。一方、龍男が今も「まっすぐに生きている」ことを知った陽子は、
「これから何年も塀の中で生きなければならないとしても、あなたが生きている限り、私も生きていける…!」
と確信、マスコミの前で、闇の権力者達とそれに繋がる政治家、官僚達の罪を全て暴露し、龍男に立ちはだかる敵を葬った後で、潔く司法の裁きを受けようと決意した。

この漫画のクライマックスは、晴れて総理大臣となった榊龍男と、かつての陽子の同志であったパレスチナゲリラ山路とが、原子力発電所の中で陽子を賭けて一対一の決闘を行う。
本格的な日本の政治ドラマだったはずが、なぜか最後は、ハリウッド映画のような激しいアクションシーンである。だがこの決闘をもって、作品のタイトルである「メドゥーサ」の神話は完成するのだ。

(終)

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かわぐちかいじが描く「小沢神話」 -「メドゥーサ」より(2)-

「メドゥーサ」 全8巻 かわぐちかいじ 小学館文庫(漫画)

前回の続き)

自民党最大派閥竹下派を割り、自民党を割って下野させた小沢一郎氏。
小沢氏が自民党を割った動機は、小渕恵三氏と羽田務氏との派閥後継者争いや、小沢氏と梶山静六氏との「一六戦争」などによる自民党内の権力闘争の結果だったのかも知れないが、作中の小倉一郎はそんな小さなことで戦ってはいない。
小倉一郎と榊龍男は、まさしく日本の闇の権力そのものに戦いを挑んでいる。

当時はちょうど、ベルリンの壁崩壊により東西ドイツが統一され、ソビエト連邦が解体され東西冷戦が終結した頃だった。榊龍男は、ドイツやロシアなどの自由主義経済が未発達な国に経済支援をすることが、将来の日本経済の発展にも役立つと共に、中東に依存している石油の輸入をロシアにシフトすることは国益に適うと主張。この政策が、日本の中東オイル族議員達の強烈な反発を買い、図らずしも族議員達の後ろ盾となっている闇の権力者達をあぶり出してしまった。
闇の権力者、それは日本のホテル王と、アラブの石油王、そして元GHQ民政局少将。

政治を私物化する奴らこそ、龍男が最も憎むべき相手。龍男は民自党を割って政権交代を成し遂げ、下野した民自党もろとも闇の権力を国政から切り離そうと決意。同期の実力者である小倉一郎に協力を求めた。(この図式で言うと、龍男は羽田務、ということになるのか?)
「よかろう。この日本の舵取り、貴様一人では危なっかしい。」
龍男と共に戦う決意を固めたものの、恩のある松下総理(明らかに竹下登がモデル)に弓を引くことをためらっていた小倉。しかしその直後、小倉は刺客に襲われ重傷を負った。病院に運ばれた小倉を見舞った松下総理の態度を見て、小倉は松下が闇の権力に屈したと悟り、小倉の迷いは消えた。

正攻法しか知らぬ龍男と違い、小倉はケンカのやり方を心得ていた。あくまで松下に従順なふりをして榊派を孤立したように見せかけていた。そして決起の日、造反した榊派15名に、小倉派40名が呼応。「榊の乱」は成功し、有望な若手議員を根こそぎ奪われた民自党は、戦後から脱却できぬ旧態依然とした組織に落ちてしまった。

詳細は端折るが、最終話では小倉一郎は非民自政権の総理大臣となっている。
それにしても、かわぐちかいじが描いた小沢、もとい小倉一郎の剛腕伝説、小沢氏自身が「沈黙の艦隊」の大ファンだからという縁だからなのかどうか知らないが、格好良すぎないか?

現実世界での小沢内閣は、幻で終わってしまうのだろうか。
今となっては、下手したら小沢氏のほうが闇権力の……いや、何でもない。

続く

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かわぐちかいじが描く安保闘争と政権交代 -「メドゥーサ」より(1)-

「メドゥーサ」 全8巻 かわぐちかいじ 小学館文庫(漫画)

日本には本格的な政治小説が極端に少ないと言われているが、漫画家、かわぐちかいじの描く政治ドラマはかなり重厚で面白いと思う。
かわぐちかいじと言えば「沈黙の艦隊」(講談社)が最も有名だが、私が最も好きなのは、おそらく「沈黙の艦隊」と近い時期に書かれたと思われる「メドゥーサ」だ。

この話は、東大安田講堂事件やよど号ハイジャック事件、ロッキード事件、羽田・小沢派分裂による自民党の下野などの実際の出来事をもとに、「豊かな社会と明るい未来」を夢見た男と女の戦いと、結ばれぬ愛を描いている。

【あらすじ】

民自党幹事長、榊龍太郎の二女・陽子と、龍太郎の養子である龍男。二人は共に日本の明るい未来を夢見て強く惹かれあっていたが、目的を達成するために選んだ手段は全く逆だった。龍男は父の後を継いで政治家となり、日本の政治を改革しようとした。陽子は父に反発し、全国の大学生の一斉蜂起による社会主義革命を目指した。
二人は命がけで相手を己の側に引き込もうとしたが、相手が信念を曲げるくらいなら死を選ぶほどの覚悟であることを同時に悟り、袂を分けた。

やがて、龍男は父の地盤を継いで民自党の代議士となり、内閣官房副長官、外務大臣と重要なポストを歴任する。対する陽子は、闘争に敗れた後は飛行機をハイジャックし、中東に渡りパレスチナゲリラとなった。

別れてから20年もの年月が経ち、二人は再会した。民自党の有力政治家となった龍男が、今も変わらずまっすぐに生き、傷だらけになりながらも世の中の不正と戦っていることを知り、陽子は龍男への思いが再び燃え上がると同時に、テロリストとして生きる自分が龍男と共に歩ける未来など絶対に訪れないことを確信した。
覚悟を決めた陽子は、龍男を蝕む闇の権力に牙を剥いた。

この物語には、民自党を割り新党を結成、政権交代を目指す榊龍男の盟友として、現実世界の政権交代でも最大のキーマンとなったあの人が登場する。
自身、「沈黙の艦隊」の大ファンだと公言する、小沢一郎氏をモデルとした小倉一郎大蔵大臣である。

続く

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2009年5月 4日 (月)

保守系無所属の決起 -「劇場政治の誤算」より-

「劇場政治の誤算」 加藤紘一 角川oneテーマ21

前回の続き)

その書名と、裏表紙にある解説を見れば、「リーマンショック」以後急増した、小泉・竹中の新自由主義政策に関する批判本の中の一つと見られるかも知れない。確かに本の前半部分はそんな感じの内容だが、後半は、政界再編に向けて加藤氏がこれから掲げようとする政策、加藤氏の言葉を借りるなら「掲げるべき旗」の中身が書かれている。
亀井静香氏は、加藤紘一氏に「ちゃんと旗を掲げろ。」と言っていたが、加藤氏は既に旗を持っているのだ。ただし、亀井氏の言う「旗」とは少し意味合いが違う。

加藤氏は、例えば雪かきをやらなければならない時は連日率先して行い、お金を集めなければならない時は黙ってさっと出すといった、地域社会を守る責任をとろうとする「保守系無所属」の人々に注目している。従来、自民党はこの「地域のリーダー」と呼べる人たちに支えられてきたが、近年の自民党はこの人々の期待を結果的に裏切ってしまった。今、この「保守系無所属」の人々が行き場を失っていると加藤氏は感じ、加藤氏はここにこそ「シンプルな三つの旗」を立てようと考えた。

1.組織より地域の絆を
2.豊かさより平等と連帯を
3.強さより平和と共生を

今、「地方分権」という名の改革を掲げる政治家は多いが、それらは斬新な制度への改革を訴える内容であり、今一つ、改革のその先がどうなるのか実感が湧かない。(私があまりよく聞いていない、もしくは賢くないだけかも知れないが…。)
反面、加藤氏の掲げる政策はどうか。最も代表的な政策はこれだろうか。

「ワークシェアリングで失業者を無くそう。残業が無くなって収入も減るが、お父さんは早く帰って家族と一緒に晩ご飯が食べられるし、地域の寄り合いにも参加できる。」

実に素朴である。他にも色々と政策提言はあるのだが、そのいずれも真新しさは無い反面、実を伴った「地方分権」ならぬ「痛んだ地方をケアする為の政策」であるように見える。
ただし、理想論ばかりを語っているのではなく、無駄を省いた上で、社会保障財源確保の為に消費税増税は避けられないこと、民主党の掲げる農家への戸別所得補償は実現不可能であることなど、無理のある理想論は避けている。

「公務員改革」「地方分権」を今すぐにでも始めなければいけない、という考えは非常に結構だが、社会主義的な発想ではなく、加藤氏のような「保守リベラル」の考え方から、地方が本当に必要としている政策を掲げる政治家の意見でバランスを取ることも必要かも知れない。

ただしこの本の中で、加藤氏は「どんな旗を掲げるか」は明確にしているものの、「旗をどこに立てるか」ということは全く明確にしていない。
それゆえに私は、加藤氏は政界再編後も自民党に留まり、小さくなった自民党の中で旗を立てるのだと予想する。あくまで「今の自民党」ではなく「再編後の自民党」である。
「加藤の乱」の時でさえ、マスコミや国民に「あまりに解りにくい」と言われながらも、自民党を割るのではなく自民党を中から変えていく、その為の造反であると主張するほど、自民党であることにこだわった人なのだから。

最後に、例によってwikipediaの「加藤の乱」の項目で発見した、心温まるエピソードを紹介したい。

2007年6月29日、衆議院に安倍内閣不信任決議案が提出された際、加藤は賛成を意味する白票を持って壇上に上がった。「加藤の乱」の再発かと一時危惧されたが、加藤は白票を渡す直前にあわてて自分の席に戻り反対を意味する青票に持ち替えた。

本人曰く、与党議員は法案の採決でよく白票を使うために起きた単なる勘違いであったとのことだが、「本音は賛成だったのではないか」という周りの声もある。

真意やいかに。

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2009年5月 2日 (土)

「加藤政局」の結末は、「素朴な自民党」の再出発か。

前回の続き

「加藤の乱」は、『三国志』で例えるなら黄巾の乱に過ぎなかった。漢王朝を覆すには至らなかったものの、この混乱に乗じて、後の覇者となる者たちが頭角を現したのだ。

加藤氏曰く、
「『加藤政局』と呼ばれた一連の動き(加藤の乱)のときに、『このドラマは今、1幕目です』と述べた。
3、4幕目くらいに、小泉という名の派手な人気役者が出て盛り上げたが、このドラマはそろそろ終演に近付いている。終わってみたら明治維新や戦後改革と並ぶくらいの、第三の開国と呼べるようなものになっているかも知れない。ただしそこに行きつくまでは、この2,3年の政界再編、その間にまた2,3の総選挙を経ることになるかも知れない。」
(『SIGHT』2009年春号 特集「自民・民主の次が見たい」より、加藤紘一氏のインタビュー記事から要約)

人気役者、小泉純一郎。かつて加藤氏、小泉氏、そして山崎拓氏が、当時の最大派閥「竹下派」に対抗する為に結成した盟友関係"YKK"。しかし「加藤の乱」をきっかけにその関係は大きく崩れた。小泉氏は加藤氏、山崎氏の動きに呼応せず、逆に「加藤は本気だ。」と自民党執行部に警告を発し、自らも「切り崩し」に動いた。そして乱が終わった後、功績をあげた小泉氏は首相となった。傍から見れば、加藤、山崎両氏は小泉氏に裏切られた、穿った見方をすれば「売られた」とさえ見えたかも知れない。だが今になって振り返れば、また違った見方ができる。

「自民党をぶっ潰す!」と宣言し首相になった小泉氏。彼は極めて高い国民的人気を得て、ぶっ潰すどころか自民党を建て直したかのようにも見えた。だが、「聖域なき構造改革」により、結果的に郵便局や農家、医師、土木建設業など、かつての自民党の支持基盤を見事なまでに壊した。

「加藤の乱」は二段構えだったのだ。加藤・山崎が自民党を大きく揺さぶり、小泉が根元からへし折る。恐るべし、YKKの自民党破壊工作。だが、この三人が捨て身で動いてもなお、内側から崩すのにここまでの年月がかかったというのは、やはり曲りなりにも、戦後からほぼ一貫して日本の政治を担当してきた大政党ゆえの重みか。
果たして、YKKを後ろで操っていたのは一体、何者なのだろう。

冗談はこのくらいにして。(洒落になっていないかも知れないが。)
今日一日で、追加の資料として加藤紘一氏が最近出した著書、『劇場政治の誤算』(角川oneテーマ21)を読んだ。
亀井静香氏は、加藤氏を「自民に不満を持ちながら離党に踏み切れずにいる。」と見ているようだった。だが、この本を読んだ私は、それは少し違うのではないかと感じた。
加藤氏はもう、かつての「加藤の乱」のような行動を再び起こすようなことは考えていないと思う。ただし、それは決して優柔不断というわけではない。
これは私のような素人の勝手な推測であるが、加藤氏はむしろ、政界再編が起こり自民党がいくつかに割れた後で、あえて彼自身は小さくなった自民党内に留まり続け、「地域社会を守る為の責任」を担う素朴な自民党に作り直そうとしているのではないか。

そんな加藤氏の掲げる政策。「豊かな生活を実感させる為に貯金に金利を付けるべき」「闘争的なナショナリズムから決別し、自国の伝統や文化に誇りを感じる、本来あるべき姿のナショナリズムを持つべき」など、実に素朴な豊かさを追求するような発想でなかなか興味深いのだが、前半余計なことを書いているうちにずいぶん遅くなったので次回へ持ち越す

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2009年5月 1日 (金)

加藤紘一氏の言い分 -『SIGHT』2009年春号 「自民・民主の先が見たい」より-

国民新党の亀井静香氏から、「評論家的に意見していないで行動しろ」「ウニャウニャウニャウニャと言うばかり」などと言われてしまった自民党内の「リベラル派」、加藤紘一氏。少なくとも亀井氏からすれば優柔不断に見えるようで、もはや「加藤の乱」の時に見せたような蛮勇を再び見せてはくれないのかと思えたが、実際はどうなのか。

今、手元に一冊の雑誌がある。リベラル雑誌『SIGHT』2009年春号。特集は「自民・民主の先が見たい」。表紙には、自民・麻生首相と民主・小沢代表がプロレスのリング上で闘う絵が描かれている。もはやプロレスショーか…。
この特集記事に、渡辺喜美氏と共に「国民運動体」を結成した無所属議員、江田憲司氏のインタビューが載っているのはまさしくテーマにふさわしいと思うのだが、江田氏の名前の横に「加藤紘一」の名が。私のように早とちりをしてしまう凡人は、こんな特集に加藤氏の名前があるだけで、「まさか、再び『加藤の乱』か!?」などと期待してしまう。

亀井氏に「評論家的」と言われた加藤氏。それは皮肉として言われたのだろうが、インタビュー記事を読んでいると、政治評論家としての加藤氏はなかなか優れているのではないかと思える。

加藤氏の地元、山形県で1月に行われた県知事選挙。自民が推薦する現職の斉藤弘氏が破れ、民主が応援した新人の吉村美栄子氏が当選した。この敗因について加藤氏はこう分析する。

「東京のマスコミは、最大の敗因は自民への不満にあると書きたがるが、それはむしろ三番目くらいだ。最大の敗因は、斉藤前知事が行った改革へのすさまじい反逆である。
得票の様子を丹念に分析すると、ほとんどの地域では前回と大して変わらぬ得票数なのだが、山形市では都合3万の票を失っていた。なぜかというと、斉藤前知事は公務員改革を徹底的に行なったからだ。
官民格差が全国一高かった山形県において、公務員の給与削減を断行し、裏金問題に関しては既に退職した職員達にまで返済を迫った。これが県職員達の強烈な反感を買い、職員OB達のプライドを著しく傷つけた。結果、山形市に住む県職員達の票を根こそぎ失った。
斉藤前知事の改革は、県民の6割が支持しているという調査結果も出ていたにも関わらず、選挙には負けた。もちろん公共事業の予算を切ったというのも大きいと思う。やはり改革を進めていくには、よほどに大人の根回しを行い、丸腰なキャラクターでやらなければいけないということだろう。」

改革を徹底的に行った結果、道半ばで自らが切り捨てられてしまうとは。もうこれ以上痛い目をみるのはうんざりだということか。
大阪府の橋下府知事も、2期目を目指す選挙で同じ目に遭う危険性が充分にあるのでは。相当に敵を作っているのをひしひしと感じる。
痛んだ部分にどうケアするかは難しい。

今後の政治には、地域社会を守るための責任をとろうとする「保守系無所属」の立場をとる政治家が力を持つと、加藤氏は分析する。
ここからが本題なのだが、長くなったので次回に続く

【SIGHT 2009年春号】
表紙には「リベラルに世界を読む 渋谷陽一責任編集」とある。
これを書いていた時に気づいたのだが、表紙の上のほうに小さく「ROCKIN' ON JAPAN増刊」と書いてあった。ロック専門雑誌の増刊号…?
どうりで、第2特集が「オバマはロックで勝ったのか?」などという、思想系の雑誌にしてはえらく大胆な特集を組んでいると思ったのだが、むしろそっちが専門か。思想というよりサブカルチャーの位置づけか。いちおう「諸君!」や「WiLL」「文藝春秋」などと一緒に並んでいたのだが。

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2009年4月28日 (火)

民主党に骨肉の争いが起きたとしたら

いざ政権奪取、と意気込んだものの衆院選が行われず、焦れているうちに小沢代表のスキャンダルが持ち上がり一気に勢いを失った民主党。
しかし、小沢代表と距離を置く立場の議員達も含め、小沢氏の代表辞任を求める声は上がらず、不気味な沈黙を続けている。

その理由として、反小沢系とされる議員達は「小沢氏の暴走を怖れている」、すなわち、「代表を辞任した小沢氏が、衆参の小沢グループ50名を連れて民主党を割る」可能性もあり得ると考えているのだと指摘する声もある。(週刊文春 2009年4月30号「小沢民主なぜ戦わない」より 民主党担当記者の見解)

素人考えで恐縮だが、今の小沢氏に、ここで民主党を割るほどの気力や勝算があるのか、いささか疑問に思える。疑惑の渦中にあるのは自分自身なのだから、政界再編の軸になるどころか、今回こそは完全に厄介者扱いされるのでは。

もし小沢氏が党を割ろうとしたところで、岡田克也氏、前原誠司氏ら若手の有力議員が「やれるものならやってみろ。」と毅然とした態度に出て、むしろ小沢氏が離党した後に「クリーンな政治」を掲げ巻き返しを図る、などとケンカ腰とも思える主張をしたらどうなるか。「小沢グループ」と目される議員達も、有権者の支持を得られるのはどっちか、と気持ちが揺らぐのではないか。
例え、鳩山由紀夫氏や菅直人氏らの最高幹部が仲裁に入ってもなお、若手議員達の決意は固く、むしろ鳩山、菅両氏もろとも追い出してしまうような強硬姿勢に出ればいよいよ面白い。

次期衆院選は、かつての「郵政選挙」の時と同じように、民主党内の「骨肉の争い」として、メディアを巻き込んだ劇場型の選挙を演出すればいい。
「国民の生活が第一」を掲げる小沢一郎、鳩山由紀夫、菅直人ら重鎮を中心とする党と、「クリーンな政治への改革」を掲げる岡田克也、前原誠司、野田佳彦ら中堅・若手を中心とする党の決戦。対立の構図が実に解り易い。
選挙後、埋没した自民、公明は議席を大きく減らし、旧民主党の二党はほぼ引き分けで、どの政党が勝ったのか解らないような結果となったとする。その時は旧民主党二党が連立して過半数となり、政権を獲得するという選択肢も生まれる。
そう、政権奪取の最後の手段は、「劇場型」ならぬ壮大な「自作自演」。

管理人は、ムネオさんの「新党大地」を応援しようと思います。北海道民ではありませんけど。

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2009年4月22日 (水)

胃ガン摘出手術後、執刀医は言った。「鈴木宗男さんの腹は黒くなかった。」 -「汚名」より-

「汚名」 鈴木宗男 講談社

かつて、社民党の辻元清美議員に「疑惑の総合商社」などと呼ばれ、数々の「政治とカネ」の疑いをかけられた末に、東京地検特捜部に逮捕された元自民党衆議院議員(現在は新党大地党首で衆議院議員)、鈴木宗男氏。
つい数日前まで、私の中での「鈴木宗男」は、「疑惑の総合商社」と呼ばれたあの日のままの姿だった。渡辺喜美氏の著書「絶対の決断」(PHP)を買いにいったつもりが、その隣に陳列されていた鈴木宗男氏の著書「汚名」を手にとってしまったその日までは。

今になって、「一連の疑惑は外務省と検察のでっち上げだった。」などと言われても、最初はとうてい信じることはできなかった。
ただ、宗男氏が当時の報道通りに利権まみれの政治家だったとしても、あの時の報道の過熱ぶりは常軌を逸していた。彼がライフワークとしていた北方領土問題に関しても「二島返還で手打ちにしようとした国賊」などと決め付けられ、宗男氏の国会での答弁や離党会見での音声をサンプリングした「MUNEO HOUSE」なるダンスミュージックがインターネット上で流行するなど、人権侵害の域に達していたのではないかと思う。(ちなみに、管理人の自宅のCDラックを見てみたら、今も「MUNEO HOUSE」のCDは残っていた。
ましてや、それらの批判の根拠が「でっち上げ」なのだとしたら…。寒気がする。日本国民がよってたかって行った「いじめ」ではないか。並みの人間なら首をくくっていたかも知れない。
最近、民主党の小沢代表が絡んだ「西松建設疑惑」において、「国策捜査」などという言葉がよく使われるようになったが、宗男氏は、自分が逮捕されたのはまさに「国策捜査」だったと主張している。

2002年、鈴木宗男氏は、いわゆる「ムネオハウス」に象徴される数々の「政治とカネ」の疑惑をかけられた。疑惑の根拠として共産党議員が提示した証拠が、何と外務省の機密文書であったことから、宗男氏は己が外務省に嵌められたことを悟ったという。
やましいことは何もないから堂々としていよう。そんな彼の態度や表情が「ふてぶてしい」と見られたことと、疑惑を追及する社民党・辻元清美氏との「正義と悪の対決」の構図、「ムネオハウス」「ムネムネ会」などという面白いキーワードなど全てが不利にはたらき、宗男氏はメディアを通じて面白おかしく語られ、かつ徹底的に批判された。

2002年6月19日、宗男氏は製材会社「やまりん」からの斡旋収賄容疑をかけられ、東京地検特捜部に逮捕された。起訴事実を全て認めれば早々に保釈されると解っていたが、自分にやましいことは何もないと信じる宗男氏は徹底抗戦。遂に担当検事は、
「世論に押されてやりましたが、マスコミに出たもので何一つ、事件にすることはできませんでしたので……。」(P.124)
と、国策捜査であることを悪びれもせず認めてしまったという。

逮捕から437日後、ようやく宗男氏は保釈された。
やり残した使命を遂げる為、再び国会議員になることを決意した宗男氏だったが、保釈後に受けた人間ドッグで悪性の胃ガンが見つかった
死を覚悟した宗男氏は、手術を受けず衆院選に出馬し、残りの命でやれるだけのことをやろうと一度は決意したが、家族の説得により手術を受けることにした。幸い、ガンは胃の真ん中あたりにあったので摘出しやすく、転移もしなかった。

執刀した主治医がこんなジョークを披露する。
「先生は腹黒いとマスコミがいっているでしょう。どんなに真っ黒か楽しみだったんですが、お腹のなか、ホント、キレイなもんでしたよ。」(P.259)

2003年9月11日、「郵政選挙」と呼ばれた衆議院議員選挙で、「新党大地」を立ち上げた宗男氏は当選、国政の場に復帰した。たった一人の政党でもやれることはある。宗男氏は「質問主意書」を武器に、アイヌ民族の権利確立や、冤罪事件を無くすことを目的とした「警察の取調べの可視化」などの制度改革に取り組んでいる。

この本の最後には、かつての「宿敵」である辻元清美氏と、日々谷公園の派遣村で再会、和解したという事実が語られていた。

あの当時、彼女は憎むべき相手だった。でも派遣村で会った彼女は、ここで年を越すしかない人々をなんとかしようと真剣に考えていた。
「過去のことは水に流して、ともに弱者救済のために力を合わせましょう。」
私たちは握手をし、これからも協力をすることを約束した。(P.310)

「水に流した。」宗男氏はそう言ったが、かつて多くの国民がそうだったように、テレビに映る宗男氏を嘲い、嫌悪し、過去の功績を否定した「無責任な一般人」であった私のほうが、かえって心にわだかまりを抱えてしまう。
当時の「疑惑」報道を聞いては、「ああ、鈴木宗男は悪い奴だ。」と頭から信じ込み、時が経って鈴木氏の著書を読んだら、「そうだったのか、宗男氏は潔白な人物で、北方領土返還の為に命を懸けて働いた立派な人だったのか。」と、今までの思いを丸ごと引っくり返して、まるで正反対のことを信じようとしている。
メディアの報道でしか政治の「中身」を知りようがないにしても、この考えの軽さをどうすべきか。つくづく悩むものの、そうしているうちに、知らず知らずの間に同じ間違いを繰り返している気がする。

それでもさすがに、
「西松建設事件も宗男氏の疑惑と同じく、本当に国策捜査なんだ!小沢氏は潔白だ!」
という考えは持たないが。

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2009年4月17日 (金)

民主党、牧義夫議員の秘書、障害者郵便悪用DMの発送に関与!?

「政局の化け物」がもう一匹現れた。

今日の読売新聞夕刊の一面を見て、寒気とも興奮ともつかぬ震えを覚えた。
最近世間で騒がれている、障害者団体向け郵便料金割引制度を悪用したDMの問題。
「企業は福祉制度まで食い物にするのか」と強烈な嫌悪感を持った意見も多く聞かれるこの事件に、何と、民主党衆議院議員、牧義夫議員の秘書が関与していたというのだ。

記事によると、郵便局に持ち込まれた障害者団体「白山会」の刊行物の返送先が「ベスト電器」になっていたのを、郵便局側は不審に思い発送を断った。しかしその後、白山会会長の陳情を受けた牧議員の秘書が郵便局に話を通し、「白山会の発行物」は発送されることになったという。
そして、白山会会長が自らの経営する会社名義で、牧議員側に24万円の献金をしていたことも既に明らかになっているという。

小沢代表の一連の疑惑に揺れる民主党に、追い討ちをかける形で発覚した今回の事件。額の多寡よりも、「福祉制度を悪用」という事件の特性が、有権者達にストレートな嫌悪感を与えるだろう。もはや「国民の生活が第一」などと言っても全て嘘くさくなる。

自民党政権への不信感を集めてここまで伸びてきた民主党がこの有様ではどうしようもない。かといって、「政界再編」を叫ぶ無所属議員達の存在感が増すかといえば、
「どうせ今回も無理」「夢物語」「政治家はもう誰も信用できない」
という受け止め方をされてしまう危険のほうが大きい気がする。

「脱官僚」どころではないのでは。

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2009年4月15日 (水)

平沼赳夫、「板垣退助になれなかった」安倍元首相へ苦言。 -「七人の政治家の七つの大罪」より(3)-

「七人の政治家の七つの大罪」 平沼赳夫 講談社

(前回の続き)

ここで取り上げるような内容ではないかも知れないが、同書の「第三の大罪 安倍晋三の『お友達内閣』」にあった安倍首相辞任に関する平沼氏の見解が非常に面白かった。

2007年9月、APEC首脳会議出席後の安倍総理は、「テロ特措法の再延長が実現しなかった場合、内閣総辞職をする。」と宣言、不退転の決意を示したはずだった。
しかし、9月12日、衆議院本会議の代表質問が行われる予定だったその日に、突如安倍総理は総理辞任会見を行った。
この突然の辞任には、平沼氏自身、本会議場に向かっている最中に記者から聞いて非常に驚いたという。

安倍氏自身が語った辞任の主な理由は、テロ特措法再延長に関する党首会談を民主の小沢代表に断られたから、というものだった。しかし平沼氏は、辞任の本当の理由は、もともと丈夫ではなかった安倍氏の体調によるものだと考えた。

安倍総理辞任会見直後に、平沼氏がマスコミに向けて発表したコメントは、
「身体が悪くて辞めるのなら、せめてもう一時間、我慢してほしかった。
というものだった。
この本では、その「非情」な言葉の真意を以下のように説明している。

「一時間我慢すれば、代表質問が始まっていた。(略)そして追求を受け、必至で答弁しながら、安倍氏が壇上で倒れていたら……。
おそらく、大騒動になっていたはずだ。同時に辞任に対する国民の見方も、大きく違っていたはずである。
『国民の皆様、どうかご理解いただきたい。私にもう一度、チャンスを与えてください。参院選で大敗しても、私にはやるべきことがある。この国に必要なことがある。命を懸けて、それに取り組ませてください。』
そんな言葉を残して担架で運ばれて行ったとしたら、安倍氏は『平成の板垣退助』になれたのではないか。(略)
参院選に大敗してもなお、体調不良を抱える中で続投を宣言したのなら、そこまでやってほしかったと想う。酷な言い方かもしれないが、そうすることで、政治家としての強い覚悟と決意を、国民に伝えることができたはずなのだ――。
 (P.131-132)

皮肉屋な私は、その場面を思い浮かべて少し笑ってしまったのだが、もしかしてこの平沼赳夫という人は本当に、政治家らしからぬほどの純粋な人物なのではないかとも思えてきた。そうでなければ、「かつて坂本竜馬が、反目し合っていた薩摩と長州が手を結ぶ橋渡しをしたように、自分が自民と民主との橋渡し役をしたい。」とした究極の理想論「救国大連合」など宣言できまい。

かつて平沼赳夫氏と安倍晋三氏は、日本人が日本人であることに誇りを持てるような、国の未来を創る真の教育改革に向けて共に働いた仲であった。それだけに、安倍首相の政権投げ出しには悔しい思いを感じたという。

その「教育改革」に関連する書籍として、「七人の政治家の七つの大罪」よりも前に偶然手に入れていた書籍がある。今さら気づいたが、この本の前書きを書いていたのは他ならぬ平沼赳夫氏(日本会議国会議員懇談会会長、とある)であった。

「サッチャー改革に学ぶ 教育正常化への道」 中西輝政(監修)・英国教育調査団(編) PHP

現代の日本と同じく、いわゆる「自虐史観」の歴史教育により自国に誇りを持てなくなった英国民の意識を変えるべく、「鉄の女」サッチャー首相が教育改革に取り組んだ。その教育改革の手法を、日本の政治家6人(自民・民主合同)が英国に赴き調査、その調査結果を発表した本である。非常に面白かったので近日このblogで紹介する予定。

(終)

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2009年4月14日 (火)

郵政選挙の軽さ -「七人の政治家の七つの大罪」より(2)-

「七人の政治家の七つの大罪」 平沼赳夫 講談社

前回の続き)

2005年の「郵政選挙」と呼ばれた衆院選を思い出すと未だに寒気がする。
参議院で否決された郵政民営化法案の「民意を問う」為に衆議院解散という辻褄の合わぬ行為。法案反対派は自民党の公認から外され、自ら見切りをつけて新党を結成する者もいた。そんな「造反議員」の選挙区に送られた「刺客」候補。特に、私の地元が地盤だった小池百合子氏が、「刺客」としてあっさりと地元を捨てたのは本当に呆れた。

郵政民営化は地方にとっては暴挙としか思えない。これを好機と見た民主党は「今こそ政権交代!」と気焔を吐いた。小泉首相はまさに「自民党をぶっ潰」したのだと信じていた。
しかし結果は自民党の圧勝。古館伊知郎の「ええっ、何これ!?」という驚嘆の声が今でも忘れられない。私も同じように叫んでいた。
選挙の争点は「自民 対 民主」の二大政党対決ではなく、「造反組 対 刺客」の骨肉の争いと化してしまった。東京、神奈川、大阪、兵庫など、郵便局が民営化になっても大して不便を感じない都市部で自民は圧倒的な勝利を収めた。パフォーマンスの巧みさに乗せられ流される「浮動票」はここまでの威力を発揮するのか。その程度の「民意」なのかと思い知らされた。

そんな郵政民営化を、当時の小泉首相、竹中郵政民営化担当相が強引なまでに推し進めたのは何故か。平沼赳夫氏は以下のように解説する。

「郵政民営化の主な目的は、財政投融資を廃止することとされていた。」 (P.33)
「郵政事業に集まったお金は約340兆円にもなる。このお金が民営化によって自由に動かせることになれば……。アメリカを中心とした国際的な金融ビジネスにとって、涎が出るほどのターゲットではないか。(略)郵政民営化の正体、それは日本国民の財産をアメリカにコントロールさせることではないかと私は危惧したのである。」 (P.34-35)

両氏が信奉する「自由経済」の市場に、郵政事業に集まったお金を投げ込もうとした。「リーマンショック」後の2009年、結果論でものを言うようだが、寒気のする話である。

さらに、「郵政選挙」で問うた郵政民営化の「民意」について、こんな興味深いことも書いてある。

「マスコミではあまり指摘されないことだが、この選挙において、自公の郵政民営化法案賛成候補が小選挙区で得たのは約3300万票だった。それに対して、自公以外の法案反対派が得たのは、約3400万票である。当選、落選は別として、得票だけを見れば郵政民営化に反対、あるいは慎重に議論すべしとした候補者たちへの票が100万票以上も上回っているのだ。 (P.50)

似たようなことはかつての神戸市でもあった。神戸空港建設の是非を問う住民投票では「反対」が多数を占めたのに、神戸市長選挙では、乱立する空港反対派が共食い状態となり、一本化された空港賛成派に市長の座を奪われ、当時の扇国交大臣がゴリ押しした神戸空港は完成してしまった。そして今、目的を果たした扇氏は隠居し、誰もが予想した通り神戸空港は閑散としている。

地方に利益を誘導することに熱心で、「族議員」と揶揄される自民党議員であるが、見方を変えればこうであるとも言えるそうだ。

「本来、自民党は地方の声を聞き、それを丁寧にくみ取ってきた。だからこそ長きに渡って支持され、その歴史の大半を与党として送ってきたのである。その声を小泉氏は無視したと言っていい。」 (P.61)

「郵政四事業分社化」によって郵便局の組織は縦割りになり、配達員が預金の出し入れを扱うなど、過疎地の高齢者達には無くてはならないサービスが行えない制度になってしまった。それに加え、小泉政権のもう一つの柱である「三位一体の改革」で、見せかけだけの地方分権と公共事業費の大幅削減が行われ、地方は干上がってしまった。

それらのツケが回り、2007年に安倍内閣が挑んだ参院選は自民党の歴史的大敗。都市部で圧勝した衆院選とは打って変わって、この選挙では「地方の反乱」が起こった。小泉改革で干上がった地方の有権者達が、「国民の生活が第一」を掲げる小沢民主党に一気に流れ、自民は「保守王国」とまで言われた地方の選挙区で壊滅的な敗北を喫した。時間差はあったが、やはり小泉元首相は、その言葉どおり自民党をぶっ潰した。自民が長年に渡って築いてきた、本来の支持基盤を潰してしまったのだ。

当時の私はまだ青臭く、そして世間知らずゆえの素朴で強烈な反自民党の思想を持っていたので、その結果は痛快であった。しかしあれも今思えば、精力的な地方回りと「国民の生活が第一」という解りやすいスローガンを掲げた、小沢一郎氏の「パフォーマンス」が功を奏した結果ではないかとも思える。

結局、解りやすさだけで右にも左にも簡単に振れていないか。そんな風に疑問を持つのだが、私もまた偉そうなことは言えない。
私はなまじ「深く理解しよう。」とするだけに、その人物の著書やインタビューなどで積極的にその人の考えを知ろうとする。そのうちに、気づけばその人の「理想」に心酔してしまっていることがよくある。自分の意見、信念というものが30前になった今でも固まっていない。私はまだ「大人」になりきれていない気がする。

それでもなお、平沼赳夫氏の政党を乗り越えた「救国大連合」構想には希望を抱いてしまう。「良いとこ取り」でしかない究極の理想論かもしれないが、政権奪取に執着するあまり小沢氏のスキャンダルに対して強い態度に出られず、「大所帯の弊害」を露呈した民主党を見せつけられた今となっては、政党そのものを解体するという発想に賭けたくもなる。

続く)

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2009年4月 5日 (日)

郵政民営化に最後まで抗った造反議員、平沼赳夫。 -「七人の政治家の七つの大罪」より(1)-

「七人の政治家の七つの大罪」 平沼赳夫 講談社

花粉にやられた目を診てもらおうと眼科に行ったら二時間近く待たされたので、一気に読めてしまった。別に悪い意味で言っているわけではないが、政治家本人の書いた本は作家やジャーナリストのそれと比べ文章が平易で、読みやすい。

書名にもある「七人の政治家」とは、小泉元首相、竹中元郵政民営化担当大臣、安倍元首相、福田元首相、民主の小沢代表、麻生現首相、そして著者である平沼氏自身。

平沼氏は郵政民営化法案に反対し、自民党を離党することになった。「郵政選挙」と呼ばれた衆院選では無所属議員として立候補、刺客候補を負かし当選。
安倍内閣発足後、自身は自民党に復党する意思を失っていたものの、他の「造反組」無所属議員に強く頼まれた形で、彼らの代表として自民党との「復党交渉」に当たった。
平沼氏は、刺客候補に破れ落選した元自民党議員を含む全員の復党を要求。しかし自民党はあくまで当選議員を優先する考えで、おまけに造反議員達にとっては屈辱的とも言える内容の誓約書に署名することを求めてきた。
結局、平沼氏以外の無所属議員11名は誓約書に署名、自民党に復党した。

「造反議員」たちが自民党に復党すると、安倍総理は「お帰りなさい」という言葉で彼らを迎えた。ほんの少し前まで敵として扱い、刺客まで送り込んだ相手に対して、そう言ったのだ。また、この時に自民党に戻った議員の中には、その後閣僚や党三役になった者もいる。
これではもはや自由民主党ではない。自由自在党ではないか。私はそう思った。そして確信したのである。
自民党の賞味期限は、もう切れている、と。
(P.116)

事実、この「復党騒動」も一つの敗因となり、平成17年7月の参院選で自民党は歴史的大敗を喫した。

「復党」の一件は平沼氏にとって苦い結末であったが、復党を果たした議員達にとっては念願叶ったということになる。交渉役であった平沼氏は、彼らの復党を祝する会を催した。何と平沼氏は、この会の最中、脳梗塞で倒れたのだ。
一時は生命の危機に陥ったものの、二ヶ月半の入院生活の後、平沼氏は復帰した。

そして現在。不安定な政局から、自民、民主双方からの「平沼新党を結成すべき」という誘いを幾度となく受けたという。どちらも、衆院選後に連立を組み過半数を獲得する「手駒」として用意したいという意図は明白。平沼氏は、保守系無所属の同志を結集した「平沼新党」ならぬ「平沼グループ」を作るべきだと決意した。
総選挙後に平沼氏が狙うのは、三年間という明確な期限を定めた上で、党派を越え人材を結集する「救国大連合」。小泉政権以来続いたパフォーマンスとスタンドプレーの政治から脱却し、難局を乗り切るべきだと主張している。

このように、平沼氏の目を通して見てきた「戦いの歴史」だけを抜き出してまとめてみると、いかにも私の好みの「物語」であるように見えてしまうのだが、この本の本当に主張したいのはそこではなく、やはり最も注目すべきは「平沼赳夫はなぜ郵政民営化に反対したのか」という部分であろう。
そのレビューは次回としたい。

続く

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2009年3月28日 (土)

風のように消えた細川内閣 -「総理の座」より(1)-

「総理の座」 田勢康弘 文春文庫

この本は、自民党の分裂と下野、非自民連立内閣発足、自社さきがけ連立という政界が混迷を極めた時代に生まれた4人の内閣総理大臣について、田勢氏が独自に取材を行った記事を一冊の本としてまとめたものである。
その4人とは、自民党「最後の将軍」宮澤喜一、日本新党「貴族」細川護熙(もりひろ)、新生党「普通のおっさん」羽田務、社会党「苦労人」村山富一。
そして、政権交代の舞台で常に大きな影響力を持つのが「破壊者」小沢一郎。

この本の大きなテーマの一つは、「なぜ日本の首相は指導力を発揮できないのか」というところにあり、この本が発行されてから10年近く経つ今も議論されている「官僚主導の政治」という問題を浮き彫りにしている。

それはそれとして、師匠・金丸の失脚をきっかけに自民党を割り、非自民政権の黒幕として君臨するも、社会党との連立という奇手を使った自民党に敗れた小沢一郎の栄枯盛衰や、混乱のどさくさで突然変異のごとく生まれた内閣の迷走など、物語として見る分にもなかなか面白い。ただしこれがフィクションではなく、現実に存在した「我が国の代表」の姿だという事実はブラックジョークにもならないが。

中でも最も凄かったのは、非自民連立政権の初代首相、細川護熙である。
父方は肥後熊本藩主細川家、母方は藤原氏の流れを汲む近衛家という根っからの「貴族」。彼の優れたところは、あの小泉純一郎氏よりも前に、
「国民の心を掴むには、メディアを利用するのが非常に効果的だ。」
ということに気付いたことである。
ただし、小泉氏が良くも悪くも信念と決断力を持ち、その信念を貫く為の手段としてパフォーマンスに力を入れていたのに対し、細川氏はパフォーマンスそのものに命を懸けた。皮肉にもそんな細川首相の姿が、国民達に「自民党の古い政治から真新しい政治に変わった」と実感、あるいは錯覚させるのに役立ち、世論調査の支持率は最高で80%を超えたという。

ニューヨークの国連総会では、各国の首脳と会談する時間すら惜しみ、ホテルの自室で英語の発音の練習をしていた。スピーチの内容よりもきれいな発音にこだわった。

自分の顔の右側に小さなアザがあるのを嫌い、記者会見などでは常に左側から撮られることに執着した。

APECでは、外務省の諜報網を一点に集中させた。
「クリントン大統領はどんな格好で記者会見に臨むのか。」
政策はともかく、ファッションセンスは世界一でありたい。細川首相は茶色いマフラーをなびかせて颯爽と登場。国益は度外視で自分の欲求を満たした。

細川首相はピアノが弾ける。ただし弾けるのはベートーベンの「月光」一曲のみ
「101回目のプロポーズ」が大流行した時に、まるで楽譜が読めないくせにショパンの「別れの曲」一曲だけは弾けるようになりたいと執念を燃やした当時の青年達と同レベルの発想である。
その程度の腕前でありながら、サックス奏者であるクリントン大統領とのセッションを提案した細川首相。クリントンが応じたらどうするつもりだったのだろう。「月光」を演奏しようとゴリ押しするつもりだったのか。

「脱官僚」の改革を掲げて支持を集めたはずが、政策の話になると官僚に向かって
「それで私はどうすればいいんですか。」
と丸投げして、自分の頭で考えようともしない。

曲がりなりにも「脱官僚」「古い政治の破壊」という理想を掲げて、たった一人で新党を旗揚げしたはずだ。事実、細川氏の日本新党が台風の目となって新党ブームが巻き起こり、自民党単独政権を壊すことに成功した。そして、国民の圧倒的な支持を得た細川連立内閣が発足した。
本懐を遂げ総理となった今、ここで高い支持率を後ろ盾にリーダーシップを発揮して改革を実現したい。そう考えるのが普通だろう。
なのに、日本国最大の主導権を獲得した途端にその権限をかなぐり捨てて、国際的な政治の舞台で己の自己愛を満たすことに全力を注いだ。とんでもない神経をした男だ。見ようによっては、小沢氏とは別の意味で「破壊者」である。

細川首相の80%というお化けのような内閣支持率は一体、何だったのかと思わざるを得ない。細川が辞意表明した4月8日の夜、首相官邸入り口の鉄柵にとりすがって「細川さん辞めないで!」と叫んだ人は何人いたか。
一人もいなかったのである。 (P.114)

「自民党の偉い政治家先生がろくなことをしないんだから、いっそ素人にやらせたほうがマシ」などという理屈でタレント候補に投票する人達をたまに見かけるが、この細川首相は、「国民的人気があるだけの素人に政権を任せたらどんなことが起こるか」を教えてくれたのかもしれない。
舞台から降りた瞬間に忘れ去られる。一発屋のタレント同様に使い捨てられた細川首相であった。

(続く)

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2009年3月24日 (火)

自衛隊の兵器には敵地を攻撃する為の機能が無い? -「国防」より(3)-

「国防」 石破茂 新潮社

前回の続き

この本の第一章の初めに、いきなりこのような問いかけがある。

北朝鮮が日本に向けてミサイルの発射準備をしたことがわかったとしましょう。その発射場所も判明したとします。さて、そのとき自衛隊のF-15戦闘機が、相手の基地を攻撃するまでにどれくらい時間がかかるでしょうか?
(中略)
では正解は――実は「どんなに時間があっても攻撃できない」です。
それは憲法上の問題ではありません。自衛隊のF-15戦闘機には、敵地を攻撃する能力がほとんどないのです。この戦闘機でできるのは、領空侵犯をしてきた敵機を攻撃することです。(P.12)

最近、北朝鮮のミサイル問題で取り沙汰されているMDや、イラク派遣の時に話題になったイージス艦なども、いざ日本の国土に飛んできたミサイルを撃ち落す場合には高い能力を発揮するが、敵地を攻撃する能力は無い
戦後日本の極度の戦争アレルギーから、日本の防衛は憲法でがんじがらめにされただけではなく、装備の上でも、受身で対応するための能力以外は持つことさえ許されなかった。

石破氏は、「日本の軍事に対しては国民の中に様々な考えの人がいるものの、いずれの立場でもほとんどの人が、自衛隊の主力戦闘機に敵地を攻撃する能力が無いという基本的なことすら知らないのではないか。」と指摘した上で、太平洋戦争開戦に踏み切ったかつての軍事政権を引き合いに出し、軍事の基本や現状の能力を理解しないままで軍事を語ることは非常に危険なことだと語る。

この国は本当に、すぐに右にも左にも振れる国です。今まで極端に、戦争というものを見ないように見ないようにしてきたので、いざとなると急に「それ行け」となる怖さがあります。(P.150)

内閣府が三年ごとに行っている「外国から侵略された場合の態度」を問うアンケートがある。石破氏は、現代の日本人は「逃げる」という回答が多数を占めると予想していたようだが、実際は「何らかの方法で自衛隊を支援する」という側に属する回答をした人が全体の半数近くを占めたという。(平成十四年度調査)
冷戦が終わり、近隣国の脅威が現実となった近年、「一切抵抗しない」と答える人の割合は減り、「自衛隊を支援する」という回答が徐々に増えてきたのは、さすがに日本国民の中でも危機意識が高まってきたのである。
石破氏はこの結果を見て、
「ひょっとして、この『一切抵抗しない』以外の答えを出した人たちに政治がちゃんと語っていけば、国民の国防意識を高めることはできるのではないか。」
と希望を見出した。

ですから私は、目立ちたがり屋と影で言われるほど、テレビに登場しては、あれやこれやとしゃべってきたのです。もっとも、私のことを嫌いな人は、それでますます気分を悪くしたようですが……。(P.161)

石破茂は今もなお、もったりと噛み締めるような口調で、国防問題や食糧問題について国民に語りかけ、共に考えていこうと訴える。
言葉を慎重に選ぶ彼の話は、勢いまかせの失言はしていないはずなのに、なぜか過激派の暴論だと受け止められることも多い。(ちゃんと冷静に聞いて理解した上での批判なのかは疑問だが…。批判する側にも守りたいものがあるということか。)

それでも石破氏は語ることを止めない。国民の命を、危険なギャンブルのチップとして差し出すわけにはいかないのである。

(終)

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2009年3月23日 (月)

占領を背負った男の激情 -NHKドラマスペシャル「白洲次郎」より-

今さらだが、NHKドラマスペシャル「白洲次郎」の感想を書こうと思う。

期待をはるかに越えていた。白洲次郎を演じる伊勢谷友介の演技が素晴らしい。私は生前の白洲次郎を知らないが、伊勢谷の次郎は、まさしく「占領を背負った男」で読んだ白洲次郎のイメージそのものだ。
見た目が様になる俳優なら他にもいたかも知れないが、次郎の育ちの良さと気性の荒さ、尋常でないほどの男の色気を見事に表現している。しかも英語の発音も冴えている。

面白いと思ったのは第一回の終盤、英国での戦争回避の為の工作が失敗に終わり焦る次郎に対して、旧友ロビンが諭すように言った言葉だ。
「喧騒から遠く離れて、心は開いたまま、未来へ思いを巡らせる。それがカントリージェントルマンの役割だ。」

国家の重責を担った交渉者は常に冷静でなければならない。第一回のエンディングにふさわしい伏線である。
かと言って、これをきっかけに次郎が冷静沈着な交渉者となったわけではない。次郎は変わらなかった。終戦後、終戦連絡中央事務局長の参与となった次郎は、その激情を剥き出しにして、GHQを相手に一歩も譲らなかった。次郎はGHQに
「従順ならざる唯一の日本人」
と仇名されるほど彼らを手こずらせ、結果としてそれが日本の早期独立に繋がった。

次郎が言ったとされるあの名ゼリフを、ドラマでは、天皇陛下からのクリスマスプレゼントを粗末に扱ったマッカーサー元帥を、次郎が叱り飛ばしたという実話を再現したシーンに使っていた。
天皇陛下からの贈り物を持ってきた次郎に対し、
「その辺に置いといてくれ。」
とあしらうように言ったマッカーサー。その言葉に憤慨した次郎が、
「日本を統治していた陛下からの贈り物を、『その辺に置け』とは何事か!」
と叱りつけた。通説では、この言葉に慌てたマッカーサーが謝罪し、態度を改めたということになっている。
しかしドラマでの次郎は、自殺した近衛文麿の無念や、GHQへのいわば「宣戦布告」の意味を込めて、マッカーサーに面と向かってこう言い放った。
「我々は戦争に負けただけで、奴隷になったわけではありません!」
このセリフを生かすには最高の場面である。

最終回である第3回は8月放送(追記:8/30に衆院選が行われた都合で、9/23に延期された)。増長を続け、日本の政治を裏で操ろうとするGHQ民生局から吉田茂を守る為に、次郎は謀略で立ち向かう。日本人の誇りを取り戻す為に通商産業省(現在の経済産業省)の設立を目指す。そして日本に再び日の丸が揚がる…。
8月まで待つのはあまりに長い。実に楽しみである。

最終回「ラスプーチンの涙」の感想はこちら。

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2009年3月11日 (水)

劇団「ザ・ニュースペーパー」、アソウタロウの「失言実行」。

個人的に、総理としての資質うんぬんを別にしたら、麻生太郎その人の人間性は嫌いじゃない。

さて、以前紹介した、政治風刺コント劇団「ザ・ニュースペーパー」のDVDであるが、このDVDに収録されているコントの中でも、やはり麻生首相、もといアソウタロウの存在感が群を抜いている。「ゴルゴアソウ 失言のバトンリレー」など、タイトルからして既に面白い。(ただし内容自体は今ひとつだった。)

特典映像でもアソウタロウは活躍している。特典映像として収録されているのは、このDVDの発売を発表した記者会見の模様である。発売元であるキングレコードのはからいで、本物の総理の記者会見風のセットが組まれている。
そこでの発言がまた、ヒドい。(記者会見が行われたのは2008年の秋頃。それをふまえて読んでいただきたい。)

「DVDが発売されるのは12月10日。その時まで私が首相でいられる自信は全く無いけどね。(記者に向かって)君達も持たんと思うだろう?そりゃあ私は持たせたいけどね。キングレコードさんも持たせたいと思ってるだろうけどね。」
「安倍君、福田さんと、二世議員の失敗が続いているが、私は二世議員じゃないんだよ。三世議員?違う。五世議員なんだよ。大久保利通から繋がっているからね。
お坊ちゃんなんだよ。とてもそんな風に見えないだろ?どっかの土建屋の社長にしか見えないだろう。それが麻生太郎の良いところなんだよ。」

きわめつけはこれだ。今となってはいらぬ心配になってしまったのが悲しいが…。
「(会見当時の)世論調査では、自民党と民主党、どちらの政権が望ましいかと言う質問では、民主党と答える人の割合が多い。
しかし、麻生太郎と小沢一郎、どちらが首相にふさわしいかという質問では、麻生太郎と答える人の割合が多い。…これっておかしくない?ねじれ国会じゃなくてねじれ国民だよね。
この「ねじれ国民」発言に声をあげて笑いながらも、まさかこの後、とんでもないことを言ってしまうのではと思っていたら…。
「私が民主党に行って首相をやらなくちゃいけなくなる。」
言っちゃったよ……。

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イラク戦争に直面した石破防衛庁長官 -「国防」より(2)-

「国防」 石破茂 新潮社

前回の続き

防衛庁長官時代の石破氏が直面した最も重大な問題は、やはりイラク戦争であろう。
開戦当時も反対意見が根強かったこの戦争は、後にイラクに大量破壊兵器は存在しなかったことが証明され、「大義なき戦争」と見なす意見が多勢を占めていると思われる。

同書では、この「戦争の大義」とは何かという問題を、決断を下す責任を負う立場から石破氏は解説している。(P.38-P.43 「この戦争に大義はあったか」)
その決断の根拠となるものはやはり、石破氏の持論である「安全保障はギャンブルであってはならない」という考え方である。

(大量破壊兵器の有無がはっきりしなかった開戦当時の状況を前提として)
確かにイラクを攻撃することによって、犠牲者が生じました。しかし、しないことによって受けるかもしれない被害、することによって生ずる被害、それを秤にかけなければいけません。しないことによって何十万人と死んだら、その責任を誰がとるのでしょう。どちらが犠牲が大きいか秤にかけるなんて、楽しいことではありません。しかし、政治はある場面でそういう判断もしなくてはいけないのです。(P.43)

民間人である私はそれでもなお、イラクの民間人の犠牲が大きかったことや、結果論として大量破壊兵器が無かったことを考えると、この戦争は起こって欲しくなかったと思っている。それは一般人の感情論から来る考えであり、さらに言えば、戦争の脅威が無いことが当たり前になっている日本国民の「贅沢な悩み」なのかも知れない。(米国の諜報活動がまずかったというのはかなり重大だが、それもまた結果論であるか。)
しかし一国の首脳および軍事・国防担当の閣僚は、「国民の命を守る為の最善の方法」を考え決断しなければいけない。秤にかけたもう一方を犠牲にすることも、場合によっては覚悟しなければならない。
そういった考え方を持つことが「政治の責任」であると説く石破氏は、悲しいことに主張すればするほど、この現代日本においては「過激」とレッテルを張られる。

イラクが自衛隊に派遣されることが決まった後、軍事の専門家である石破氏は、自衛隊の安全確保に関するシミュレーションを、長官室で何十時間と行ったという。
最も懸念されたのは、今まで人に対し銃を撃った経験の無い自衛官達が、いざ危険を感じた時に撃てるのかという問題だったという。石破氏は、想定しうるあらゆるシミュレーションを行うだけでなく、訓練の結果に関してもあらゆる角度から検証を重ね、危険が起こった時に身体が反応できるよう鍛えなおした。そこまでやって、「これで行ける」という自信を持てるようになったからこそ自衛隊を出した。それでもなお想定外のことが起こったその時は、現場に責任を負わせてはならない。責任は政治が取る。そう覚悟したという。

「軍事オタク」と揶揄される石破氏であるが、軍事に強い関心を持つ石破氏であるからこそ、派遣される自衛隊に対し真摯な態度で臨んだ。それが自衛官達に誇りを持たせることになり、安全を守ることにも繋がったのではないか。
イラクへの自衛隊派遣という難しい局面で、専門家である石破氏が防衛庁長官であったというのは、日本にとって幸いだったと思う。

続く

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2009年3月 8日 (日)

劇団「ザ・ニュースペーパー」が演じる、アソウタロウの失言連発就任会見。

地元のレコード店が経営不振で閉店することとなった。閉店するまでの間は20%OFFの売り尽くしセールをやっている。
特に欲しいものは無いが、せっかくだからジャズのCDでも物色しようかと思って行ってみた。とりあえずアート・ブレイキーの「バードランドの夜」Vol1,2を手に取り、あとは何気に、DVD売り場の「お笑い・バラエティ」コーナーを覗くと…。
「出ていたのか!」
発見して思わずうなったその商品とは、「モヤさま」の三人も三軒茶屋で偶然遭遇した政治風刺コント劇団"ザ・ニュースペーパー"のDVD「ワールド・ワイド・ニュース」である。

彼らのネタは未成年の頃から「ビートたけしのTVタックル」で見ていたような記憶があったが、それもそのはず。このDVDは、ニュースペーパーの結成20周年を記念して製作されたものなのだ。そんなに長く続いていたとは。
最近は本気で政治に興味が出てきたと共に、下世話な政局のネタが面白いと感じるようにもなってきたので、ニュースペーパーのネタをじっくり見てみたいと思っていたところだ。まさしく私に買われる為に、このDVDはこのタイミングで、この店の棚に並んでいたように思える。私は嬉々としてこれを手に取りレジへ向かった。

このDVDは2008年12月発売。ごく最近である。ネタはフクダ元首相辞任会見、アソウ新首相就任会見、オバマ就任にコキントウの毒入り餃子に対する釈明等、記憶に新しいネタばかりである。

まだ途中までしか見ていないが、少なくとも私のように政治風刺とブラックジョークが大好物な人間には、このDVDは麻薬的なほどの面白さがある。
最高だったのはアソウ総理の就任会見だ。動きや口調、趣味嗜好などはさすがによく研究されていると思うが、ただえさえ過激発言の多い人を元ネタに、コントとしてさらに皮肉めいた演出をするので、もはやイカレている。

「私は漫画を週10冊以上読んでいるので、新聞なんか読む暇無い。でも大丈夫。政治と経済の話題は、ちゃんと『ゴルゴ13』で勉強しているからね。(手で銃を撃つ仕草をしてみせる。)」
「福田さんが辞めたのは防災の日だったね。午前中に防災訓練に参加して、まさか午後になって自分で災害起こすとは思わなかったね。
「そういえば来年のWRCだけどね、ピッチャーは安倍君と福田さんの、政権投げ出しコンビでいくらしいよ。まあ、どうせ暴投だろうけどね。」

最低でしょう?ええ、これで爆笑してしまう私は最低です。

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西松建設ヤミ献金疑惑、二階経済産業大臣の政治団体も近く聴取。

小沢氏の団体に捜査が入ったのは国策捜査だという疑いは、完全に晴れた。皮肉にも。

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2009年3月 6日 (金)

政界きっての防衛政策通、石破茂が噛み砕くように国防を語る。 -「国防」より(1)-

「国防」 石破茂 新潮社 

現在の農林水産大臣である、自民党議員、石破茂氏。彼は自他共に認める「軍事オタク」であり、小泉内閣で防衛庁長官、福田内閣で防衛大臣を歴任。
この本は、石破大臣が防衛庁長官の任を解かれた直後に書かれている。(2005年1月発行)
ちなみに「石破」という苗字は「いしば」と読むのが正しいようである。私は「いしは」だと思っていた。

石破氏は問題意識の強い人である。農水大臣を務める現代と同じように、防衛庁長官であった当時もまた、庁内で改革を進めるだけでなく、国民の問題意識を高める為、メディアを通じて積極的に発言した。しかしその結果、
「軍事マニアの石破は軍拡を進めようとしている。」
と偏った見方をされた。問題提起をすることでかえって「急進的」「過激」と決め付けられてしまう彼の不幸は今も変わっていない。未来の農業を守るために「タブー無き議論」を呼びかけた石破大臣は、いつの間にか「減反制度の廃止を推進している」という風にとらえられ、農林族議員から率直に嫌われている。

この「国防」という本は、防衛庁長官として自衛隊のイラク派遣、北朝鮮のミサイル危機という難しい問題を経験した石破氏が、冷戦終結後の世界で日本が直面している「国防」の問題を、実に解りやすく解説した本である。
軍事について何の予備知識も無い人を対象に、「なぜ自衛隊は必要なのか?」「日米安保の意味とは何か?」というところから解説するような内容で、頑張れば中高生でも充分理解できるような内容である。非常に解りやすく、丁寧に噛み砕いて書かれている。

全体を通して語られるテーマは、石破大臣の持論としてよく語られる、
「安全保障はギャンブルであってはならない。」
という考え方である。これでも多分大丈夫だろう、戦争なんて起こらないだろうと決め付けるのではなく、最も安全な確率の高い選択を常に選ぶのが「安全保障」を担う政治の責任であると石破氏は語る。
石破氏は毎年、自衛隊の入隊式でこんな訓示を述べるという。
「君達が今日から自衛隊に入って受ける訓練は、試合に出るようなことがおこらないようにするためにやるのだ。
と。訓練を積んだ精強な自衛隊が日本に存在するということ自体が、結果的に戦争の抑止力として機能する。それこそが自衛隊の存在意義なのだと。

世界の人たちの善意のみを信じて、訓練や整備を怠った場合はどうでしょう。国防を怠って滅びた国はいくらでもあります。歴史を見ればそれは明らかです。
少なくとも私のような、思想家ではない凡庸な政治家は、この激変した国際環境の中では、日本が戦争に巻き込まれないように心配して、し過ぎることはないと思っています。私は、結果的に「石破はあんなに心配していたけど無駄だったな、アハハ」と笑われても、それはそれでいいのです。
(P.25)

(続く)

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2009年3月 4日 (水)

交渉決裂後、北朝鮮外務副相は呟いた。「田中さんとは、未来をつくる話がしたい。」 -「外交の力」より-

「外交の力」 田中 均 日本経済新聞出版社

当初、経済書を中心に取り上げようとした書評コーナーであるが、政治関連、それも国防関連の書籍に偏りつつある。
この本の著者は、先日「週刊ニュース新書」に出演していた元外務審議官、田中均氏である。番組で語られた「大きな絵を描く外交」構想に興味を惹かれ、たまらなくなって大阪の大型書店まで駆け込み、購入した。

戦後50年を迎えた1995年の終戦記念日に、当時の村山首相(社会党)が、近隣諸国への植民地支配を認め謝罪した、いわゆる「村山談話」を発表。同年には元従軍慰安婦への個人補償を目的とした「女性のためのアジア平和国民基金」も設立された。
この「村山談話」の作成には、当時総合外交政策局の総務課長だった田中氏も関わっていた。
田中氏は、東アジアの将来の為には過去の問題を解決することが不可欠と考え、信念を持ってこれらの仕事に取り組んだようであるが、この「村山談話」は日本国内で「自虐史観」であると強烈な反発を呼び、田中氏らを「売国奴」と呼ぶ声も上がった。
残念ながら村山談話以後も歴史問題が解決したという実感は無く、国内での歴史認識の問題は、最近になってますますこじれてきた気がする。

2001年、田中氏はアジア大洋州局長に就任。北朝鮮を相手に、拉致問題の解決をめぐる交渉を行った。
田中氏は、外交交渉における鉄則は「大きな絵を描く」ことであるという。交渉はギブ・アンド・テイクが基本であるが、拉致の解決に対する見返りなどありえない。しかし時間軸を広げて交渉事項を拡大し、全体としてはギブ・アンド・テイクになるような範囲にまで交渉の範囲を広げさせる。拉致については、両国の関係改善の結果として得られる経済協力の展望を示すことによりギブ・アンド・テイクの形を成立させるのだと。

秘密厳守の中でこれらの交渉は行われ、2002年9月、小泉首相が訪朝することで日朝首脳会談が実現。会談の場で金正日総書記は拉致の事実を認め謝罪、10月に拉致被害者5人が日本に帰国した。
この時、「交渉者は感情を見せてはいけない」という信念を持っていた田中氏は、拉致被害者の帰国時に空港へと行かなかった。これが「田中は拉致被害者に冷たい。」と批判を呼ぶことになったという。

さらに、田中氏が「村山談話」の作成者であった故か、帰国実現という「成果」の裏には、秘密厳守で行われた交渉で「密約」があったのではと疑う声も浮上。
残る被害者について北朝鮮側は「死亡」との発表を続け、小泉首相の靖国参拝問題などもありその後の交渉は進展せず、北朝鮮は現在も恐喝のような外交を続けている。
歴史的な成果を挙げたかに見えた北朝鮮外交は、結果として「失敗」と見なされる向きが強くなり、小泉首相や田中氏は痛烈に批判された。

2003年9月11日、田中氏の自宅に爆発物が仕掛けられるという事件が発生。犯人逮捕後、この事件を担当した検事は、調査の一環として田中氏を批判する報道記事全てに目を通した上で、被害者として聴取を受ける田中氏にこう尋ねたという。
「田中さん、なぜあなたはあんなに批判されなければいけないのですか。」

感情だけでものを言ったような感想になるかも知れないが、この検事も役職上、その時の田中氏のやりきれなさに共感したのではないか。
拉致被害者の帰国時も、本当は空港に赴き、拉致被害者達と握手して感情を分かち合いたい、己の成果を実感したいと思う気持ちも少しはあったかも知れない。それが悪いことだとは思わない。それでもその後に為すべきことを考えた上で、あえて空港には行かなかった。それを「冷たい」とか、ましてや「北朝鮮の利益を優先」「売国奴」などと決め付けられて良いはずがない。

私がこの本の中で、最も印象に残ったのはこの場面だった。

(拉致被害者の家族を日本に帰国させる)交渉自体は不調に終わったが、交渉相手の一人であった姜錫柱外務副相が別れ際に、「田中さんとは、未来をつくる話がしたい。」と言ったのが耳に残っている。確かに後から振り返ってみれば北朝鮮との交渉で達成したかったのは、未来をつくることであった。(P.136)

北朝鮮政府の中にも、日本との実りある未来を心から願っている人物はいるのだ。まさに最後に出た本音、心の叫びだったように思える。それでも今、日本が差し伸べているこの手を、北朝鮮が握り返すことはどうしてもできない。許されない。
「未来をつくる話がしたい。」文字で見ただけでは素朴すぎるこの言葉を読んだ時、私は涙が出て止まらなかった。拉致被害者の帰国を独りテレビで見守る田中氏の姿を想像した時、既に涙腺は緩んでいたが、この一文で一気に堰を切った。

ちょうど今日、3/4(金)の朝刊で、「日朝国交正常化推進議員連盟」の会合での、拉致被害者家族会副代表である蓮池透氏の発言が取り上げられていた。
「北朝鮮の怒りと憎しみの原因はどこにあるのか日本政府は考える必要がある。柔軟な対応が必要な時代に来ている。」
長い時間がかかったが、いまこそお互いに、「未来をつくる話」をするべき時である。

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民主党、小沢一郎代表の秘書逮捕。

いざ政権奪取と意気込む中に冷や水を浴びせられた、最悪のタイミングで起こった逮捕だと見られているかも知れないが、まだ「最悪」のタイミングではなかったと私は思う。
もし既に解散総選挙が行われていて、晴れて小沢内閣が発足した直後での逮捕だったとしたら、民主党に望みをかけた有権者達は二度と立ち直れなかっただろう。
この事件の影響で、次期衆院選の投票率はかなり下がると思う。

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2009年2月22日 (日)

「ニュース新書」では見られぬ田勢氏のユーモアセンス -「総理執務室の空耳」より(3)-

「総理執務室の空耳 黒河小太郎政治小説集」 田勢康弘 新潮文庫

前回の続き)

私は、「週刊ニュース新書」の放送と、日本経済新聞にたまに載るコラムでしか田勢康弘氏を知らなかった。
知的で冷静な、学者肌の人間だというイメージが強かった。大の猫好きだというが、まーご(「ニュース新書」のスタジオを這っている猫)がどれだけ愛嬌を振り撒いても表情一つ変えないし、大江アナがたまに不思議な言動をしても冷静に受け流す。そのポーカーフェイスぶりはかえって、個人的には好きだが。

この「総理執務室の空耳」には注釈が多い。用語の説明から、登場人物の細かいエピソードまで丁寧に書かれており、この注釈だけでもなかなか興味深い。それに、シニカルなユーモアセンスも垣間見られる。
目についたものを以下に紹介しよう。

【暴漢】
宮澤(喜一)が宮澤派会長になって間もないころ、都内のホテルで会った男がナイフを振りかざして襲いかかり、格闘となった。気丈な宮澤は額を切られながらも相手を組み伏せた。通常ならいくらかカネでも包んで追い返すのが永田町のやり方だが、暴力に素手で立ち向かったところが、宮澤らしい「常識のなさ」と妙な解説までついた。(P.35)

【パフォーマンス】
われらが元宰相、細川護煕(もりひろ)が官邸に入って以来、唯一政治的情熱を傾けて取り組んだのがこのパフォーマンスに他ならない。(中略)コメ部分開放の発表では、プロンプターを初めて導入。本人はレーガンばりにこの器材を見事に使いこなしたとご機嫌だったが、このカンニング・マシーンがテレビにそっくり映ってしまい、細川流パフォーマンスは大恥をかくこととなった。(P.105)

【社説】
丸谷才一の小説「女ざかり」で有名になった、解説委員が書く無署名記事。あまりはっきり主張せずに「いずれにしろ慎重な対応が望まれよう」という具合にまとめる。丸谷才一は、社説の読者の数は論説委員の合計数より少ないと決めつけ、解説委員たちに衝撃を与えた。(P.105)
※田勢康弘氏は、元日本経済新聞社の記者である。

【丹波實(みのる)】
官僚の紳士録には「出生地は旧外地」とある。旧樺太に生まれ、戦後は北海道に引き揚げてきた。丹波はウェーブのかかった黒髪に白皙、メガネの奥に鋭い眼光、一見ポーランドの外交官と見えることもある。かつて東京のソ連大使館に中央アジア生まれで日本人そっくりの政務担当参事官がいた。ソ連機の領空侵犯事件が起こると、丹波ソ連課長がこの参事官を外務省に呼んで抗議し、テレビカメラがその模様を報じた。その際、名前を紹介するテロップがあべこべになった。どう見ても、丹波がキルギスタン共和国出身の参事官アブドラジザコフに見えたからだ。(P.115)

本編P.161で、自民党政調会調査役、岩倉具三(ともみつ)の風貌を、「ウッディ・アレンとチャーリー・チャップリンを足して二で割ったような岩倉」と書いた文の注釈。

【ウッディ・アレンとチャーリー・チャップリン】
この小説が世にでたあと、岩倉には「ウッディ・チャップリン」というニックネームがついた。(P.161)

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小沢一郎の暗躍 -「総理執務室の空耳」より(2)-

「総理執務室の空耳 黒河小太郎政治小説集」 田勢康弘 新潮文庫

前回の続き)

掲載されている四編の内容を以下に紹介する。当時の連立政権は、小沢一郎氏が裏で操っているとよく言われていた記憶があるが、この物語も全編にわたり小沢氏の暗躍が描かれている。

「野党連立政権誕生す」
自民党派閥「改革フォーラム21」の長、羽田孜は、宮澤喜一首相との友情に背き、内閣不信任案に賛成。不信任案は可決された。
宮澤総理は解散総選挙を行う決意を固めたが、後藤田副総理が「勝ち目が無い」と諫めたことで、内閣総辞職を行うこととなった。「改革フォーラム21」の党員達は自民党を離党、自民党は野党となり、社会党・山花貞夫を党首とする非自民連立政権が誕生した。
羽田はあくまで、造反は己の決断によるものだと信じているが、羽田をそのように仕向けたのは小沢であることをにおわせる描写がある。

「続・野党連立政権誕生す」
一作目は宮澤が内閣総辞職を選択した場合の物語であり、この二作目は宮澤が解散総選挙を選択した場合の、もう一つの物語となっている。
選挙の結果、自民党は過半数を割り込み、社会党も大きく議席を減らした。選挙後に自民党、社会党は内部分裂、新党が乱立する状態となった。
新生党の羽田孜を首相とする連立政権が発足。しかし、経験不足の上に、もともと考えの合わぬ者同士が集まった内閣の為に、「政治改革」を目指したはずの連立内閣は空転。
小沢は羽田の優柔不断な態度に苛立ち、羽田も小沢を疎ましく思うようになり…。

「一九九四年大動乱 ―それはデノミから始まった」
円高ドル安の影響による輸出産業の不振を打開する為、小沢一郎が、米国のクリントン大統領との秘密会談で提案した、日本円のデノミネーション(通貨の呼称単位変更)。
従来の100円分の価値を「1円」と呼びなおすことにより、「1ドル=1円」時代が始まった。
デノミネーションに加え、中国、北朝鮮の政情不安からくる「自衛隊の国連軍参加」議論、歯止めのきかぬ円高による自動車産業の不振と雇用不安など、衝撃的な内容が盛り込まれている。これには、ありえないと思っていた非自民連立政権が発表後すぐに現実となったことを受け、「小説で読者を驚かすにはどこまで踏み込むべきか」を考え直した田勢氏の覚悟が垣間見える。

「決断! ―コメ・マフィアたちのXデー」
日本のコメ市場開放、つまりコメの輸入自由化をめぐる問題を描いたもの。
政権交代により、この難題を引き継いだ細川首相は苦悩。小沢は独断で、農水官僚と共に、ジュネーブで極秘の交渉を行った。また、自民党の農林族議員も独自に暗躍していた。
この年は冷夏による凶作で、当時はまだ備蓄米も無かった為、緊急的にカルフォルニア米やタイ米を輸入した年だった。
これを好機とみた中国政府はジャポニカ米の増産を開始。日本の農家にとっての「最後の砦」が崩されようとする中、細川首相はGATT ウルグアイ・ラウンドの最終合意に臨んだ。

2009年現在、「総理執務室の空耳」が書かれた当時と同じく、再び自民党が政権を失い、非自民連立政権が誕生しそうな政局となってきている。
ぜひとも田勢氏、もとい黒河小太郎氏に再び登場していただき、自民党内部分裂による解散総選挙、非自民連立与党の打ち出す景気対策、農地改革や安全保障問題などを題材とした作品を我々に提供して欲しいものだ。

(続く)

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2009年2月21日 (土)

図らずしも「羽田派造反」「非自民連立」を言い当ててしまった田勢康弘 -「総理執務室の空耳」より(1)-

「総理執務室の空耳 黒河小太郎政治小説集」 田勢康弘 新潮文庫

この本は、「週刊ニュース新書」でおなじみのジャーナリスト、田勢康弘氏が、「黒河小太郎」というペンネームで1993年に執筆した政治小説の短編集である。
掲載されているのは、「野党連立政権誕生す」「続・野党連立政権誕生す」「一九九四年大動乱-それはデノミから始まった」「決断!-コメ・マフィアたちのXデー」の四編。

第一作目「野党連立政権誕生す」の初出は、『中央公論』1993年6月号。
(以下あらすじ)
1993年6月、選挙制度改革をめぐる対立から野党が提出した内閣不信任案に、自民党羽田派が賛成したことで不信任案は可決。宮澤内閣は総辞職し、政権は自民党から、羽田・小沢の立ち上げた新党を含む非自民各党の連立政権へと移った。
念願の政権奪取を果たしたものの、経験不足と各党の意見の不一致から、連立内閣は大混乱。野に下った自由民主党は、その混乱に乗じ巻き返しを図る。

田勢氏曰く、この物語は、掲載誌発売当時の93年5月10日時点では、現実の政治情勢からは予想もつかない展開であり、「もっとも劇的なストーリー」を考えたらああいった展開になったという。(P.57)
しかしその一ヶ月後。小説と同じ93年6月に、羽田派は野党の提出した内閣不信任案に賛成票を投じ、不信任案は可決された。羽田派は自民党を離党し「新生党」を結成。解散総選挙を経て、日本新党の細川護煕を首相とする非自民・非共産の8党派連立政権が誕生した。

結果的に、「野党連立政権誕生す」の内容は、発表直後に起こる政局をおおむね言い当てていたということになり、永田町に衝撃を与えると共に、「黒河小太郎の正体は何者なのだ!?」と犯人探しのようなことまで起こったという。
黒河小太郎こと田勢氏は、作品の展開が、現実の政局にあまりにも酷似したことに自身も驚いたと同時に、「政局はいったん歯止めがなくなると、だれもが予想できないような展開をするものだ、ということを改めて思い知らされた」という。(P.57)

自民党の内部分裂に、非自民連立政権のシミュレーション。この本が書かれた当初、私はまだ中学生で、とんねるずの政治風刺コントと「ビートたけしのテレビタックル」でしか政治を知らなかったが、この小説が書かれた当時の政局は、現在の政局と重なるところが多いように見える。「総理執務室の空耳」は、今読むのが面白い。
今も昔も、自民党政権を破壊するのは小沢一郎氏か。

(続く)

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2009年2月17日 (火)

痛恨、中川財務相辞任!後任は与謝野経財相の兼務。

中川昭一財務・金融担当相、G7会合での失態の責任を取る形で、辞意を表明。
日本経済新聞の特報によると、G7当日の中川財務相は、抗生物質、胃薬、抗ヒスタミン剤、腰の痛み止めなどを併せて服用したという。それは無謀だ。

私がこのニュースを知ったのは、仕事の帰り、駅の清掃員がゴミ箱の中の新聞紙を回収していた時だ。
「中川財務大臣、辞任!?」
おもわず声に出してしまった。朝刊では麻生首相が慰留していたようだったし、タブロイド紙だったので、とばし記事であるよう祈りながら携帯電話を取り出した。「ロイター ニュース&マネー」のWebサイトを開くと…。
「くそっ!」
それを見た時はまだ、辞任が決定したわけではないと思っていた。しかし家に帰ってから日本経済新聞のWebサイトを見ると、既に話題は後任の人事に移っていた。そして、与謝野経済財政・規制改革担当大臣が兼務するという速報が入った。中川氏は今日にも入院するという。

この世界同時不況の中、G7という世界が注目を集める場で失態を犯し、予算案審議前のタイミングで辞意を表明。これ以上無いくらいの悪夢だ。全世界が強調して危機を乗り越えようなどと示し合わせておきながら、日本の経済政策はどこまで停滞するのか。
まさしく、日本の政治と経済が崩れ落ちていく音を聞いたような気がした。

与謝野経財相が兼務という、あまりにも負荷の高い任に就かせるような人事が行われたことが、いよいよ衆議院解散前の暫定的な人事なのではないかと思わせられる。
さすがに2009年度予算成立後の解散は避けられないだろう。審議もまともに進むまい。

この時期に、国内の選挙活動で政治は停滞か。長年それを願ってきたものの、このタイミングでの政権交代は不安のほうがよほど大きい。

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2009年1月31日 (土)

世田谷区の小学校には「日本語」の授業がある -「中山成彬はなぜ日教組と戦うのか」より(2)-

「中山成彬はなぜ日教組と戦うのか」 伊藤玲子 KKベストセラーズ

前回の続き

鎌倉市議会議員であった当時の著者が、問題のある教育現場に戦いを挑んだ模様が描かれている第2章を読んでいるあたりで、一度はうんざりして、読むのをやめかけた。
この本に書かれているような学校ほどではないが、私の母校を振り返ってみても、思い当たるふしがある。

私の中で、学校教育の三大トラウマは「性教育」「道徳教育」「平和教育」だ。

性教育は小学校5年の頃から本格的にはじまったが、その内容は小学生にとっては衝撃的で、生徒の何人かが貧血を起こした。著者曰く、今ではさらに過激になっており、身体の未発達な子供達が、思春期の衝動そのままに、学校から教えられた性行為を実践してしまうという事態が発生。何と産婦人科に中絶手術を受けに来る小学生が増えているという。
テレビやインターネットの性描写には過敏なくせに、「ジェンダー・フリー」を掲げた教育現場での「正しい」性教育こそが、未成年の性の乱れを助長している原因になってしまっている。何がしたいんだ。

道徳教育は結果的に、もともとは何も知らない、偏見を持っていない子供達に、大昔の差別意識をわざわざ教え、植え付けてしまっているような気がする。身分制度が撤廃されたのなら、その差別意識も共に風化させてしまうべきではないのか。子供の頃からずっとそう思っていた。

平和教育については、戦争に反対するのは良いと思うが、愛国心と軍国主義を切り離して、日本人としての誇りといえるようなものを持てる教育も同時に行うべきではないか。
そう思っていたところ、それを既に実践している教育が、第3章で紹介されていた。

世田谷区の若井田正文教育長が、現在の子供たちの学力低下、いじめなどの問題行動が起こる背景には、国語、日本語の崩壊が原因としてあるのではないかと思い、正しい日本語を教える授業をつくることを考えた。
現在、世田谷区の小中学校では「日本語」の授業が行われているという。
(「国語」の一部ではなく「日本語」という別教科で行われているのは、国語は学習指導要領で定められたカリキュラムに沿った授業を行うことが義務付けられている為。)

内容は俳句や和歌、古典文学に漢文など。難しい漢字もそのまま掲載されているがふりがなが振ってあり、国語とは違って文法や著者の意図には触れず、まず日本語の響き、リズムに親しむことからはじめ、やがて意味を理解する、という順で学習するという、子供の知的好奇心を刺激するための工夫がなされているという。
成果は上々で、子供達の「日本語」の授業に対する関心は高いようである。また、土曜日に行われる勉強会では、生徒とその保護者だけではなく、地域の高齢者が「懐かしい」と興味を持ち参加、生きた知識を提供してくれるようになったという。思いがけぬところから地域のコミュニケーション形成にも役立ったのである。

本が好きな私としては、テレビやゲームも否定しないが、やはり本こそが子供には良いと思う。感受性や想像力が豊かになるし、特に大人になると、語彙と表現力が豊かであることはいかに大切かと実感する。
当然、読む本はある程度選ばなければならないが、いろいろな種類、同じテーマでも色々な意見の本を読むことが大事だ。学校の授業を疑わなければならない世の中ならばなおさら。
幼い子供には、親の「読み聞かせ」が大事だと思う。これこそが親子のコミュニケーションとして大切なものであり、時が経って本の内容は忘れたとしても、その本から感じたものは、その心の核にしっかりと残っているような気がする。

さて、将来、この本に書かれているような教育現場に、自分の子供を通わせなければいけなくなった時、我々はどうするべきか。
……どうすればいいのだろう。

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2009年1月29日 (木)

そこにまだ「日本人」がいる。それこそが宝。 -「レジェンド 伝説の男 白洲次郎」より-

「レジェンド  伝説の男 白洲次郎」 北 康利 朝日新聞出版

白洲次郎。吉田茂の側近。終戦後、終戦連絡中央事務局の参与に就任、「戦争には負けたけれども奴隷になったわけではない!」との信念を持ち、GHQを相手に一歩も退かず、彼らをして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた。米国に占領された日本の、早期独立の為に尽力した人物である。
白洲次郎はイギリスに留学した経験があるために英語が堪能で、GHQのホイットニー准将に英語の上手さを褒められた時、「あなたももう少し勉強すれば上手くなる」と言ったという話は有名。日本史の教科書にも載っていた気がする。

この本は、著者が2005年に刊行した「白洲次郎 占領を背負った男」(講談社)の番外編というべきか、読者の熱烈な希望に応え、前作では描ききれなかったエピソードを掘り起こし、白洲次郎の行き方を再び描いた作品であるらしい。(あとがきより)
前作「占領を背負った男」を読んでいなくても充分に理解でき、楽しめる内容であるが、白洲次郎に対する予備知識がないままで読むには少し物足りない感もある。
(これを書いている時点で、私はまだ「占領を背負った男」を読んでいない。)

彼はまさしく、戦争に負けた日本が立ち直る為の礎を築いた人物である。
一つは前述の通り、当時の首相、吉田茂と共にGHQを抑え、早期講和に導いた功績である。
もう一つは、戦後の日本において、手先が器用で勤勉な日本人が「ものづくり」に適しており、それが国際的に競争力を持つという点に逸早く気づいたことである。

「吉田と次郎は荒廃の極みにあったわが国土を前にして、それでもそこにまだ「日本人」が残っていることに一筋の光明を見出した。
それは手先が器用で我慢強く向上心旺盛な、世界有数の勤勉な国民である。わが国には天然資源はないが人的資源がある。」(P.126)

何もかもが瓦礫の下に埋まってしまい、妄信的に信じていたものまで否定されて、まさに全てを失ったかに見えた日本国民に対し、自分達の中で未だ眠っている能力こそが宝であると気付かせた。これほどまでに人間の活力を奮い立たせることが他にあるだろうか。
日本が国際的な競争力を持つ体制を整える為、白洲次郎は商工省物資調整課長、永山時雄と組み、構造改革に着手する。その時に出来たのが通商産業省(現在の経済産業省)であるという。

この通産省という役所は、”日本復興”の切り札となった。
それはやがて世界中を瞠目させ、戦勝国を歯軋りさせる戦後日本の奇跡の復興へとつながっていくのだ。各国はその秘密を解こうと様々な方面から「日本株式会社」への分析を行ったが、そうした時、必ずと言っていいほど出てくるのが、この通商産業省の存在であった。やがて各国はこの組織を模倣していき、「通産省」という役所自体が輸出されていくのである。」(P.128)

欧米各国が自国の産業に対する脅威だと感じるほどの、高品質な日本の製品。それは民間企業の努力だけで成立しているのではなく、それを後押しする優れた制度がかつての日本に存在したというのは驚きだった。高度経済成長を成し遂げた当時の日本は、経済だけでなく行政においても、世界に誇れるものがあったのだ。

この本の帯にある著者の言葉。
「白洲次郎のように、国民一人ひとりが自らの生き方に美学を求めるようになれば、おのずと国家全体も美学を持った国になるのではないだろうか。」
まさしく今の日本には「美学」が欠けているように思える。あまりにレベルの低い話ではあるが、「電車の中で携帯電話を鳴らさない」というあたりから見つめ直し、一人一人の美学を高めていきたい。

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2009年1月26日 (月)

「失言」の裏にある信念 -「中山成彬はなぜ日教組と闘うのか」より(1)-

「中山成彬はなぜ日教組と戦うのか」 伊藤玲子 KKベストセラーズ

「日教組をぶっ潰す」発言がもとで、政界引退に追い込まれた自民党衆議院議員、中山成彬氏。文部科学大臣、国土交通大臣を歴任。

冒頭に取り上げた本の著者、伊藤玲子氏は、鎌倉市議会議員として同市の、ひいては日本全国の教育改革を行う為に活動していた人物であり、その活動において、中山成彬氏とは「共闘」の関係にあるという。

伊藤氏は、鎌倉市の小学校に通う孫を通じて、現代の小学校で行われている教育のありかたに疑問を感じたのをきっかけに、教育改革を訴える活動を行う決意をした。
伊藤氏は平成6年から、歴代の文部科学大臣に対し、教育現場の実態を記した資料を提出、教育改革を訴えた。しかしまるで相手にされないまま、10年の時が過ぎた。そんな中、はじめて伊藤氏の意見に関心を抱いたのが、第二次小泉内閣の文部科学大臣、中山成彬氏。なんと、伊藤氏が渡した資料の全てに目を通した後で、自ら伊藤氏の自宅に電話をかけたという。

去年の夏ごろまで新聞すらろくに読まなかった私は知らなかった。平成17年に「ゆとり教育の見直し」を掲げた文部科学大臣は、他ならぬ中山成彬氏だったということを。

彼が教育を変えようという熱意は本物だったのだ。それだけに惜しい。
国土交通大臣に任命されたものの、宿敵、日教組との決着を焦り、
「(美しいふるさとに住む)子供のことを考えれば、しっかりとした教育を受け、幸せな人生を送ってほしい。」
などという理論で、大分県の教員汚職問題にくちばしを突っ込み、日教組を批判した。その過激な意見が、「住民のごね得」発言、「単一民族」発言との合わせ技一本となり、野党とワイドショーが好む「暴言を吐く政治家」に仕立てられてしまった。
引退決意後の、「自作自演」発言、東国原知事への懇願、「辞める」「辞めない」の二転三転など、目も当てられぬ。

遅くとも今年の秋までに衆議院は解散し、中山氏は議員ではなくなる。
議員としての職権を失うと同時に、手枷足枷の外れた中山氏が、どのような形で日教組に復讐戦を挑むのか。楽しみである。

続く

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2008年10月 3日 (金)

中山前国交相 壮絶なる「討ち死に」

中山前国交相、度重なる失言に地元県連からも嫌がられ、次期衆院選の出馬断念。政界引退を決意したとのこと。
「同じ町村派の森元首相らに不出馬の意向を伝えた」(毎日新聞)とあったが、かつて数多くの失言の末に、内閣支持率8%という奇跡の数字を打ち出した森元首相は、彼に対しどのような顔で、どのような言葉をかけたのだろう。
今後、自民党の代議士という地位を失った、言い換えれば足かせの外れた中山氏が、どのような形で宿敵、日教組に立ち向かっていくのか。目が離せない。

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2008年9月30日 (火)

米金融安定化法案否決 世界同時株安

夕刊を郵便受けから出した途端、「NY株777ドル安」(日経)の見出しが目に飛び込む。目を疑いもう一度見直すと、「金融安定化法案を否決」とあって、思わず「まさか!」と叫んだ。
共和党のマケイン候補は、同法案における共和党下院議員への調整を自分の「実績」としてアピールしており、今日の朝刊の記事では、「米、安定化法案成立へ」と、法案可決を前提としたした内容になっていたのだが。

法案も修正され、現実的に、最後にはこの法案を通さざるを得ないだろうと思っていたのだが、国民の反発を抑えきれずに否決されるとは。10月2日にも修正法案を策定したいということだが、そんな早急に、国民を納得させられる法案ができるものだろうか。

米国に税を納める身ではなく、ただ悪影響を恐れる私のような日本人にしては「勘弁してくれ。」と言いたいところだが、金融安定化法案に反対する米国民も、「福祉の為に必要」とされる消費税増税に反対する私のような日本国民も、気持ちとしては同じようなものかも知れない。そう考えれば、あまり偉そうには言えないのだが。

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